子どもの残虐性に震え上がる:那須正幹「六年目のクラス会」

子どもの残虐性に震え上がる:那須正幹「六年目のクラス会」

きょう紹介するのは那須正幹氏の短編「六年目のクラス会」です。那須正幹氏と言えば、「ズッコケ三人組」シリーズで子どもたちから圧倒的な人気を集める児童文学作家ですが、こんな怖い小説も書くなんて…と驚きでした。子どもの残虐性を淡々と浮かび上がらせる筆致に震え上がります(2023.9.23)

ふじ組のクラス会

「六年目のクラス会」は、めぐみ幼稚園ふじ組がクラス会に集まってくる場面から始まります。

「ねえ、ねえ。岸本くんて、城南に入学したのねえ。かっこいいなあ」 

野々宮さんが、小島さんにささやいている。野々宮さんも、まあたらしい白百合女子中学のセーラー服を着ていた。 

(略) 

「ええ、それでは自己紹介にうつりまーす。まず、加藤さんから順番におねがいします」 

島田くんに指名されて、おさげの女の子が立ちあがった。 

「加藤良子です。じつは、わたし、六年前に約束したこと、すっかりわすれてたんです。二月ごろ島田くんや佐々木さんと会って話しているうちに、なんとなくそんな約束をしてたのを思いだして……。でも、きょうは、みなさんに会えて、ほんとによかったと思いました」 

どこの中学に進学したのか聞いたり聞かれたり、クラス会に招いた当時の担任の先生をひやかしたりしながら、順番に自己紹介がすすむ。 

おもらしの常習犯

そんなよくあるクラス会の情景に、ふいに影が差す。ふたりの出席者が幼稚園時代に泣いたか、泣かなかったか、言い合いをはじめたのがきっかけだった。

「うそ、つけ。おまえ、しょっちゅう、ぴーぴー泣いてたぜ」 

田辺くんが、ひやかした。 

「ぜーんぜん記憶にありません。きみがおもらししたのは、おぼえてるけどね」 

野々宮さんが、やりかえした。 

「おれ、おもらしなんて、やってないよ。おもらしの常習犯は、ええと、なんてったっけ。そう、ノリくん、ノリくんだ」 

タッちんは、小さくうなずきながら叫んだ。 

「ああ、死んじゃった子だろう。鈴木則男……」 

空気がねっとりしてきた

そこから、鈴木則男くんの話題になっていく。「陰気な子」「とにかくおもらしする」「みんな、おしっこくさいって、いやがっていた」……。 

部屋の空気が水あめのように、ねっとりしてきたと感じたのは、ぼくの錯覚だろうか。

徐々にクラス会の出席者たちは、則男くんに対するいじめの記憶を呼び起こしていく。

「あの子のパンツもぬがしたよなあ。おれ、なにもかも思いだしちゃったよ。パンツだけじゃない、上着もなにもかもぬがしてはだかにしたんだ。あれ、寒い日だったなあ。あそこの洗い場へ連れていって、水をじゃあじゃあかけたよな」 

告発しながら笑顔

誰が「おしおき」と言い出したか、誰が水をかけたか、誰が加担したか、誰が黙認したかーー。記憶が次々に思い起こされ、則男くんが心臓麻痺で死ぬきっかけとなった朝の出来事の全容が浮かび上がる。

「先生だって、あの朝、わたしたちが則男くんをはだかにして水をかけたの、知ってましたよねえ。教室の窓から、ずっと見てらっしゃたの、わたし知ってたんです。(中略)もし、あのことで則男くんが死んだなら、先生。先生も、わたしたちとおなじですよね」 

川口さんは、話しおわると、白い八重歯を見せて笑った。幼稚園のころと、すこしもかわらないおひめさまのような笑顔だった。 

「六年目のクラス会」はこの後も数ページ続いて、このクラス会の意外な謎解きもしてくれるのですが、紹介はここまでにしましょう。 

忘れていたいじめの記憶が呼び起こされてもなお、笑顔を浮かべているところが、この物語の本当に怖いところです。 

復刊望まれる「現代童話」

「六年目のクラス会」は、那須氏の短編集「ジ エンド オブ ザ ワールド」 (ポプラ文庫)で読むことができますが、わたしは今江祥智山下明生「現代童話」Ⅳ(福武文庫)で読みました。 

全5巻からなる「現代童話」と、その前作にあたる井上ひさし「児童文学名作全集」(全5巻、福武文庫)は、非常に読みでのある児童文学アンソロジーです。復刊が待ち望まれます。 

「六年目のクラス会」について、編者のひとりの山下明生氏は解説で次のように書いています。まったく同感です。 

幼児のいじめをここまで突放して描き、幼児を含む人間の心の奥にひそむエゴイズムを告発した童話は、あまり類がないでしょう。 

(しみずのぼる)