きょう紹介するのは馬庭教二氏の「1970年代のプログレ」という新書です。「田舎の少年である私の、切実なプログレ体験を書き綴って」(カバー扉より)あり、プログレの妖しい吸引力が伝わってくる熱い熱い読み物です(2024.3.26)
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プログレ人生の始まり
馬庭教二氏は1959年生まれで、角川書店(現KADOKAWA)でカルチャー誌編集長や雑誌局長を務めた方だそうです。わたしより少し年齢が上ですが、わたしも似たようなプログレ体験を持っているので、読んでいて「そうそう」と何度も頷いてしまいました。

プログレ(プログレッシヴ・ロック)については、これまで3度書いています。
馬庭氏の「1970年代のプログレ」(ワニブックス「PLUS」新書、2021年刊)にも触れて、
プログレとはごくごく一部の好事家だけが嗜好する狭く閉じられた世界
夜に聞くと心地良いプログレ・バラード
と、馬庭氏が”卑下”したくだりも引用しています。
でも、きょう再読していて、馬庭氏のようなプログレ体験をした人は、あの時代、ほんとうに多かっただろうな…と思うと、この新書そのものを紹介したくなりました。
いちばん印象的なくだりが「『危機』がすべての始まりだった」の見出しがつく文章です。
その時私は、山陰の小都市に住む中学二年生だった。中二のクラス替えで急速に仲良くなった友人Nが、ゴールデンウィークの始まったある日、我が家に一枚のレコードを持ってきたのである。
「おまえ、イエスって知っとるか」
(略)
「まあ、聴いてみろ。今、一番注目されているイエスの、一番新しいアルバムだ。イギリスのグループで、プログレッシヴ・ロックっちゅうらしい」
そして、こう続きます。
そのあとの20分が、今日に至るプログレ人生の始まりとなった。
背筋が震え胸がうずく
馬庭氏は「この曲を始めて聴いた時の、感じたこと思ったことの再現」をしてくれています。以下、ちょっと長いですが、そのまま引用します。
……鳥のさえずり、川のせせらぎの音が少しずつ高まっていって、突然、大音量のバンドサウンドに突入した。
バンド演奏はこれまでに聴いたことのない種類のもので、ギターが奏でるメロディも、ドラムとベースが作り出すリズムも、まったくわけのわからないものだった。
すると「アー、タッ」「アー、タッタッ」というコーラス(これはいったい何だ?)をきっかけに曲調が変わり、ようやく「歌」が始まった。ここまですでに3、4分たったろうか。こんなに長い時間歌が出てこないのにも驚かされる。軽快で気持ちのいいメロディだが、ボーカリストの声は男なのに女の声のように高く、ちょっと掠れた妙な声質だ。バックのドラムやベースの演奏は相変わらず奇妙(下手くそという意味ではない。たぶんものすごく上手だと思う)だし、どういう楽器なのか知らないが「ピヨピヨピヨピヨピコピコピコピコ」という音がずっと背後で鳴り続けている。
こうしてテーマらしき歌が終わると、今度は壮重なオルガンをバックにゆっくりした歌が始まった。さっきのテーマらしき歌のバリエーションのようである。この部分は主旋律とコーラスの掛け合いがとてもきれいだ。
鍵盤楽器が高らかに響きわたってこのパートが終わると、再びフルバンドの演奏に突入し、最初に聞いた「歌」(要はこの曲のたった一つの歌である)が、もう一度リズムを変えて演奏される。さっきよりもっともっと速く、もっともっと強くだ。
そうして最後の最後に、背筋が震え胸がキューッとうずく瞬間が訪れた。疾走してきたリズムがぐぐぐぐぐっとゆるんだかと思うと、曲全体のなかでもっとも親しみやすく、切なく、甘酸っぱいサビのメロディが、これまでになく鮮烈なコーラスを伴い再現されたのだ。
その心地良さをどのように表現すればいいだろう。
真夜中に高い高い岩壁を登っていって満天の星をいだく頂上に頭をつっこみ見上げた瞬間の達成感とでも言おうか。高い高い滝の上からはるか眼下の滝つぼに向かって身を投じた刹那の浮遊感とでも言おうか。ともかく、レコードに針をおろしてから20分近くかけて溜めに溜めてきた何物かが解き放たれる、信じがたい快感だった。
あまりのカタルシスに腰がくだけたようになっていると、音楽は冒頭と同じ、鳥のさえずりと川のせせらぎの音に包まれて終息した……
イエスの「危機」をはじめて聴いた時の驚きと快感は、この表現のとおりです。わたしも中学生の時に聴いたので、こうやって著者が興奮する様子は、中学生だった自分の姿と重なり合って見えます。
以上が、48年前のあの日、初めて「危機」を聴いた時の記憶である。
(略)
ともかく私は、こうしてプログレに出会ってしまった。
まさに「出会い」という表現がピッタリの音楽体験だと思います。
わたしのプログレとの出会い
実はわたしにも、似たような経験が中学生の時にあります。
とても変わったジャケットのアルバムで、どういうロックバンドなのか全然情報がないけれど、とにかく変わったジャケットに惹かれてレコードを買って、友人の家に持っていって一緒に聴いたのです。
きっと今の人には想像もつかないでしょうが、当時(70年代)はパソコンなんてものはありません。検索して調べて…なんてことは不可能です。
だから、レコードジャケットの帯や背面(たまに日本語で書いてありました)を熟読玩味して、大事な大事なおこづかいを投じて買うのが当たり前だったのです。
以前に音楽ライターの神舘和典氏の新刊「ジャズ・ジャイアントたちの20代録音「青の時代」の音を聴く」(星海社新書)を紹介した際にも「ジャケ買い」のくだりが出てきますが、本当にジャケットだけを判断材料にレコードを買うしかない時代でした。
話を戻すと、中学生の時、友人の家に持参した「変わったジャケットのアルバム」の一曲目を聴いた時の衝撃と感動はいまも忘れません(馬庭氏の「危機」に相当するのが、私にとってこの曲です)
それは、ジェネシス「怪奇骨董音楽箱」の一曲目「ミュージカル・ボックス」なのですが、馬庭氏の「1970年代のプログレ」にも、この曲のことがくわしく出てくるのです(こちらは引用をすこしはしょります)

③8分33秒「I’ve been waiting here for so long 僕は長いことここで待っていたんだ」ここからが最終章だ。音量が少しずつ上っていく。いよいよラストスパートが始まる。キーボード被る。
9分14秒「Why don’t you touch me, touch me なぜ僕に触れてくれないの 触れてくれよ」クレッシェンド、音量最大だ。ボーカルは、ヘンリーの熱烈な求愛を熱唱。
9分22秒「now now now now now 今 今 今 今 今」叫ぶ。感動場面。ボーカルにギターが被り始まる。オクターブ下も入ってツインギターに。「now now now now now 今 今 今 今 今」叫び続ける。
9分51秒 ボーカル歌い終えてラストのギターソロへ。次第にリズムを上げて大団円、クラッシックの交響曲終楽章、クライマックス風フレーズで締めくくる。ジェネシスの魅力は、静寂と喧騒、冷静と熱狂の落差、その妙にある。緩急を付けた劇的展開にあるのだ。
好きな曲を聴ける幸せ
こうやって1曲ずつ紹介していったら切りがないので、あとひとつだけ、とても感動したくだりを紹介して拙文を閉じます。
エマーソン・レイク&パーマーが、1971年に発表したライブアルバム「展覧会の絵」を、1992年にハンガリーで再演した際のエピソードです。

その年のハンガリー・ブダペスト公演時のある出来事をグレッグ・レイクはこのように振り返っている。
「展覧会の絵」を演奏している時、レイクは観客の中に泣いている男を見かけた。その客は、コンサート後のサイン待ちの列の中にもいて、やはりひどく落ち込んでいる様子だった。その男のことがどうしても気になったレイクは、マネジャーに頼んでその客を呼び「音楽を聴いて心を動かされるのはいいけど、そんなに落ち込むのはよくないよ」と声をかけた。するとその男は、「17年前『展覧会の絵』のレコードを持っていたというそれだけで逮捕され、半年間刑務所に入れられたんだ。君たちを見るのに17年かかった。その思い出が一気に込み上げてきたんだ」と答えたという。
旧ソ連の衛星国では西側の音楽を聴くだけで拘束されたのです。きのう「三体」で触れた中国の文化大革命(文革)もしかり、狂気の時代には音楽を聴く自由さえも奪われます。
好きな曲を好きなだけ聴ける幸せをかみしめたいと思います。
ここで紹介したイエスの「危機」、ジェネシスの「ミュージカル・ボックス」、エマーソン・レイク&パーマーの「展覧会の絵」は、それぞれユーチューブの公式チャンネルで聴くことができます。
下記に貼りつけておきますので、ぜひ聴いてみてください。
(しみずのぼる)