心の闇を描くシャーリイ・ジャクスン「悪の可能性」

心の闇を描くシャーリイ・ジャクスン「悪の可能性」

きょうはシャーリイ・ジャクスン「悪の可能性」(原題:The Possibility of Evil)を紹介します。シャーリイ・ジャクスンと言えば「丘の屋敷」「くじ」が有名で、人間の心の闇を描いたら右に出る者はいない作家です(2023.8.27)

読むものを狂気に駆りたてる

最初にシャーリイ・ジャクスン(1916-1965年)について紹介します。「くじ」(早川書房)の訳者あとがきから、深町真理子氏の文章です。 

1948年、「くじ」がはじめて「ニュー・ヨーカー」に掲載されるや、各地の読者からすさまじいばかりの反響があった。「珠玉の小篇」、「ぞっとする」、「強烈で圧倒的な印象」、「巧妙に工夫されている」、「読むものを狂気に駆りたてる」、「貴誌の購読予約を取り消す」、「夜も眠れない」等々、すべてこの、いまは恐怖小説の古典となった作品を読んだ、読者のショックの大きさを物語っている。 

ネットフリックスがドラマ化

続いて、もうひとつの代表作「丘の屋敷」(邦訳は「山荘綺談」が最初のタイトルでした)については、「ずっとお城で暮らしてる」(学研)の解説から、稲生平太郎氏の文章。

(ロバート・ワイズ監督の映画)「たたり」の原作となった「山荘綺談」ーー幽霊屋敷物という古色蒼然たるジャンルに新たな生命を吹き込み、ゴシック小説の黴の生えたコンヴェンションを現代において見事に復活させたという点で、この長編はモダン・ホラー小説のまさに金字塔のひとつといっても過言ではない。 

ちなみに、「丘の屋敷」の原題はThe Haunting of Hill Houseネットフリックスでドラマ化されています。 

ネットフリックスの「ザ・ホーンティング・オブ・ヒルハウス」

暗黒面と異常心理の追求

このように紹介すればホラー小説の作家と誤解されるかもしれませんが、そうではなく、深町氏の文章を借りれば、 

人間性の持つ底深い暗黒面をえぐりだすことに、なみなみならぬ手腕を有している 

のであり、稲生氏の文章を借りれば、 

闇の領域へと降下していく人間の異常心理の追求……実生活において精神の病に苦しんでいたジャクスンにとって、それはきわめて切実なテーマでもあった。 

というように、人間の心の闇を描く作家であり、それが読む者に恐怖の念を抱かせる、ということなのです。 

その彼女の没後に発表されたのが「悪の可能性」で、1965年のエドガー賞(最優秀短編賞)受賞作です。 

老婦人の日常を描写

この物語は、ミス・ストレンジワースの日常描写から始まります(以下の引用は「エドガー賞全集・下」=ハヤカワ文庫=所収で、深町真理子氏訳) 

町を訪れる観光客に向かって、 

ええ、年ですか、七十一になります、なんだかいまでは、この町が自分のものみたいな気がしてしまってね 

この家にわたくしの一家は百年以上も住んでおります。わたくしのお祖母さんがこのバラを植えました。そのあと母がその手入れを引きつぎ、いまはわたくしがそれをひきついでいるというわけです。わたくしはこの町が成長するのを見まもってまいりました。 

と話すミス・ストレンジワースは、この日も町を歩き、「数分ごとに立ちどまっては、おはようの挨拶をかわしたり、だれかの健康をたずねたりした」 

そのあと、いつものように食料品店のカウンターに座り、店の主人と話し、ハーパー夫人と会話をかわした。 

「マーサ、あなた、元気がないわよ」 

「いえ、なんともないわ」 

食料品を出ると、クレーン家の赤ん坊にほほえみかけ、若い母親に声をかけた。 

「そんな育てかたをしてちゃ、お嬢ちゃんは一生贅沢が身についちゃいますよ」 

子どもの発育を気にしていると聞くと、 

「なるほど、心配事ならいつでも相談に応じますよ、よろずご相談承り所ってところですからね、わたしは」 

筆跡を変え、匿名で手紙

こうして日課の街の散策を終えて家に戻ったミス・ストレンジワースは、デスクの鍵をあけて便箋を取り出した。「この種の手紙を書くときは、いつもちびた鉛筆を用い、子供っぽい活字体でそれを記すことにしていた」 

”悲惨ナ白痴ノ子ヲ見タコトガナイカ? 世ノ中ニハ、子供ヲ産デンデハナラナイ人間ガイルノデハナイカネ?”

2通目はハーパー夫人宛だった。 

”マダワカラナイカネ、木曜日ニオマエがぶりっじ・くらぶヲ出タアト、残ッタミンナガナニヲ笑イアッテイタカ? ソレトモ、町内デ知ラヌハ女房バカリナリ、トハコノコトカネ?” 

なぜ、筆跡を変え、匿名の手紙を書き続けるのか。 

彼女の住む町は、清潔に、快適に保たれねばならないが、人間というのはどこへ行っても、欲深で、邪悪で、堕落した存在であり、注意ぶかく見張ることが必要なのだ。 

「悪の可能性」は、市田泉氏の新訳で「なんでもない一日」(創元推理文庫)で読むことができます。 

ミス・ストレンジワースが「善行」と思って続ける行為が結果として惹き起こす顛末は、「なんでもない一日」を手に取ってお確かめください。

この短編をはじめて読んだ時、真っ先に頭に思い浮かべたのが、アメリカの心理学者フィリップ・ジンバルドーの実験でした。匿名の場合、人は冷酷で暴力的になりやすい「没個性化」が生じることを証明したことで有名です。 

いま、ネット社会になって、「没個性化」による暴力は、より顕著になっているように思います。

計量経済学者の山口真一氏の「正義を振りかざす『極端な人』の正体」(光文社新書)から引用します。 

(2016年の熊本地震で)自宅が被災したタレント・女優の井上晴美さんが避難生活の状況をブログで発信していたら、なんと「愚痴りたいのはお前だけではない」「可哀想な私アピールガイラつく」「不幸自慢にしか見えない」「芸能人だからって特別扱いされると思うな」などの心無いコメントが相次いだのだ。結局井上さんは、「これで発信やめます これ以上の辛さは今はごめんなさい 必死です」と書いて発信を停止するに至ってしまった。 

悪の芽を摘む思いで、あのような文面の手紙を執拗に出すミス・ストレンジワースと、どこか重なるところがありませんか。 

山口真一「正義を振りかざす『極端な人』の正体」

なお、「なんでもない一日」には、「悪の可能性」とテイストが非常によく似た「ある晴れた日に」(原題:One Ordinary Day, with Peanuts)も、新訳で収録されています(新訳のタイトルは「なんでもない日にピーナッツを持って」) 

「ある晴れた日に」は、ジュディス・メリス「SFベスト・オブ・ベスト・下」(創元SF文庫)が品切れになって、「悪の可能性」同様に長らく邦訳が読めない状態になっていました。 

できるかぎりの「善行」を重ねる老人と、その妻の話で、最後の2ページの衝撃ーー不条理と不快感を味わっていただきたく、「悪の可能性」と併せて「なんでもない一日」でお読みください。 

(しみずのぼる) 

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