読書にはふさわしい年齢があるように思います。若い頃に読んだときはそれほど響かなかった小説なのに、いま読むと感じ入るものがある…というたぐいです。きょう紹介するのは約35年ぶりに再読した藤沢周平の「三屋清左衛門残日録」(文春文庫)です(2025.11.10)
〈PR〉
父親に勧められた小説
時代小説は20歳代のころから比較的よく手に取るジャンルで、藤沢周平も「用心棒日月抄」シリーズや「獄医立花登手控え」シリーズ、「よろずや平四郎活人剣」「蝉しぐれ」等々は何度か再読しています。
そんな藤沢周平で再読していなかったのが「三屋清左衛門残日録」でした。
同書を勧めてくれたのは父親で、単行本で出たばかりの頃でしたから、1989年のことです。

とても面白かったよ。貸してあげるから読んでごらん
父はまだ会社勤めは続けてましたが還暦間近。わたしはまだ20代後半で、結婚して間もなく、子供もまだいない頃でした。
藤沢周平ですから、読んで面白かったのは間違いありません。でも、家督を息子に譲った隠居が主人公ですし、タイトルも「残日録」なので、

父には面白かったんだろうけど、自分にはまだこの小説の良さはわかんないなあ…
と思った…という記憶があります。
そのせいか、ずっと再読することもなく月日が流れ、ひさびさに時代小説でも読むか…というモードになったので、ほんとうに約35年ぶりに手に取った次第です。
日残りて昏るるに未だ遠し――家督をゆずり、離れで隠棲の日をおくる清左衛門は、日録を記すことを自らに課した。世間から隔てられた寂寥感、老いた身を襲う悔恨。しかし藩の執政府は紛糾の渦中にあった。老いゆく日々の命の輝きを、いぶし銀にも似た見事な筆で描く傑作長篇小説。仲代達矢、北大路欣也主演による映像化も話題に
「三屋清左衛門残日録」(文春文庫)
随所に挟まれる老いの心境
あらすじには長編小説とありますが、実際は連作短編集です。ひとつひとつの短編はストーリーが完結していますが、全体として「藩の執政府は紛糾の渦中」ーー派閥対立が激しさを増し、先代藩主に用人として仕えた清左衛門も政争に巻き込まれていく…という展開です。
でも、35年ぶりの再読で何度も目に留まったのは、まさに父が「面白い」と思ったであろう老いの心境のくだりでした。いくつか抜き出してみましょう。
清左衛門が思い描いていた悠悠自適の暮らしというのは、たとえば城下周辺の土地を心ゆくまで散策するというようなことだった。散策を兼ねて、たまには浅い丘に入って鳥を刺したり、小川で魚を釣ったりするのもいいだろう。記憶にあるばかりで久しく見る機会もなかった白い野ばらが咲きみだれている川べりの道を思いうかべると、清左衛門の胸は小さくときめいた。
第1話「醜女」
ところが、隠居した清左衛門を襲って来たのは、そういう開放感とはまさに逆の、世間から隔絶されてしまったような自閉的な感情だったのである。
(中略)
隠居してみると、朝の寝ざめの床の中で、まずその日一日どう過ごしたらいいかということから考えなければならなかった。君側の権力者の一人だった清左衛門には、藩邸の詰所にいるときも藩邸内の役宅にくつろいでいるときも、公私織りまぜておとずれる客が絶えなかったものだが、いまは終日一人の客も来なかった。
清左衛門自身は世間と、これまでにくらべてややひかえめながらもまだまだ対等につき合うつもりでいたのに、世間の方が突然に清左衛門を隔ててしまったようだった。
こんな心境ですから、若い時分からの付き合いで今は町奉行の佐伯熊太にも
「隠居はいそがぬ方がいいぞ」
「やることがないと、不思議なほどに気持が萎縮して来る」
「いそがしいとこぼしているうちが花だぞ」
などと忠告してしまうほど。
もっとも、第2話の「高札場」になると、道場通いを復活して「木刀を振っただけで眼がくらむようなことはなくなったし、炎天下の川岸で小半日釣りをしたぐらいでは、さほど疲れを感じなくなっている」というように、今風に言えばアクティブ・シニアな生活ぶりが描かれています。
中風に倒れた友人を見舞う
「立会い人」では、中風(現代で言う脳卒中)に倒れた友人を見舞ったときの心境が出てきます。
病気そのものは清左衛門が考えていたよりも軽く、平八は床の上に起き上がっていた。医者にはそろそろ外に出て歩く方がいいと言われていたが、右手右足が萎えて、歩こうにも力が入らぬということだった。しゃべることは支障がなく、口の方はしっかりしていた。
そういう平八を見て一応はほっとしたものの、それで清左衛門の気分が晴れたわけではなかった。わずかに気持が塞いだままである。それは言葉にすれば、いよいよその齢がやって来たかというような気持だった。
ある年齢になると、友人や同僚のあいだで、健康診断で〇〇の数値が悪かった、〇〇の薬を飲みだした…といった健康絡みの話題が急に増え始めます。中には”不健康自慢”するような人もいて「彼は長生きできないな…」と思ったりーー。
友人の姿に鞭打たれる
ただ、「三屋清左衛門残日録」は、老いを誰にも必ずあるものと受け止めて、そのなかでも日々前向きに生きることの大切さを静かに訴えています。
最終話「早春の光」は、清左衛門がふたたび中風の友人を見舞う場面で終わります。
暮れに見舞ったときに友人の息子の嫁が「お医者には少し歩くとよいと言われているのですけれど」と友人の無気力を嘆くように言っていたことを思い出し、清左衛門が気持ちが沈んだまま友人宅に向かうと、道の遠くに動く人影を見た。
杖をつきながらゆっくり動いているのは平八だった。ひと足ごとに、平八の身体はいまにもころびそうに傾く。片方の足に、まったく力が入っていないのが見てとれた。(略)見ているだけで、辛くて汗ばむような眺めだった。
つと清左衛門は路地を引き返した。胸が波打っていた。清左衛門は後を振りむかずに、いそいでその場をはなれた。胸が波打っているのは、平八の姿に鞭打たれた気がしたからだろう。
ーーそうか、平八。
いよいよ歩く習練をはじめたか、と清左衛門は思った。
そして、こんな文章が続きます。
人間はそうあるべきなのだろう。衰えて死がおとずれるそのときは、おのれをそれまで生かしめたすべてのものに感謝をささげて生を終えればよい。しかし死ぬるそのときまでは、人間はあたえられた命をいとおしみ、力を尽くして生き抜かねばならぬ、そのことを平八に教えてもらったと清左衛門は思っていた。
全15話。話が進むにつれて藩内の派閥対立が引き起こす暗闘や事件が描かれますが、やはり「三屋清左衛門残日録」の魅力は、「老いゆく日々の命の輝きを、いぶし銀にも似た見事な筆で描く」ところにあるのは間違いないでしょう。
読了後、亡き父に感謝の思いを抱きながら、

この小説のよさがわかる年に僕もなりましたよ…
と報告しました。
(しみずのぼる)
〈PR〉
〈PR〉Amazon&楽天


