絶品の料理でこころを救う優霊物語:有栖川有栖「天神坂」

絶品の料理でこころを救う優霊物語:有栖川有栖「天神坂」

きょう紹介するのはミステリー作家有栖川有栖氏の「天神坂」ーー坂の途中にある幽霊も食事ができる割烹を舞台にした小編です。恨みを抱いて成仏できない女の霊を店に案内する主人公も、粋な料理を作る亭主も、優しさに溢れていて、読み終えて心がほっこり温まること請け合いです(2024.4.16) 

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平成怪奇小説傑作集

わたしは最初、東雅夫氏編「平成怪奇小説傑作集」(創元推理文庫)の第3巻に収められている一篇として読みました。 

天変地異の時代に幻想と怪奇の精鋭たちが放つ夢幻慟哭のレクイエム! 
平成日本に生まれた至高の名作を編年体で全3巻に! 
2011年(平成23年)3月11日に発生した東日本大震災は、東北地方の太平洋岸を中心に未曾有の被害をもたらした。理不尽な死に見舞われた無辜の人々と、残された者たちと──彼岸と此岸、死者と生者の幽暗なあわいに思いを凝らす作家たちの手で、新時代の怪談文芸が澎湃と生み出されてゆく……。平成の三十余年間に誕生した極めつきの名作佳品を、全三巻に精選収録する至高の怪奇小説アンソロジー。最終巻となる三巻には十五作を収録。 

巻末の編者解説で「天神坂」を紹介する東氏の文章を紹介しましょう。

古き大阪の面影を幽かにとどめる天王寺七坂を個々にモチーフとして、平成二十一年から二十四年にかけて『幽』誌上に連載された優霊物語集『幻坂』(二〇一三)の一篇である有栖川有栖「天神坂」は、先述の「震災と怪談文芸」特集号に掲げられた作品だった。喰いだおれの都・大阪らしい着想と静謐だが温かい語り口で、遠く離れた東北の地の死者たちに思いを馳せるかのような屈指の名作である。 

「優霊物語集」には「ジェントルゴーストストーリーズ」とルビが振ってあります。

本書をきっかけに「幻坂」を読みましたが、確かに優しい幽霊譚が多く含まれています。その中でも東氏が「屈指」と言うだけの作品ーーそれが「天神坂」です。 

心霊探偵 濱地健三郎

はじめに大坂夏の陣で闘死した真田幸村の終焉の地に通じる坂道であることなど、坂の来歴がしばらく続いたのち、年嵩の男と若い女が寄り添って現れる。 

坂の中ほどまできたところで男が足を止め、右手を指差す。すぐ行き止まりになる路地があり、奥まった家の軒先に白い提灯がぶら下がっている。 

提灯には〈割烹 安居〉と書かれていた。男が亭主に「いつも貸切で申し訳ありませんね」と声をかける。 

料理はおまかせにして、料理に合う辛口の酒を注文してから、男は女に名刺を取り出した。 

濱地健三郎
探偵

と書かれていた。女は「私立探偵には、いい記憶がありません」と言った。 

「ごもっとも。しかし、わたしは不愉快な報告書を提出して、あなたを傷つけたりしませんので、ご安心ください。ありきたりの探偵ではないのです」 

「心霊現象がご専門……でしょ。何かふざけてますね」 

カウンターのテーブルに先付と徳利が出された。雲丹をのせたオクラ羹。濱地に促されて女が箸をつけて驚いた。 

「食べられたことに驚いているんですか?」

女は「はい」と答え、こうつぶやいた。 

「わたしに味わえるはずないやないですか。死んでるんですから」 

「だいたい、濱地さんにわたしが視えていることが不思議です」 

女は続けた。「変です。わたし……死んでるのに。わたしを視られるのは、あの人だけのはずやのに」 

濱地はこう返した。 

「生きてるだの死んでるだの、そんなことはどうでもいいじゃないですか。語りに値しない瑣末なことです。あなたはここにいて、おいしいものを召し上がっている。酒と食事を楽しみましょう」

未練を残して練炭自殺

箸休は黒豆湯葉汁。鉢物は鱧のそぼろ煮。女も「おいしい」とつぶやき、二十歳の祝いに亡き父が坂の近くの料亭に連れて来てくれた思い出を懐かし気に語る。「母を早くに亡くして、男手ひとつで育ててくれたんです」

料理はさらに栗甘煮、松葉に刺した銀杏、柿の甘酢掛け……と続く。 酒で頬がほのかに紅潮した女は濱地に訊ねる。「わたしの胃袋を美食で満たして、幸せな気分にして、機嫌よく成仏してもらおう。要するに、そうですね?」 

妻帯者に捨てられ、未練を残して練炭自殺した女だった。「この仕事は、あの人の依頼ですか?」 

濱地は正直に「はい」と答えた。

「そうですか。行く先々でわたしの姿がちらちら目に入るんで、顫え上がってましたからね」 

濱地は言った。「もう迷うのはよしませんか? 自分を楽にしてあげなさい」 

女は目を吊り上げ、指を振るわせて「そこまで都合のええ女でいてやるもんですか」と返した。 

お父様が待っているところへ

松茸御飯と香物。水菓子はメロンと白桃。そして、茶菓は熨斗梅と煎茶。 

「父と食べた時と、そっくり同じ。器も」 

図って出されたものであることを女は知る。 

「でも、なんでこれが事前に用意できたんですか?」

濱地は女に声をかけた。 

「ご自分を大事になさってください。虚しいことはもうやめにして、お父様が待っているところにいらっしゃいませんか? そこには懐かしいお母様もいらっしゃいます」 

ここまでの引用で、優霊ージェントルゴーストストーリーの逸品と思って頂けたのではないでしょうか。「お父様が待っているところ」あたりから、わたしはもう涙腺が緩んでしまっています。 

「幻坂」は、ほかにも心温まる幽霊譚が多く収められていますが、中には「天神坂」に登場する濱地健三郎が少年の霊が出没するという別荘の謎を解き明かすホラー・ミステリー(「源聖寺坂」)や、猫に魅入られてしまった女子高生の顛末を描く真正ホラー(「口縄坂」)もあって、大阪の地にくわしい人はもちろん、わたしのようにまったく土地鑑がない人でも、存分に楽しめる短編集となっています。 

なお、心霊探偵・濱地健三郎については(わたしは未読ですが)「濱地健三郎の霊なる事件簿」などの連作短編集も出ています。 

(しみずのぼる) 

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