筒井康隆氏の名アンソロジー「異形の白昼ー現代恐怖小説集」について書くのも今回が最後です。きょう紹介するのは、野坂昭如氏の「骨餓身峠死人葛」です。これで「ほねがみとうげほとけかずら」と読みます。荒俣弘氏いわく「現代の五指に入る幻想小説」です(2023.9.7)
残念極まりない未収録
ここまでの文章で「あれ、『異形の白昼』に入っていたっけ?」と思われた方、その感想は正しいです。「骨餓身峠死人葛」は「異形の白昼」には入っていません。ですが、筒井康隆氏のあとがきにこのように出てくるのです。
アンソロジイの話がもちあがった最初から、ずっとぼくの頭にあった重要な作品が、作者の諒解さえ個人的に得ていながらも、ついに収録不能になってしまった。野坂昭如氏の「骨餓身峠死人葛」である。怖いことはいうまでもなく、現代文学史上に残る傑作である。野坂氏は敬愛する作家であるし、現代最高の流行作家でもある。この作品が収録できなかったことは、かえすがえすも心残りでならない。
収録できなかった理由について「出版社との交渉」と書いてあるので、版元の許可が得られなかったのでしょうが、もし「異形の白昼」に14作目の作品として収録されていたら……。今以上に名アンソロジーとしての地位を確立しただろうと想像すると、ほんとうに残念なことです。
阿刀田氏の本で見つける
でも、筒井氏のあとがきを読んで、わたしはぜひ読んでみたいと思い、「骨餓身峠死人葛」という一風変わった作品の名前を記憶するきっかけとなったのです。
この「骨餓身峠死人葛」に出会えたのは、やはり私がアンソロジー好きだったことが奏功したのでしょうか、探し始めてすぐ見つかりました。
私の手元にある「異形の白昼」は12刷、1990年刊行のものです。その前年の1989年に出版されていた阿刀田高編「ブラック・ユーモア傑作選」(光文社文庫)の中に、「骨餓身峠死人葛」は収められていたのです(わたしの手元にあるのは1990年刊行の初版ですが、読んだのは「異形の白昼」が先だったのは確かです)
阿刀田高氏もさまざまな恐怖小説集を編纂しています。福武文庫から出た「恐怖の森」「恐怖の旅」「恐怖の花」の3部作は、1989年に出版されるなり買い求めて思い切り耽読したものです。
そんな阿刀田氏のアンソロジーだったので、「ブラック・ユーモア」というジャンルには惹かれなかったのですが、手に取って正解でした。探し求めた「骨餓身峠死人葛」が収録されていたのですから。
なお、前文で記した荒俣宏氏のことばは、ぼくらはカルチャー探偵団編「短編小説の快楽」(角川文庫)に出てきます。金井美恵子、中沢新一両氏との鼎談で、
中沢 短編ではないけれど『骨餓身峠死人葛』なんて、すごい傑作だったね。
荒俣 あれはすごかった。日本では現代の五指に入る幻想小説じゃないかな。
卒塔婆に巻きつく花
それでは、いよいよ「骨餓身峠死人葛」の紹介です。
時は大正から昭和初期。骨餓身と呼ばれた峻嶮な峠に貧しい炭鉱があった。葛作造という伊予出身の元抗夫が鉱区申請し、自身の名をかぶせて葛抗と呼ばれた。
劣悪な環境から死者が絶えず、卒塔婆を建てて埋葬する林に、いつしか葛に似た植物が群生するようになった。
山の者はこれを死人葛(ほとけかずら)と呼び、その細い茎が卒塔婆にまきつきはじめると、「成仏しよったとたい」縁もゆかりもないながら、顔見合わせて納得し、夏になると、この寄生植物は名前に似合わぬ白い可憐な花を飾り、いささか無気味な、しかも自らの姓に関係のある花を、作造の次女たかをは好んで、父親に連れられて山へあそびに来たおりふし、死人葛の宿り主と頼むものが卒塔婆と知ってか知らずか、「うつくしか、あげん花、家の庭にも植えたか」父にねだり、かなえられぬと花をいくつか手折って、そのつどきつく叱られていた。
死人の血肉で生きる
たかをには病身の兄、節夫がいた。節夫はたかをにせがまれ、こっそり山に入り死人葛を採ってきては庭に植えた。だが、死人葛はすぐに枯れてしまった。節夫は老人に相談してみたが、庭への移植は無理といわれた。
「あの花は、死人の血肉すすって生きよるばってん、平地じゃ無理でござっしょう」
節夫から老人の話を聞いたたかをはこう返した。
「死人がいるんかいね」
ある夜、節夫はたかをに起こされた。
「兄ちゃん、起きてくんしゃい」
「もう一度、死人葛ばとってきてくれんね、頼むけん」
せがまれて節夫が死人葛を採ってくると、たかをは間引きされる予定の赤子を手に入れ、土に埋めて死人葛を植えた。「これでよか、きっと死人葛花ばさかすたい」
「うちゃ、もっと死人葛がほしいんよ。あげんうつくしか花はないとよ」
(略)
「もういらんとか、捨てるとか、はなさんでくれろ、はなさんで」うめきつつ、たかをひしとかき抱き、たかをは双手双脚、つるの如く節夫の体にからみつかせる。
夜毎、兄と妹はまじわり、夜を待ちかねて昼も広い庭内の木陰に体を重ね、年が明けて春に、作造がその姿を発見した。
ふたりは引き離され、たかをとは作造がまじわるようになった。
「体ば埋めてくれ」
同じころ、節夫は喀血した。すっかり衰えた節夫はたかをに頼みごとをした。
「兄しゃんの体ば埋めてくれ。いや、この錠はずしてくれたらば、兄しゃん自分でやる、兄しゃんの埋まったに、死人葛移せばよか、もうじき花が咲くじゃろう、白か花が、こまいかわいい花がいっぱい咲く」
このあとも近親相姦と炭鉱をめぐる地獄絵図がつづくのですが、妹のために死して花を咲かそうとする兄の情愛にはえもいえぬ気持ちにさせられます。
マッチ売りの少女
もうひとつ、野坂氏の作品を紹介します。先ほど触れた阿刀田高氏の「恐怖の森」(福武文庫)に収められている「マッチ売りの少女」です。
見た目は50過ぎにも見えて実際は24歳のお安。父がおらず、母の情夫に中学生の時に抱かれ、その行為に父の姿を見る。
「あんた、ほんまのお父ちゃんなんちゃう?」
「なんやて?」
「お父ちゃんみたいな気ィするわ」
「アホかいな。お父ちゃんて、年考えてもわかるやんか、わいまだ四十なってえへんねんで」
「そうかて、お父ちゃんみたいやわ」
息弾ませ「お父ちゃん」
母の情夫に抱かれ、継父にも抱かれ、そのたびに「お父ちゃん、お父ちゃん」と息を弾ませるお安。
流れ流れて体を売る仕事につき、売られては住むところを変え、病気になり、最後は体を売ることもできなくなった。
師走となっては凍え死ぬのを待つばかりで、せめて二日に一度はドヤに泊まりたいと考えた末が、マッチ一本五円の御開帳で、これもドヤ住まいのうちに覚えた知恵だった。
(略)
「お父ちゃん、もういっぺんだけ、お父ちゃんに抱かれたいわァ。お父ちゃんの匂い胸いっぱいに吸うて、それで知らんうちにねてしまうねん、お父ちゃんの体はいつも熱うて、汗かいとってやったな、お父ちゃん、もういっぺん来てほしいわ」
何とも哀切に満ちた作品です。
野坂氏の作品は2000年代に入って岩波現代文庫から選集が出版され、「骨餓身峠死人葛」の名を冠した巻も出ています。
(しみずのぼる)