紀田順一郎編「謎の物語」から:怖ろしい「謎のカード」

紀田順一郎編「謎の物語」から:怖ろしい「謎のカード」

「物語にはいつも”結末”があるとは限らない。追われるように息をつめて読み進むと、いよいよクライマックス、というところでフッと終ってしまう。謎は謎のまま残り、読者のあなたは宙にたたずむ。そして、謎を解きたいという衝動と不思議な味わいだけが、いつまでも、消えない…」(背表紙の案内文より) おもしろそうでしょう? きょうはとっても大好きなアンソロジーを紹介します。紀田順一郎編「謎の物語」(筑摩書房)です(2023.7.10)

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リドル・ストーリー名作集

最初に、このアンソロジーに収められている短編のタイトルと作者名、それと編者の紀田氏の作品紹介をそのまま記します。 

「女か虎か」(F.R.ストックトン)  「前門の狼、後門の虎」ということわざがありますが、この物語の主人公が直面したのは、そんな生やさしいものではなかったのです。つまり門のカギを女性が握ってしまったことで、状況はより深刻に、よりおそろしくなったのです。 

「謎のカード」(C.モフェット) 本当におそろしい話とはどういうものか。作者は果敢にも〈究極の恐怖〉に挑戦したのですが、この作品じたい、作者の予定した不安や恐怖の程度を超えてしまい、一人歩きをはじめてしまったのです。カードには、いったい何が書かれていたのでしょう? 

「穴のあいた記憶」(B.ペロウン)  作家の頭に神宿るといいますが、この話の主人公にも一瞬神が宿ったのです。けれども、それを忘れてしまった。忘却は前進の秘訣などといいますが…、世には忘れてはならないことがあるのです。 

「謎の物語」はリドル・ストーリーばかり集めた名アンソロジー

「なにかが起こった」(D.ブッツァーティ)  道ゆく人が、いっせいに一つの方向を眺めていて、それが何であるか、何が起こっているのか、あなただけが知らない…。たまに経験することでしょうが、これはそのもっともおそろしい状況なのです。 

「茶わんのなか」(小泉八雲) おそろしいという感情は説明できないものです。一つだけたしかなのは、恐怖は不条理から起こるということ。古い時代のおそろしい悪夢は、その社会の根底にある、いうにいわれない不条理を反映しています。 

「ヒギンボタム氏の災難」(N.ホーソーン)  百年以上もむかし、情報の不自由な時代には、現代では想像もできないような、ふしぎな、ぞっとするような話が生まれました。作り話のようで本当の話らしい、逆に実話めいていてうそっぽい、そんな魅力に富んだ〈謎物語〉です。 

「新月」(木々高太郎) いまとなってはめずらしい、知的な謎小説です。どのように読み解くか…。あるいは、大人の世界、大人の心理に分け入るるための、一つの試練となるような物語といえるでしょう。 

「青頭巾」(上田秋成)  理知は謎を解く武器ですが、直観やひらめきによらなければ解けない謎があります。ここに出されたのは、謎のなかでももっともむずかしい謎。作者も解けることは期待していないのですが、あなたなら案外解けるかも…。 

「なぞ」(W.デ・ラ・メア)  遠いむかし、どこかでだれかに聞いたような、とても不思議なお話です。どうして? なぜ? と問いたくなるが、相手がけっして答えられないことを、心の奥で知っている、そんなお話です。 

「チョコレット」(稲垣足穂)  たとえば朝早く町を歩いたとき、このような町に迷い込むことがあるかも知れない。どこにでもありそうな、でも、厳密にいえばあり得ない、そんな町へ迷いこんだとき、あなたは…。 

「おもちゃ」(H.ジェイコブズ)  ほんとうに、もしこんなお店があったなら、いったいどれを買ったらいいのか、あなたは迷いに迷うことでしょう。そのとき〈人生の選択〉を説明できますか? 

この種の《リドル・ストーリー》でいちばん有名なのは「女か虎か」だと思いますが、わたしが好きなのは、C・モフェットの「謎のカード」です。 

カードはフランス語?

この短編、「ニューヨークの住人リチャード・パーウェルは、学生時代にフランス語を学んでおかなかったことを、一生後悔しつづけるだろう」という書き出しで始まります。

この主人公がパリで芝居をみにいったとき、「美しい女性」がかたわらを通り過ぎさま、一枚のカードを主人公のテーブルにおいていくんです。「紫色のインクでなにやらフランス語の語句が書かれていたが、フランス語を解さぬ彼には、もとよりその意味を知るよしもなかった」 

お立ちのき願いたい

そこで彼はホテルに帰ってから、そのカードになんて書いてあるか、支配人に尋ねると、最初は「お安い御用ですとも」と気軽に応じた支配人が、「読むにしたがって、その顔は驚きにこわばり」、「このホテルから、いますぐ、今晩じゅうにお立ちのき願いたい。まちがいなくですよ」と宣告するのです。 

何が起きたのか、そもそもカードに何と書いてあるのか、皆目わからない主人公は仕方なく別の宿に止まり、翌朝、その宿のおやじにカードを訳してもらおうとすると、そこでも「もうあなたをおとめするわけにいかない」と言われる始末。友人を頼って彼にみてもらっても、「おお、なんということだ!」と絶句されるし、しまいには警察に捕まってアメリカに送り返されてしまう。でも、それでも彼の災厄は終わらない。帰宅を待っていた妻に「いっさいを物語り、彼女は、泣いたり笑ったり」していたのに、フランス語に堪能な妻もカードをみるやいなや卒倒してしまいました。

笑って聞いた妻は…

このシーンは「謎の物語」からそのまま引用しましょう。 

「だから読むなと言ったじゃないか」そう言いかけて、妻のようすがただごとではないのに気がついたパーウェルは、口調をあらため、やさしくその手をとって、落ち着くように言い聞かせた。「せめてなんと書いてあるかだけでも話してくれ。ふたりいっしょなら、堪えることもできよう。どうかぼくを信頼してくれたまえ」しかし妻は、怒りに駆られたように夫を押しのけると、いままで聞いたこともないような口調で、今後どのようなことがあろうと、二度とふたたび彼といっしょには暮らしたくない、と言いきった。「けだものよ、あなたは!」というのが、彼の耳にした妻の最後のことばだった。 

妻に去られた後も、パーウェルはいろいろな友人知人にカードの意味を尋ね、そのたびに、時に軽蔑され、時に罵倒され、ということを繰り返し、最後にカードを自分のテーブルにおいていった女性と遭遇します。

「どうか教えてください」

「後生です、どうか教えてください。なぜあんなことをなさったのです?」

でも、その女性は「あたくしがあなたにカードをさし上げたのは、あなたにーーあなたにーー」と言ったところで咳の発作を起こして絶命してしまう。結局、パーウェルはそのカードに何と書いてあるのかわからないままで終わるのです。 そう、読者のわたしたちも! 

(しみずのぼる)