「祟りじゃーっ!」の名セリフで有名な因習ミステリーの最高峰、横溝正史の名作『八つ墓村』の映画がいよいよ公開されます。監督は『呪怨』シリーズで有名なJホラーの重鎮・清水崇氏。さぞやホラー色濃厚な映画になっているのでは…と想像します。本記事では、原作小説、1977年版や1996年版といった過去の映画化作品における演出の違い、そして令和の現代設定で描かれる新作への期待や見どころについて解説します。(2026.9.8)
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目次
2026年版映画『八つ墓村』の予告編とストーリー
最初に、9月18日から劇場公開となる映画『八つ墓村』の予告編をご覧ください。
映画『八つ墓村』本予告【9月18日(金)全国公開】 内定ゼロ、彼女ナシ。大学生・井川辰弥のもとに舞い込んだ母の訃報。
https://movies.shochiku.co.jp/yatsuhakamura-movie/
奇妙な探偵・金田一耕助に誘われ、岡山県山奥に潜む「八つ墓村」を訪れる。
封印された、ルーツと怨念の記憶が目を覚ます。
村では、名家・田治見家の莫大な遺産の相続人である辰弥の帰還に合わせたかのように、不可解な連続殺人事件が発生。
金田一耕助と共に、事件に巻き込まれてゆく。
美しき未亡人・森美也子、双子の大叔母、不気味な村人たち ──。
誰も知らない“八つ墓”の秘密が今明かされる ──。
ようこそ、最高の悪夢へ。
横溝正史の不朽の名作|「祟りじゃーっ! 」が鮮烈な記憶
原作は言わずと知れた横溝正史の金田一耕助シリーズの一冊『八つ墓村』です。1949年から雑誌に連載され、1951年に刊行。ウィキペディアによると、
本作を原作とした映画が3本、テレビドラマが7作品、漫画が5作品、舞台が2作品ある(2020年6月現在)。10度の映像化は横溝作品の中で『犬神家の一族』に次いで多い。
1977年の映画化の際、キャッチコピーとしてテレビCMなどで頻繁に流された「祟りじゃーっ! 八つ墓の祟りじゃーっ!」という登場人物のセリフは流行語にもなった。
ということです。わたしも1977年版の映画化で放映された「祟りじゃーっ!」のテレビCMはリアルに覚えています。
でも、原作は読んだことがなく、映画も未見だったので、4度目の映画化となる清水崇監督版『八つ墓村』の予習のつもりで、原作を読み、1977年版(野村芳太郎監督)と1996年版(市川崑監督)を観ました(映画はどちらもU-NEXTで視聴できます)
戦国の頃、三千両の黄金を携えた八人の武者がこの村に落ちのびた。だが、欲に目の眩んだ村人たちは八人を惨殺。その後、不詳の怪異が相次ぎ、以来この村は”八つ墓村”と呼ばれるようになったというーー。大正×年、落人襲撃の首謀者田治見庄左衛門の子孫、要蔵が突然発狂。三十二人の村人を虐殺し、行方不明となる。そして二十数年、謎の連続殺人事件が再びこの村を襲った……。現代ホラー小説の原点ともいうべき、シリーズ最高傑作
横溝正史『八つ墓村』(角川文庫)
物語の始まりと「津山三十人殺し」を巡る背景
原作は、主人公の寺田辰弥が、事件がすべて終わった後に金田一耕助から勧められて執筆した手記の体裁をとっています。
ラジオで流れた人探しのCMから弁護士事務所を訪ねた辰弥は、弁護士から「実はある人があなたを捜している。その人はたいへん金持ちだから、きっとあなたのために悪いようにならないだろう」と言われたが、気味の悪い手紙も舞い込んできた。手紙にはこう書いてあった。
八つ墓村にかえってきてはならぬ。おまえがかえってきても、ろくなことは起こらぬぞ。
八つ墓明神はお怒りじゃ。おまえが村へかえってきたら、おお、血! 血! 血だ!二十六年まえの大惨事がふたたび繰りかえされ八つ墓村は血の海と化すであろう。
「二十六年まえの大惨事」とは、田納見家の当主・要蔵が突然発狂して、村内で次々と殺戮を繰り返し、32人の犠牲者を出した事件のことで、原作では冒頭に書かれています。
村の人たちは突然、時ならぬ銃声と、ただならぬ悲鳴に眠りをさまされた。銃声は一発にとどまらず、間をおいて二発、三発とつづいた。悲鳴、叫声、救いを求める声はしだいに大きくなった。何事が起こったのかと表へ飛び出した人々は、そこに世にも異様な風体をした男を見た。
その男は詰襟の洋服を着て、脚に脚絆をまき草鞋をはいて、白鉢巻きをしていた。そしてその鉢巻きには点けっぱなしにした棒型の懐中電灯二本、角のように結びつけ、胸にはこれまた点っけぱなしにしたナショナル懐中電灯を、まるで丑の刻参りの鏡のようにぶらさげ、洋服のうえから締めた兵児帯には、日本刀をぶちこみ、片手に猟銃をかかえていた。
これは昭和13年に岡山県西加茂村(現在の津山市)で実際に起きた「津山三十人殺し」という大量殺戮事件をモデルにしています。
1938年(昭和13年)5月20日17時ごろ、都井は電柱によじ登り送電線を切断、貝尾集落のみを全面的に停電させる。しかし村人たちは停電を特に不審に思わず、これについて電気の管理会社への通報や、原因の特定などを試みることはなかった。
ウィキペディア – 津山三十人殺し
翌5月21日1時40分ごろ、詰襟の学生服に軍用のゲートルと地下足袋を身に着け、頭にははちまきを締め、小型懐中電灯を両側に1本ずつ結わえつけた。首からはナショナルランプを提げ、腰には日本刀一振りと匕首を二振り、手には9連発に改造したブローニング・オート5を持った。
「八つ墓明神」の謂われも冒頭に書かれています。あらすじのとおり、戦国時代の八人の落ち武者を村人たちが謀殺。その後に怪異が続いたため、武者たちの死骸を集めて明神様として祀ったものの、謀殺の首謀者の嫡流である田治見要蔵が32人殺しを行うなどして、村では祟りを怖れる風潮が強く残っていることを記しています。
連鎖する毒殺事件と八つ墓明神の祟りの予言
辰弥のもとへ弁護士から再び連絡が入り、辰弥は弁護士事務所で母・鶴子の父、辰弥の祖父にあたる井川丑松と引き合わされた。丑松はこう説明した。
辰弥の本当の名前は「田治見辰弥」と言い、実の父は田治見要蔵という名で、現在家を仕切っている要蔵の伯母にあたる双生児の小海・小竹姉妹は、辰弥に田治見の家を継がせようと考えているーー。
ところが、その場で丑松は突然苦悶の痙攣を起こして絶命。警察の調べで毒を飲まされて殺害されたことがわかる。
この事件の後、小海・小竹姉妹の使いという美貌の未亡人・森美也子が正式に訪れ、美也子に連れられて辰弥は八つ墓村に赴く。
村に入ると、辰弥は老婆ーーあとで濃茶の尼という名前と聞かされるーーからにらみつけられた。
「来るな、来るな、かえれ、かえれ。八つ墓明神はお怒りじゃ。おまえが来ると村はまた血でけがれるぞ。八つ墓明神は八つのいけにえを求めてござる。いまに八人の死人が出るのじゃ」
そして、濃茶の尼の”予言”どおり、第1の被害者・丑松に続いて田治見家の嫡男で病床にある久弥(辰弥の異母兄)が毒殺され、第3、第4……と殺人事件が続き、村人たちは八つ墓明神の祟りと怖れ、ついに田治見家を襲撃するーー。
「人間恐怖」を描く原作と過去映画での祟り演出
原作のあらすじに「現代ホラー小説の原点ともいうべき」とあります。
次々に起こる殺人事件の犠牲者の死因は大半が毒殺です。ですから、あくまでも人間の仕業です。
しかし、相次ぐ殺人事件で村人たちに「これは八つ墓明神の祟りかも…」という風聞が広がり、原作の終盤、村人たちが田治見家を襲撃し、辰弥を殺そうとします。
「怖いのは怪異よりも人間」という点で、「現代ホラーの原点ともいうべき」という評価につながっているのでしょう。
もっとも、過去の映画化作品(1951年版は未見)では、戦国時代に村人たちに惨殺された八人の落ち武者たちの祟りを想起させるストーリーを強調しています。
特に1977年版は、鍾乳洞で辰弥を襲う犯人の顔がまるで夜叉のように変化し、何らや怪異が憑依したかのような演出でしたし、渥美清演じる金田一耕助の謎解きも、落ち武者の祟りとの関係を紐解く部分があったりします。
また、原作は1951年刊行の小説ですから、出版当時の現代ーー昭和20年代の時代設定で、1996年版の映画も、時代設定は原作と同じ昭和20年代でした。
ところが、1977年版は映画公開時の現代——昭和50年代の時代設定です。萩原健一さん演じる主人公も空港職員という設定でした(映画の主要スポンサーが日本航空だったため、とウィキペディアにあります)
清水崇監督が挑む令和版『八つ墓村』への期待
では、もうすぐ公開される清水崇監督の2026年版は、原作のどこを踏襲し、どこを改変しているのでしょうか。
公式HPのあらすじに主人公の設定について
内定ゼロ、彼女ナシ。大学生
と書いているので、令和の時代の物語となっているようです(別の予告編で、バスに乗ろうとする尾上松也さん演じる金田一耕助が北里柴三郎の千円札を手にしているので、きっと間違いないでしょう)
しかし、それ以上に興味をそそられるのが、祟りの要素をどこまで強く打ち出しているのか、という点です。
何と言っても『呪怨』シリーズの清水崇監督です。これはもうホラー色が全開だろう!と想像します。
公式HPに清水監督は次のようにコメントを寄せています。
新解釈やオリジナル展開を盛り込みながらも、現代にこそ通じる人の闇と業を描いたつもりです。恐ろしいのは祟りか呪いか?人と世の不可思議に挑む金田一の新たな姿を楽しんでいただけたら幸いです。
「現代にこそ通じる人間の闇と業」ーー。清水監督はどんなふうに原作を改変しているのでしょうか。
ものすごく期待が高まりますね。予習も万全ですし、劇場に行くのが今からとても楽しみです。
(しみずのぼる)
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