澤村伊智氏のホラー小説「比嘉姉妹」シリーズで、今年5月に発売された短編集『ととはり屋敷』は、長女・琴子と三女・真琴以外の家族がすべて怪異で喪われる悲劇を扱っています。収録短編はどれも秀作揃いですが、その中でも哀感漂う表題作の魅力を中心に解説します。(2026.8.10)
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目次
比嘉家の家系図と短編で明かされるきょうだいの最期
発売日では『ざんどぅまの影』(KADOKAWA)の直後に出版された短編集『ととはり屋敷』(角川ホラー文庫)は、巻頭にまず驚かされます。比嘉家の家系図が載っているのです。
『ざんどぅまの影』に登場する比嘉勝子(1918-1981)、その娘・栄恵(1956-2009)、その夫・大城純平(1954-2009)の名が出てきます。
そして、栄恵と純平の子供として、7人の名前が載っています。
- 琴子(1982- )
- 美晴(1983-1998)
- 真琴(1988- )
- 龍也(1989-2003)
- 虎太(1989-2003)
- 肇(1994-2005)
- 栞(1995-2009)
中学三年生で亡くなる美晴の最期はシリーズ2作目『ずうのめ人形』(角川ホラー文庫)で描かれますが、双子の龍也・虎太以下のきょうだいの最期は、『ととはり屋敷』所収の各短編で明らかにされます。
最強の霊能者・比嘉琴子には6人の弟妹がいた。だが、生き残ったのは真琴だけ。弟の双子・龍也と虎太を襲ったキャンプ場の惨劇、その下の弟の肇が挑んだ少年野球チームの怪、末子の栞が命がけで対峙した凶悪な獣。住人不在となった比嘉家は、いつしか呪われた家として話題を集めていた。家に現れる「ととはり」という文字列と、人を襲う化け物の正体とは――。家族の歴史を紐解く、比嘉姉妹シリーズの前日譚となる短編集!
『ととはり屋敷』(角川ホラー文庫)
中学一年生で亡くなる龍也と虎太の最期は「チノカゼ、あるいは怪談の双曲線」で、小学五年生で亡くなる肇の最期は「受け継がれるもの」で、中学二年生で亡くなる栞の最期は「このイベントはフィクションです/この怪談は実話です/この小説はエンタメです」で描かれます。
都市伝説「Hさんの家」として流布する比嘉家の悲劇
「このイベントは…」では、モキュメンタリーホラーのイベント座談会の体裁で、比嘉家のきょうだいたちの変死が「Hさんの家」などの都市伝説として広まっていることが描かれます。
「友人が都内某所の公園で、顔が異様に大きな、半透明の小学生らしき男児が座っているのを見た。近所に住む親戚に打ち明けたら、『男児はきっとHくんの霊だ。数年前、その公園で野球のボールが顔面に当たって死んだ子だ』と教わった」
教えていただいた怪談は大まかに言うと、
「部活で山にキャンプに行った中学生と顧問が行方不明になった。捜索隊が山に踏み入ると人間の肉片や骨片らしきものをいくつか見つけた」
というもの。(略)行方不明者の中に「Hくん」という、二人の男子生徒がいた。
その怪談の骨子は「保健室に女子生徒の幽霊が出る」という凡庸なものですが、いくつものバリエーションがある。そのうちの一つは、女子生徒に名前が付いているんです。「Hさん」と。
詳細は割愛しますが、変死した教諭が最後に受け持っていたクラスに霊感体質の女子児童がいて、彼女が体育館の霊に関わったことがきっかけで、事件が起こるんです。その女子児童の名前が……そう、またしても「Hさん」なんですよ。
「都内某所に、一家全員がみな強い霊感を持つ『H』という家族がいた。一家の周りでは不審な事件事故が相次いでいだ。そしてH家は二十世紀末からゼロ年代にかけて、構成員が次々に謎の死を遂げたことで消滅した」
今では愛好家の間で「Hさんの家」などと呼ばれている、一連の怪談群です。
比嘉きょうだいを襲う悲劇と、それがエンタメと化している浮ついた風潮のコントラストが効いています。
そして、この短編集の掉尾を飾るのが表題作「ととはり屋敷」で、都市伝説として面白おかしく流布された「Hさんの家」の怪異の真相が描かれます。
旧比嘉邸「ととはり屋敷」への潜入と父・純平との出会い
七村一彌は13年務めた会社をリストラされ、警備員のアルバイトと「独身中年男性ナナぽんの悪足掻き」というタイトルの動画配信でどうにか食いつないでいる身だ。
動画でアクセス数を稼ぐのは怪談話だった。自宅アパートで試した降霊術もアクセス数が伸びた。
次のネタにしようと思って下準備を始めたのが、通称「ととはり屋敷」の名でネットで広まる空き家だった。
七村はかつて、今では怪談話のネタとなっている「ととはり屋敷」ーー比嘉邸に25年以上前に入ったことがあった。七村は比嘉家の長女・琴子と中学時代の同級生だった。
中間テストの直前、筆記具を買いに外に出たところ、中年の男性に声をかけられた。
「あのさ、ちょっと道を教えてもらえないかな」
「どこ行かれるんですか」
「俺ん家(ち)」
「え?」
「何度電話しても留守でさ。バスに乗ろうと思ってここまで来たんだけど、よく考えたらどこで降りたらいいのか思い出せない。で途方に暮れてたらお兄さんが通りかかってってわけ。ね、どう帰ったらいいかな?」
当時はスマホなどない。地図アプリで経路を調べる…なんてこともできない時代だ。七村が「失礼ですが、お名前は……」と訊くと、中年の男は「比嘉っていう家」と言ってから、こう続けた。
「ひょっとしてお兄さん、上の娘二人と年近いかも。琴子と、美晴。上はたしか中三で、下は中一かな」
「はい。あの、僕、上の娘さんと同じクラスです」
「俺、純平。大城純平って言うの。よろしく」
七村は琴子の家を知っていたので、男を家まで案内した。赤ん坊(栞)を背負う琴子が玄関口に出てきた。
「ごめんね琴子。ほんとごめん。今日はほら、普通に帰ってきただけだから。先月とは違うから。ごめん。おもりも手伝うしさ」
純平はヘコヘコと詫び続けた。今なら分かるが、純平は「今日は金を借りに来たわけではない」と言っていたのだろう。私に悟られまいと言葉を選んでいたわけだ。
琴子は七村に御礼を言い、「お茶でもどうぞ」と家に上げた。
「父のことだから、途中『歩けない』『疲れた』なんて言ってたんじゃない? それで七村くんが手を引いてあげたり、肩を貸してあげたり」
「普通だったよ。俺はただ案内しただけ」
「そう。よかった」
琴子は表情一つ変えずに言った。「先月はそうだったらしくて、五十嵐くんに迷惑をかけたの」
「五十嵐って、あの五十嵐?」
「うん。犬の散歩をしてる途中、父に呼び止められたって言ってた」
同じ学年の陰気な、いやーー変な男子だった。頭痛持ちなのか、いつも頭を押さえたり抱えたり、髪をぐしゃぐしゃと搔き毟ったりしている。学校も休みがちだし成績もよくない。小学校低学年の頃は快活な優等生だった気がするが、いつの間にか変わってしまった。
「へえ、あいつが。意外」
思わずそう口にしていた。すると、
「意外じゃない。ずっといい人よ」
琴子がすぐさま言った。
わたしは最初、読み飛ばしてしまいましたが、ここで登場する「五十嵐くん」が、シリーズ3作目『ししりばの家』(角川ホラー文庫)で小学四年生の時に怪異に遭遇し、大人になって琴子と一緒に怪異の源「ししりば」と立ち向かう五十嵐哲也です。
かつての恩返しのため旧比嘉邸を見張り続ける五十嵐
比嘉きょうだいを襲った悲劇を知っていた七尾は、かつての比嘉邸ーー比嘉家が越した後、短期間に何度も持ち主が変わり、最後は空き家となった家ーーに忍び込んで動画撮影することを計画した。
潜入動画を撮れば凄いものが映るかもしれない。いや、撮ってみたい。いい年して怖くなっているが、それでも忍び込んで撮りたい。
「Hさんの家」の新情報だから、という気持ちもあった。「Hさんの家」は「ととはり屋敷」であるーー
怪談好きにはまたとないスクープだろう。きっと大きな話題になるに違いない。
「ととはり屋敷」には由来があった。「ととはり」という意味不明な奇妙な文字の羅列が、家の中に書いてあるーーというものだった。
旧比嘉邸宅に忍び込んだ七尾は「ととはり」の文字を捜したが、それらしきものはどこにもなかった。
すると背後から音が聞こえた。
とん、ギシッ
ギシ、ギシ
ぎっ、だんっ
咄嗟に玄関ドアを掴んだ。しかし開かない。足音が迫ってきた。
ううう、と恐怖のあまり私が呻いた。その時。
「そこで何をしてる?」
落ち着いた声が背後から飛んだ。
「配信? すぐに止めてほしい。手荒な真似はしないから。お願いします」
振り向くと中年の男性が立っていた。
「すみません、あの、すぐに出ます」
詫びの言葉を口にしたところで、
「……ひょっとして七村? 七村一彌?」
男性が訊いた。しげしげと私を見ている。その顔に見覚えがあった、と思ったとたん、記憶の扉が一気に開いた。
「五十嵐?」
私は思わず口にしていた。
男性は頷いた。小中と同じ学校に通っていた、五十嵐哲也だった。
旧比嘉邸を出て酎ハイを呑みながら二人は会話をかわした。
「心霊スポットだ何だって、玩具(おもちゃ)にされるのはイヤだから。比嘉さんには色々助けてもらったから余計に、黙って見てられなくなってね」
「助けてもらった?」
「ああ、信じて貰えるか分からないけど……変な化け物に祟られて、それを治してもらった」
「変な化け物」ーー「ししりば」のことです。
「……だから、あの家を見張ってる。毎日は無理だけど、できるだけ。それがせめてもの恩返しというか、僕が比嘉さんにできることかなって」
怪異の真相と柱に浮かび上がる「ととはり」の切ない意味
しかし、七村は旧比嘉邸に自宅の鍵を落としていた。やむなく五十嵐と一緒に旧比嘉邸に戻ると、二人の目の前で怪異が始まった。
天上の一角が円く照らされる。その中央に、
み
下手くそな字でそう書かれていた。
「み」のすぐ近くに、新たな文字が浮かび上がっていた。
や ら
目の前に柱があった。ひと抱えもある、飴色の、表面の摩耗した柱が、私の目の前に聳え立っていた。斜めに傾いでいる。
「こんな柱……」
ゆっくり見上げて、そこで気付く。
柱にまた字が書いてあった。と と はり
柱の両側から、長いものが現れた。手だ。ぼろぼろの手が向こう側から、柱を抱きかかえているのだ。
足も見えた。手と同じように、柱に跨っている。
わたしたちの前に、顔を見せようとしている。
引用はここまでにしておきましょう。この後、琴子が登場して怪異の正体を解き明かします。
怪異の正体、そして柱に浮かび上がる文字が意味するものーー。それが明らかになった時、多くの読者は、哀切極まりない真相に胸を打たれるでしょう。
収録作はどれも読みごたえがあります。でも、直前に出版された『ざんどぅまの影』(KADOKAWA)を事前に読んでおくと、表題作の哀切溢れる怪異の正体が、より心に沁みるかもしれません。
(しみずのぼる)
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