澤村伊智氏のホラー小説「比嘉姉妹」シリーズで、今年5月に発売されたばかりの長編『ざんどぅまの影』を紹介します。沖縄からの移住者が多く住む街が、海から来た怪異のもたらす連続変死事件を契機に壊れていく様を描いたホラーミステリー。狂気の宿った人間は怪異以上に恐ろしい存在であることを克明に記す秀作です。(2026.8.9)
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目次
5月に出版された「比嘉姉妹」シリーズの長編最新作
澤村伊智氏の「比嘉姉妹」シリーズは、シリーズ2作目『ずうのめ人形』(角川ホラー文庫)と3作目『ししりばの家』(同)について記事にしています。
『ざんどぅまの影』(KADOKAWA)のあらすじを紹介します。
1981年、神奈川県Q区。沖縄からの移住者が暮らす街で新生活を始めた篤は、ある夜、「びしゃっ」という水の音と共に、全身ずぶ濡れの人影を目撃する。その日を境に、Q区の住民が次々と“自宅で海水に溺れ死ぬ”という異様な死を遂げていく。街が疑心暗鬼に包まれ、自警団が結成される中、篤は“おばぁ”と呼ばれる比嘉勝子のもとを訪ねる――。
『ざんどぅまの影』(KADOKAWA)
本書は、既に亡くなっている佐久間篤の霊を、比嘉琴子が降霊術で「口寄せ」した記録という体裁を採っています。
佐久間篤は居酒屋「あさか」の店員と新聞配達をしている。篤が移り住んだ神奈川県Q区は、沖縄からの移住者が多く暮らしていた。
「あさか」の常連のひとりは大城純平という名だった。店に来ればたいてい酔い潰れて、同棲中の女がお金を払い、純平を連れて行く…という光景が繰り返された。
純平は典型的なヒモでした。
今回もまた、彼の飲み代を女が払う。
嫌だな、と私は思いましたが、顔に出ないようにしたのです。
「ありがとね」
純平がへらへらと言いました。女は複雑な表情のまま微笑みました。
二人が店を出た後、残った客が会話を始めた。
「大城んとこの一人息子か」
「ちっちゃい頃はいい子だったんですけどねぇ。親御さん病気で亡くしてからすぐに仕事辞めちゃって、それからずっとあれです」
「それは知ってるよ。俺が知らないのは相手の子だ。誰だっけ?」
「え? 栄恵ちゃんですよ」
「あの子が? 末っ娘の? 俺の知ってる末っ娘は大人しくて、真面目で……」
「ええ。でもあの子はそれが嫌だったんだろってみんな言ってます。親の教育が裏目に出たんじゃないかって。勿論当人にも、親にも聞こえんとこで」
異邦人に優しい街を襲う海からの怪異
Q区には沖縄からの移住者が大勢暮らしていた。
見た目でそれとなく分かりました。分からない場合も苗字で気付きました。
牛乳配達の青年、赤嶺。
「あさか」の島袋さん。
新聞販売店にも一人いました。
ヒモの大城純平も。
その交際相手である栄恵という女性も、顔立ちから容易くそうだと分かりました。
沖縄からの移住者を受け入れ「共生」する街だからこそ、5年前に伯父のもとを飛び出した篤は、異邦人に優しい街を気に入り、「ずっと住み続けたい」と考えていると、場違いな音が聞こえた。
びしゃっ
夜道を歩いていると、篤の歩調に合わせて「びしゃっ」という音が追ってきた。
今度の音はすぐ後ろで聞こえました。
水浸しの布を、地面に叩き付けたような音。
腕と踝に転々と、生温かい液体が掛かりました。水飛沫でした。たった数滴なのに酷く不快でした。
篤は「この世のものではない」と直感した。首の右側を触られ、脱兎のごとく逃げ出した。
公園の遊具に隠れて新聞配達までの時間をやり過ごし、夕方「あさか」に出向くと、常連の菱尾が変死体で見つかったと知らされた。部屋の中なのに溺死したという。篤は「びしゃっ」という音を立てる怪異のしわざと確信したーー。
ユタの”おばぁ”との出会いと「比嘉姉妹」のルーツ
篤は怪異に遭遇してから体調を崩し、アパートで臥せっていると、篤が恩人と慕う恭介の手配で、恭介の後輩・省三が”おばぁ”のもとへ篤を連れていった。
「おばぁ」なる人物は、戦前に沖縄から移住してきた人のうちの一人でした。彼女は向こうにいた頃から、ずっと「ユタ」という仕事を続けていました。
ユタ。
今は「民間の巫覡師(ふげきし)」と理解できます。沖縄文化圏のシャーマンであり、当地の人々から今なお信仰され信頼されている職能ーーと言ったほうが正確でしょうか。
おばぁの見立ては「マブイを落とした」というものだった。
「この状態を、わたしらの言葉ではそう言うの。原因は色々あるけど、今回の場合は間違いなく、その妙なヤツのせいさ。それに触れられて、ビックリした時にマブイを落とした」
篤の不調を当て、見事に払ったおばぁーー彼女が比嘉勝子で比嘉姉妹の祖母にあたり、勝子の娘・栄恵とヒモの大城純平が比嘉姉妹の両親にあたります。
つまり、『ざんどぅまの影』は、比嘉家のルーツを明かす作品です。単行本の帯に、
「比嘉姉妹」シリーズビギニング
と書いてあるのはそのためです。
怪異以上に恐ろしい人間の狂気と排外主義の暴走
『ざんどぅまの影』のストーリーそのものは、篤が遭遇した海から来るものーー街の住民たちが”ざんどぅま”と名付けた化け物が次々にもたらす変死事件から、異邦人に寛容だった街自体がおかしくなっていく様を克明に描いています。
「あさか」の店には「沖縄人おことわり」の貼り紙が張られ、牛乳配達の青年・赤嶺が行方不明になり、省三らが作った自警団が沖縄の人たちを襲撃していく……。
怪異以上に怖いのはやっぱり人間ーーと改めて気付かされる小説です。
街の人間の暴走を食い止める切り札ーー勝子が篤に伝授した意外な方法は、明かすと重大なネタバレになってしまうので詳細は控えますが、人間の醜悪さ卑屈さを浮き彫りにするもので、皮肉が効いた結末は読んでいて深く考えさせられます。
幼き日の比嘉琴子との出会い:過酷な物語に残された救い
『ざんどぅまの影』の終章に、篤が亡くなった勝子の家を訪ねて、幼い頃の琴子と会う場面が出てきます。
「ええと……僕の名前は、佐久間篤です。栄恵さんの知り合い。ちょっと友達。分かるかな」
「うん」
初めて声を出しました。雰囲気や態度と全く齟齬のない、儚く消え入りそうな声でした。
「あなたの名前は?」
「ことこ。ひがことこ」
人間の醜悪さをストレートに描いた『ざんどぅまの影』の中で唯一と言ってよい、穏やかな気持ちで読める場面です。
「あの」
女の子ーー琴子が言いました。
「ん? 何だい」
私は訊きました。
「その人は……お祖母ちゃんですか」
琴子はそう言って、私の右肩を指差しました。
「お祖母ちゃん?」
琴子がまた言いました。私はつい訊ねました。
「いるの? ここに?」
(略)
私は動揺していました。勝子の話なんて一言もしていないし、この子が私の用件など知るはずもない。
この子はーー本物なのか。
「えっ……うん」
琴子は一瞬目を見開いて、すぐ何度も小刻みに頷きました。私の前か傍らに誰かがいて、その人の話を聞いている。そうとしか思えない仕草でした。
まさか。まさか。
「えっと、篤さん」
「はい」
私は緊張しながら答えました。
彼女は聞き耳を立てる仕草をして、
「ありがとう、ってお祖母ちゃんが言ってます。あ……篤のおかげで、人が、たくさん、助かって、楽しく生きてるって」
今年5月に出版された「比嘉姉妹」シリーズの最新短編集『ととはり屋敷』については、別記事にまとめます。
(しみずのぼる)
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