矢樹純『或る集落の●』感想|10年越しに紙書籍で再刊された村ホラーの秀作

矢樹純『或る集落の●』感想|10年越しに紙書籍で再刊された村ホラーの秀作

矢樹純氏の連作短編ホラー小説『或る集落の●』を紹介します。本作は著者が電子書籍で個人出版した作品が出版社の目にとまり、10年の歳月を経て講談社から刊行された村ホラーの秀作です。青森県のP集落にまつわる不可解な怪異譚を軸に、伏線が巧みに絡み合う連作構造の魅力と見どころを解説します。(2026.8.2) 

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個人出版の電子書籍から10年を経て講談社で再刊された経緯

矢樹純氏の小説は、先日紹介した講談社の『最恐ホラー』シリーズで読みました。 

P霊園そばの縦に長い土地」(『最恐ホラー 忌まわしい土地』所収)で、講談社の担当編集者から次のように持ち掛けられたと出てきます。 

「ちょうど『或る集落の●』の発売が近い時期に、『週刊現代』でモキュメンタリーや実話怪談テイストの短編の競作をしていただくという企画が上がっていて、矢樹さんもどうでしょうか」 

このくだりを読んで驚きました。

なぜなら、わたしはずいぶん昔に『或る集落の●』を読んだことがあったからです。 

調べてみると、著者が売れない時期で、出版するあてもなく、それでもどうしても書きたくて個人出版に至った…という経緯だったそうです。 

「べらの社」は2013年に第8回『幽』怪談文学賞短編部門に応募し、最終選考に残った作品でした。京極夏彦先生や岩井志麻子先生に講評をいただいて感激したのを覚えています。 

矢樹は2012年に長編ミステリーでデビューしたものの、デビュー作が売れなすぎて次作が出せず、当時はホラーでの再デビューを目指して四苦八苦していました。 

結局そちらも受賞が叶わず、けれどどうしても誰かに読んでもらいたくて個人出版したという経緯があります。 

矢樹純氏のnote – 『或る集落の●』書籍化&出版停止のお知らせ 

それにしても、 

個人出版の電子書籍を、わたしはどうして読もうと思ったのだろう? 

と不思議に思い、Amazonの購入履歴を確認したところ、三津田信三氏の『のぞきめ』をKindleで購入した直後に三津田氏の『ついてくるもの』と併せて購入していました。 

なるほど~。『のぞきめ』は典型的な“村ホラー”だから、購入履歴からリコメンドされたんだな… 

と合点がいきました。 

Amazonの購入履歴

とはいえ、購入時期は2016年。ちょうど10年前です。 

懐かしく思って再読したところ、巻頭を飾る「べらの杜」はすこし覚えていましたが、他の3作品はまったく覚えておらず、新鮮な気持ちで読めました。 

その勢いで、2025年に出版された講談社版『或る集落の● 』もKindleで購入して読み、新たに収録された3つの短編もP集落絡みでしたから、久々に王道の”村ホラー”の世界に耽溺しました。 

2015年にKindleで個人出版された『或る集落の●』
2025年に講談社から出版された『或る集落の●』

連作短編集『或る集落の●』の構成と収録作品の概要

個人出版の『或る集落の● 』は、4つの短編からなります。著者のnoteからあらすじを紹介すると、 

  • 田舎の集落に暮らす姉を訪ねた「私」――しかし姉は、姉ではないものに変貌していた(「べらの社」) 
  • 病気の治療のために、どんな病も治す猿がいるという集落に閉じ込められた「私」を悪夢が襲う(「うず山の猿」) 
  • やくざの下っ端の「俺」と、ある集落の生まれで自身を人間じゃないと言い張る不思議な「兄弟」の物語(「がんべの兄弟」) 
  • 奇妙な因習の残る集落に嫁いだ「私」は大切な一人息子と引き離される。三年後、帰ってきた息子は《何か》が違っていた(「まるの童子」) 

そして、講談社版は、上記4つの連作短編を 

  • P集落の話(べらの杜 / うず山の猿 / がんべの兄弟 / まるの童子) 

とひとつにまとめ、 

  • 蜜室の獣 
  • 天神がえり 
  • 拡散にいたる病 

という雑誌等に掲載された3つの短編を加えています。 

ただし、3つの短編ともP集落にまつわるホラーですから、一冊まるごとP集落にまるわる連作短編集となっています。 

この中から、きょうは「うず山の猿」を紹介します(引用は講談社版) 

「うず山の猿」で描かれる奇妙な猿がもたらす恐怖

「先生」と呼ばれる男が主人公で、耳たぶの先が割れている、特徴的な耳をしていた。 

先生は、妻が死産した直後からアルコールを離せなくなり、酒絡みで周囲に迷惑をかけた結果、東京に妻を残してP集落の古びた家に移り住んできた。 

「先生」の世話をするのは、腕に亀の刺青が入った男で、川辺という名だった。数日おきに訪れてゴミの処分や料理の世話をした。 

「できたよ、先生。ほら、ビールも冷えてる」 

「ビールだけもらうよ。食べ物は受け付けないと思うから」 

「それはまずいよ、先生。五日も食ってねえんだろ。餓死させたなんてことになったら、奥さんは何をしてたんだって話になるよ。奥さんのこと、責められて平気なのかよ。これ以上、迷惑かけたくないだろう」 

酒飲みたさに無理して食べ物を口にしていると、川辺が言った。 

「ーーんで先生、猿は下りてきたのか」 

「うん、うん。猿ね。どうだったかな」 

「こごさ来た時に教えだべ。あそごの空き家を過ぎだ先の山ーー天神様のあるうず山には、病気を治してくれる猿がいるんだって。猿、見でねえが」 

先生は妻から「しばらく田舎で療養して、専門家に頼んで、病気を治してもらうことになった」と言われたことを思い出した。 

「うず山の猿には天神様の力が宿っていて、どんな物病みでも吸い取ってくれるって言い伝えがあるんだ。んだがら先生、早く猿が下りでくるように、山さ参らねばだめだ。猿は病人の臭いに寄ってくるがらな。家の中に籠ったまんまじゃ、猿に気づいでもらえねえべ」 

ある夜、体調がすこし良くなったため、先生は外に出た。川辺に教えられた山を登ると、紙垂(かみしで)が下がる白樫の木があり、その根元の石の台座に朱色のひょうたんが置かれていた。顔を近づけるとワインの匂いがした。 

ひょうたんを持って家に戻って寝てしまうと、何かに追われる夢を見た。目をあけると赤い無表情な顔があった。猿だった。 

猿は先生が持ち帰ったひょうたんを抱えていた。「それはお前のものだったんだな。持って帰ってくれていいよ。もう、泥棒みたいな真似はしないから」と先生が言うと、猿はひょうたんに口をつけ、ごくごくと飲み始めた。そして、先生の口に唇を突っ込んできた。 

猿はいったん唇を離すと、一息つくように手にしたひょうたんに口をつけ、喉を鳴らして酒を飲んだ。それから再び私の唇を吸い出した。
猿は焦らすように、また唇を離す。金色の瞳で正面から私を捉えたまま、ひょうたんの酒を口に含んだ。
思いのほか柔らかなその手が喉元を辿り、耳たぶまでを撫でるように動いた。
先の割れた耳たぶの形を、猿の指がなぞる。

先生は翌日訪ねて来た川辺に猿の来訪を言うと、川辺は頬を紅潮させて喜んだ。「良がっだ。これで一安心だ」

ただ川辺はもう来れないと言う。人を殺してしまったからだという。 

「俺、分かってなかったんだよな。殺していいもんだと思ったら、他の奴にとっては大切なもんだったの。あるよな、そういうこと。俺は誰かを傷つけたのなら、償わなきゃと思ってたんだけど、聞いたら俺のこと、生きたままちょっとずつ犬に食わすとか言ってるらしくて、それはやっぱり嫌だし、死ぬ前に会いたい奴もいるから、一旦逃げることにした」 

川辺が去って3日後の夜、先生はふたたび猿に会った。猿は手に何かを抱えていた。 

りんご二つ分ほどの大きさの、白っぽいもの。私はその場に膝をついて顔を近づけた。雨上がりの濡れた草のような匂いを放つ、それはーー。
子供の猿だった。

先生は「お前の子か?」と訊ねると、猿は指の先で子猿の頭の毛を掻き分けて、しきりにこちらに向けていた。 

いったい何を見せようとしているのか、いかにも柔らかそうな毛にうずもれたそれに気づいた瞬間、私は喉が裂けんばかりに絶叫した。

私と同じ、先が割れたようになった耳たぶ。妻が産んだ赤ん坊の死体も、同じ耳の形をしていた。
猿が人間の子供を産むはずがない。まして猿と出会った夜からまだ数日だ。私の子であるはずがないのだ。
頭では分かっていても、絶対にこれを人の目に晒してはいけないという、切実で強迫的な確信があった。

引用はこのあたりまでにしましょう。 

作中に散りばめられた伏線とP集落に伝わる怪異の謎

川辺は、次の「がんべの兄弟」にも出てきます。暴力団員の川辺はP集落の出身で、 

「俺、《がんべ》だから。人間じゃないんで、人殺すのは平気なんすよ」 

と兄貴分に言う場面が出てきますし、対立するヤクザの娘を殺して「犬に食わせる」と言われる場面も出てきます。 

《がんべ》が何かは、次の「まるの童子」に出てきますし、川辺が何者かもここで明かされます。 

こう書くと巻頭の「べらの杜」だけがP集落という以外につながりが薄そうに思えますが、さりげなく腕に亀の刺青がある男が出てきます。 

川辺の名の由来ーー戸籍の聞き取りで役場の人間が《がんべ》を聞き間違えたーーは「密室の獣」に出てきます。 

断片的な手がかりがつながる連作ホラー短編集の奥深い魅力

拡散にいたる病」は、ラジオに寄せられた怪談話を紹介するコーナーに「父親の作品を盗作された」という苦情が持ち込まれるところから始まります。 

「盗作されたのは『P集落の話』という短編集のうちの一編でした」 

「差し支えなければ、その盗作されたという小説のあらすじを、簡単にでもお話しいただけますか」 

「ええ、はい……確か、猿が出てくるんです。猿が作ったお酒を飲んだら、病気が治ったというような話でした」 

お詫びかたがた、ラジオのMCと構成作家が作者の住む青森のP集落を訪れる…というストーリーですが、ここにも亀の刺青をした男が怪しげな健康サプリの工場長として出てきます。 

まるでパズルのピースを集めるような作業を伴う連作短編集です。 

「《がんべ》がこの集落の中で、どういう存在だか、お前は知っているよな」

「人ではないって、差別されている人たちでしょう」

「確かにあれは人じゃないが、差別というのとは違う。この村では、山のものはすべて《まる》から与えられた大切なものとして扱うんだ。《がんべ》は山から来たもので、人じゃない特別な存在だ。人よりも、尊いもんだ。だから人とは住むところも、使う水も分けてある。働かなくても暮らしていけるように、村で面倒見てる。それでーー」

「まるの童子」より

パズルのピースを集めていけば、様々な怪異を及ぼすP集落の謎が解けるのかどうかーー。 

さらに知りたい方は、講談社版『或る集落の●』を手に取ってみてください。 

(しみずのぼる) 

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