映画版も話題を集める永井紗耶子氏の直木賞・山本周五郎賞ダブル受賞作『木挽町のあだ討ち』。本作はミステリーとしての完成度はもちろんのこと、各章で描かれる登場人物たちの深い人情ドラマこそが最大の魅力です。本記事では、映画を観る前にぜひ原作小説から読んでほしい理由を、作中の魅力的なエピソードとともに紐解きます。(2026.8.1)
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目次
評判の映画をきっかけに手に取った『木挽町のあだ討ち』
もっとも、わたしが本書を読んだきっかけは、今年2月に全国上映された映画がいたく好評だったからです。妻から、

会社の同僚が観て『国宝』並みに良かったわよ!と勧めてくれたわ
と訊いて、それなら原作を先に読もうと電子書籍で購入しました。
ところが他に読んでいる小説があったため少し時間がたってしまい、そのうちに映画を封切中の映画館がなくなり、そうすると小説を読む動機が薄れ…という悪循環から、しばらく”積ん読”状態になっていました。
先だって旅行の移動中の新幹線で読み始めたところ、これは面白い…と物語世界に没入。途中からは横に座る妻から「なに泣いてるの?」と訊かれる始末で、今年いちばんの幸福な読書体験でした。
映画のあらすじも、小説のあらすじも、何も知らないで読んだのが幸いした格好です。
ですので、紹介文は書きにくいなあ…と思い、せめて映画を観てから書こうか…と思ったのですが、映画の予告編をYoutubeで観たところ、映画はどうやらミステリーの要素に重きを置いた作りになっていそうです。
そうすると、わたしが新幹線の中で泣いてしまった人情ものの要素は、少なくとも後衛に退いた作りになっている予感がします(違っていたらごめんなさい)
だったら、「まず最初に原作を読んで!」とアラートをかける意義はあるだろうと思い直し、紹介文を書くことにした次第です。
芝居小屋の関係者が語る「木挽町の仇討」の目撃談
『木挽町のあだ討ち』は巻頭で、木挽町で起きた仇討を報じる読売(当時の新聞のこと)が載っています。
木挽町の仇討
睦月晦日の戌の刻。辺りが暗くなった頃、木挽町芝居小屋の裏手にて一件の仇討あり。
雪の降る中、赤い振袖を被き、傘を差した一人の若衆。そこに大柄な博徒が歩み寄り、女と見違え声を掛けた。すると若衆、被いた振袖を投げつけて白装束となる。
「我こそは伊能清左衛門が一子、菊之助。その方、作兵衛こそ我が父の仇。いざ尋常に勝負」
朗々と名乗りを上げて太刀を構えた。対する博徒作兵衛も長脇差を抜き放つ。道行く者も固唾を呑んで見守るなか、堂々と真剣勝負の決闘。遂に菊之助が作兵衛に一太刀を浴びせた。返り血で白装束を真っ赤に染め、作兵衛の首級を上げた菊之助、野次馬をかき分けて宵闇に姿を消した。
この一件、巷間にて「木挽町の仇討」と呼ばれる。
鬼笑巷談帖
ページをめくると「第一幕 芝居茶屋の場」がはじまり、
とざい、とーざい。赤穂浪士も曽我兄弟も、仇討物語は数多かれど、まことその目にしたという人はさほど多くはございますまい。かく言う私、木戸芸者の一八は、間近に見たのでございます。木挽町の仇討は芝居も敵わぬ見事さで、この界隈で知らぬ者のない一大事。
って、それにしても旦那は何だって手前なんかを芝居小屋に招いて、そんな話をしろとおっしゃるんで。
というふうに、木戸芸者の一八が、仇討の仔細を訊かせてほしいという18歳の青年武士に語り聞かせる体裁で物語の幕が開きます。
ちなみに「第二幕」以降も、仇討を目撃した別の芝居小屋関係者が青年武士に語り聞かせる形で進みます。一覧にすると次のようになります。
- 第一幕 芝居茶屋の場 …… 木戸芸者 一八
- 第二幕 稽古場の場 …… 立師 与三郎
- 第三幕 衣裳部屋の場 …… 衣裳係 ほたる
- 第四幕 長屋の場 …… 小道具 久蔵の妻・お与根
- 第五幕 枡席の場 …… 戯作者 金治
このあと「終幕」があるのですが、物語の大半が芝居小屋の関係者が自身の見た仇討の様子を青年武士に語り聞かせるところから各章(各幕)は始まります。
仇討の様子よりも胸を打つ各登場人物たちの「来し方」
仇討自体は同じ出来事ですから、目撃談と言っても大差はありません。ところが、この青年武士は仇討を行った菊之助の書状を持参しています。書状にはこう書いてあります。
「この者は某(それがし)の縁者につき、事の次第やそこもとの来し方など語って欲しい」
つまり「事の次第」ーー仇討の様子だけでなく、語り手たちの「来し方」が各章(各幕)で描かれる物語となっているのです。
一八なら、吉原の遊女が産んだ子で、男では吉原では暮らせぬと幇間に預けられるも、幇間になり切れず、木戸芸者になった経緯が自身の口で語られます。
そのひとつひとつの「来し方」が人情の機微に触れるもので、最初のうちは、仇討よりもそれぞれの語り手の「来し方」こそが物語の中心だろうと錯覚したほどです(第四幕までは「連作短編集なのか…」と勘違いしていました)
具体的に「来し方」のひとつを紹介しましょう。泣いているところを妻に目撃されたのは第四幕、久蔵の妻・お与根の語りでしたが、紹介するのは第二幕、殺陣の指南を務める立師・与三郎です。
立師・与三郎の過去とめしやの娘・お三津の出会い
与三郎は御徒士(おかち)の三男で、家を継ぐ身ではないため道場で剣の腕を磨いていた。師匠にも認められる腕前だったが、道場には師匠の甥がいて、その甥と「さる御大家の指南番」を争う身となった。
剣の腕を競う立ち合いの前夜、与三郎は川沿いの道で甥に襲撃された。腕の差から甥の刀を容易にかわし、「今宵のことは他言せぬ。明日、堂々と立ち合い申そう」と言い置いて立ち去ろうとしたところ、一人の老爺がひょっこり顔を出した。
「これはご武家様、ご無礼を」と頭を下げて去ろうとした老爺に対し、甥は刀を振り下げた。甥は「目障りな物乞いを斬ったのだ」と言って、「与三郎、そなたも斬ってみるか」と続けた。「そなたは日ごろ、偉そうに剣の道を説いているが、その実、人を斬ったことがないのだろう。刀は人を斬るためにあるのだ。故に私はこうして日ごろから、修練しているのだ」
そこに一人の娘が現れた。老爺を介抱しようとする娘に甥が切りつけようとしたが、与三郎が娘をかばって事なきを得た。
「哀れなことをした」
某の言葉に、娘はほろほろと涙を流す。
「可哀想に……前は、腕のいい大工だったって。材木の下敷きになって、足を痛めて働けなくなって……私の奉公先のめしやの親父さんが、ここで寝起きしている留爺に、残り物で握り飯をあげていて……」
嗚咽を堪えながら、言葉を絞り出す。
「……こんな風に殺されていい人じゃないんですよ」
その娘は、名をお三津と言った。
しかし、翌日の立ち合いは中止となった。与三郎が夜討ちをかけたと甥が御大家に訴えたためだった。師匠からも「ここは黙って引いてもらえぬか」と頼まれた。
それだけではない。敬愛する父までも、甥の悪行に「眼を瞑れ」と言い、こう続けた。
「忠義を尽くそうにも、天下の為に務めようにも、身分がなければそなたはその物乞いと変わらぬ」
父への敬愛が音を立てて崩れて逐電して数か月、ついに甥を討とうと決意したところで、与三郎はお三津と再会した。
武士の道理を覆したお三津と「私と一緒になりますか」の一言
お三津が働くめしやで甥を誅殺する決意を口にすると、お三津は低い声で「やめて」と言い、与三郎を睨んだ。
「武士だとか義理だとか誅殺さとか、まだるっこしいことは苦手。私は多摩の田舎の生まれでここに奉公に来ているけれど、里で通った寺子屋で最初に教わることは一つ。殺生はいけないってこと」
「私ら町人の道理は、御侍様よりも簡単です。人を傷つけたら謝る。殺生したら地獄に落ちる。あの人殺し野郎は勝手に地獄に落ちる。御侍様が手を下せば、私の理屈で言うならば、御侍様も地獄行きだ」
「何か私は間違っていますか」
両腕を組んで仁王立ちするお三津に、与三郎は「いや……正しくその通りだ」と返すしかなかった。
年下の娘に見下ろされて啖呵を切られ、誅殺の覚悟さえ自己満足と謗られたというのに、不快ではない。むしろ、すっとこの身に染み入るように心地よい。
某は不覚にも目頭が熱くなり、項垂れて黙った。すると黙り込む某を気遣うように、お三津は語り掛ける。
「でもほら、芝居で立ち合いを見るのは大好きですよ。こう、尾上栄三郎が剣を揮う様なんざ、見ていて心が躍るんですよ」
お三津の言葉がきっかけで芝居小屋に足を向けたところで尾上栄三郎を逆恨みする武士から助け、その縁で立師の仕事をするようになり……、と与三郎の語りが続くのですが、やはり一番惹かれるのはお三津です。
与三郎が殺陣の指南役だけでなく端役で芝居にも出るようになり、お三津に誘われてめしやに通うようになってしばらくのこと。めしやの親父から「そろそろお三津を貰ってやってくれませんか」と切り出された。
某は思わず酒を噴き出し、え、と問い返す。しかし親父は狼狽える某を面白そうに眺めながら、にこにこと笑っている。
「誤解があってはならない故に申し上げるが、某とお三津殿は何も……」
「そりゃあ知ってますよ。なあんにもないってことは、じれったいたらありゃしない。それならいっそ、さっさと夫婦になっちまえって思いましてね」「しかし、お三津殿の想いもあろう」
「お三津にも聞いたら、それもいいねって」
拍子抜けするほど随分と気楽な答えである。もう少し、味のある返しはないものだろうかと思いつつ盃をあおると、いつから聞いていたのか知らないが、女将がひょいと台所から顔を出した。
「あれは照れ隠しだよ。本音じゃ気があるんですよ」
まさに良質な人情ものの時代小説を読むような気分です。
とはいえ即答はできぬ……と、その日は逃げるように店を出たのだ。
しかしその数日後、お三津が芝居小屋の稽古場に弁当を届けに来た。見送りに出た騒がしい楽屋口で、ふと足を止めたお三津がくるりとこちらを振り向くと、まるでめしやの品書きでも読み上げるような口ぶりで、
「それで、私と一緒になりますか」
と、問いかけた。お三津が真っ直ぐ見上げるので、いよいよ逃げることも出来ず、某も腹をくくった。
「某でよければ、末永く」
いかがですか。人情もののくだりが熱くなる!と私が言う理由がわかっていただけるでしょうか。
人情話の裏に潜む伏線とミステリーとしての真骨頂
もちろん『木挽町のあだ討ち』は、ただの人情ものの時代小説ではありません。
「第五幕 枡席の場」は、それまでの各章(各幕)と同じように戯作者の金治の「来し方」が、金治自身の口から語られるのですが、途中から「あれ?」「これは!」という展開になります。
金治の口から語られる仇討の真相から、それまでの一八や与三郎、ほたるたちの語りが周到な伏線だったことに気づかされます。まさにミステリーの醍醐味です。
これは映画にしたら面白いものになるだろうな…と思いましたし、まさに製作陣(監督は源孝志氏)もその期待に十分応えた作品を作り上げたのだろうと思います。
映画の予告編をみても、戯作者・金治を演じるのは渡辺謙さんですから、相当見応えのある作品に仕上がっていそうです。
それでも、映画にしたら端役に過ぎない与三郎の妻、お三津のカッコよさを思い出してください。「それで、私と一緒になりますか」ーーこのセリフに心揺さぶられます。
仇討の真相に比べれば扱いがずっと小さい…というより、映画ではカットされて然るべきエピソードでしょう。そう考えると、小説の良質な部分も余すところなく味わってほしい!という思いを強くします。
さすが直木賞と山本周五郎賞を受賞しただけの小説です。ぜひ、映画を観るより先に手に取ってほしいと思います。
(しみずのぼる)
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