樋口有介『魔女』|焼死した元カノの素顔に迫る青春ミステリー

樋口有介『魔女』|焼死した元カノの素顔に迫る青春ミステリー

きょうは樋口有介氏のミステリー小説『魔女』を紹介します。アパートの火災で焼き殺された若い女性。その元カレである主人公が彼女の足跡を辿るうちに、関係者によって語られる、自分の知らない彼女の様々な素顔が浮かび上がってきます。主人公が最終的に探り当てる彼女の実像とは、そして事件の真相とはーー? 著者が得意とする、青春ミステリーとハードボイルドが融合した名作の魅力に迫ります。(2026.7.10) 

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青春恋愛とハードボイルドが融合する樋口作品の魅力

樋口有介氏(1951-2021年)は、デビュー作『ぼくと、ぼくらの夏』(1988年)以来、青春ミステリーとハードボイルドを程よくブレンドした作風で知られています。 

2001年に書下ろし長編小説として文芸春秋から出版された『魔女』も、わたしの手元にある2004年刊行の文春文庫版の解説で「青春恋愛小説+ハードボイルドミステリー」の流れをくむ小説と紹介されています。 

また、樋口作品に共通するのは、登場する女性が美女であるほど(著者は何か個人的によくない思い出があるのか)本当の素顔は悪女だったりします。 

こう書くと真犯人は女性だな…と連想させてしまいますが、『ぼくと、ぼくらの夏』しかり、代表作である〈柚木草平〉シリーズしかり、たいていは探偵役が美女の本当の素顔を暴く…という展開になります。 

『魔女』を最初に手に取った時もそう思いました。何といっても題名が『魔女』ですから。 

彼女は炎に包まれて死んだ。まるで中世の処刑のように
ぼくは、彼女のことを、何も知らなかったーー。殺された元恋人の足跡をたどるうち、浮かび上がってきた彼女の素顔とは?

文春文庫版『魔女』

でも読後、わたしの予想はいい意味で裏切られました。

どう裏切られたかはネタバレになるので、そこは避けながら『魔女』の魅力を紹介したいと思います。 

元カノの放火殺人事件を追う主人公・広也の探偵行

就職浪人中の広也は、テレビ局の報道記者の姉・水穂から、スクープの手伝いをするよう命じられた。

焼き鳥をつつきながら水穂から見せられたのは、アパートの火事で女性が焼死したことを伝える新聞のベタ記事。被害者の安彦千秋は、広也がかつて数か月だけ付き合ったことのある彼女だった。 

姉の水穂はネタ元の刑事から、放火殺人の可能性があることを聞き出していた。 

「だからね、要するにこういうことよ。安彦千秋は誰かに睡眠薬を飲まされて、意識が朦朧となったところを部屋に放火された。犯人は強盗とか暴行魔ではなく、彼女がよく知っていて、ある程度親しくて、それで彼女を憎んでいた人間……たとえば、要するに、広也みたいな人間よ」
「姉さん、おれ、千秋を憎んではいなかった」
「ふられたくせに」
「姉さん、スクープは残念だけど、おれ、犯人じゃないよ」
「そんなこと知ってるわよ」

スクープを狙う水穂は、千秋が親しかった人間を刑事から聞き出すから、ひとりひとり接触して犯人を捜せと広也に命じた。「広也には被害者の元恋人という、有利な立場があるの。二年前にはふられたけど、あんたは彼女に未練たっぷり。だからどうしても犯人を許せない。そういう名目があれば、家族にも友達でも、自由に話が聞ける」 

こうして広也は、千秋の家族、ソーシャルワーカー仲間の牧瀬、大学時代の親友の大沢、死ぬ直前まで交際していた不倫相手の尾崎に面会し、千秋の話を聞いて事件のヒントを得ようとしていく。 

証言で浮き彫りになる「魔女」と呼ばれた彼女の素顔

しかし、関係者に会って集めた千秋に関する話は、広也が知っている千秋像とまったく異なっていた。 

そもそも付き合っていた当時、千秋は山形出身と言っていたのに、実家は千葉の行徳だった。 

行徳の実家に行ってみると、みかんという名の異父妹がいた。千秋は大学進学を機にアパート暮らしをはじめ、実家には帰らなかった。 

みかんは、千秋のことを「魔女」と呼んだ。証拠もあるといい、千秋が実家に残していた魔術に関する書籍や魔術関係の道具をみせた。千秋にとって義理の父、みかんの実父が夜中の釣りで海に転落して死んだのも、千秋の魔術のせいだと訴えた。 

大学時代の親友の大沢は、千秋との4年間を嫌な思い出と語った。「男の子には分からないのよ。女って二人いると、奥様と下女に分かれるものなの。意地悪なんかされなくても、気分は落ち込んでしまうの」 

直前の恋人の尾崎は、千秋を「天性の娼婦」と表現した。千秋とのセックスに溺れて妻から捨てられ、尾崎は酒に溺れる状態だった。 

ぼくの知らない世界に、ぼくの知らない千秋の病気があったのか。尾崎喬夫が言ったように、別な世界の千秋は濃厚で淫乱なセックスに溺れ、男を翻弄して快感を得る異常体質だったのか。大学時代の親友は千秋を高慢な冷血女と言い、同僚のソーシャルワーカーは仕事熱心な博愛主義者のように言う。どこに本物の千秋がいて、どこに千秋の本心があったのか。泣いても声を出さなかったという、子供時代の千秋。魔術に異常な執着をみせたらしい高校時代の千秋。他人に心の内を覗かせなかった大学時代の千秋。そして半年間のソーシャルワーカー生活のあと、アパートで焼き殺された千秋。どれをとっても実感はなく、ぼくとつきあった千秋が、みかんや尾崎や大沢佳美や牧瀬杏子が言う千秋と同じ千秋だったのか、本のページをめくりながら、ふと確信が消えていく。 

容疑者の溺死で幕を閉じた事件と残された謎の行方

千秋の放火殺人事件は、尾崎が河口湖で溺死体となって発見され、尾崎が犯人だったということで世間は納得する。

しかし、広也は尾崎に話を聞きに行った時、尾崎とこんな会話を交わしている。 

「千秋を殺した犯人が尾崎さんであっても、不思議はないということです」
「たわ言を……」
「そのうちに警察が証明します」
「証明はされてるさ。だから事情聴取はされても、逮捕はされていない」

それなら、尾崎を自殺とみせかけて殺害した人物がいることになるが、それは誰か? 

これはミステリー小説を紹介するお決まりですから、明かさずにおきましょう。 

終盤の何気ない一言から広也が辿り着いた衝撃の真相

『魔女』の終盤、広也は姉の水穂に焼き鳥屋で状況報告している時、水穂の何気ない一言から、広也が千秋像がいっこうに定まらない原因に気付く場面が出てきます。 

「姉さん」
「本当のところは分からない。でも千秋さんも、どうせ……」
ぼくの手からジャーマンポテトがこぼれ、膝に落ちて床に落ちて、ぐちゃっと形を変える。それまで無害だったアルコールが、突如悪意を発揮する。言葉はなく、味覚もなく、ウーロン茶で割った芋焼酎が粘っこく咽を流れていく。
「可哀そうだけど、千秋さんもどうせ……」
耳鳴りはアブラ蝉のように賑やかで、聴覚の失せたぼくの耳に、水穂の言葉がテロップのように谺(こだま)する。目には白くてなめらかな千秋の尻が浮かび、その尻にカメラのレンズがズームする。レンズは尾てい骨の左下に、火傷痕のような赤い痣を映しだす。
「広也、どうしたのよ」
「……」
吐き気が限界を超え、ハンカチで口をおさえて、ぼくはトイレのドアに突進する。視界に千秋の痣が拡大され、子供時代の千秋が、目に涙を溜め、ぼくに向かってその細い腕を、おずおずと伸ばしてくる。
「姉さん、それは、ないよ」
叫んだところで、言葉が現実を否定しないことは、もう分かっている。分かっていながら、ぼくはこみ上げる嘔吐物と一緒に、その言葉を吐きつづける。
「姉さん、それは、ないよ……」

広也が辿り着いた千秋評が定まらないことの理由、真相も明かさずにおきましょう。こここそ、わたしが冒頭で「予想がいい意味で裏切られた」と漏らした部分です。 

多くの人に読み継がれてほしい青春ミステリーの傑作

『魔女』は、2018年に創元推理文庫から再刊されています。

あらすじ欄には「青春ミステリの名作が、大幅改稿で登場」と書いてあります(わたしは文春文庫版から引用したので、表現が異なる部分があればご容赦ください) 

創元推理文庫版『魔女』

Amazonの感想をみていたら、ある方が、 

私は主人公が感じた彼女の印象こそが、本当の姿であってほしいと思います。 

と書いていました。 

わたしもまったく同じ感想を抱きました。だから、いい意味で裏切られたと書いたわけですが。 

創元推理文庫の謳い文句をなぞって恐縮ですが「青春ミステリの名作」とわたしも思います。 

新装版も出ていることですし、多くの人に手に取ってほしい小説です。 

(しみずのぼる) 

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