両親の離婚によって心に鬱屈を抱える少年タム。彼が迷い込んだのは、ナチス・ドイツによる空襲が続く戦時下のイギリスでした。そこで出会った不思議な少女メイとの交流を通じて、孤独な少年の心は大きく揺れ動き、成長していきます。ヤングアダルト(YA)小説の隠れた名作、メルヴィン・バージェス『メイの天使』のあらすじや魅力を紹介します。(2026.6.27)
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目次
絶版が惜しまれるメルヴィン・バージェスの隠れた名作YA小説
『メイの天使』は1997年に東京創元社から出版されました。巻末に金原瑞人氏の解説が載っていて、こう書いています。
このところ翻訳界にちょっとした異変が起きている。なにかというと、英語圏でヤングアダルト向けに出版された本が、日本で次々に一般向けに出版されだしたのだ。
(略)
そして東京創元社からメルヴィン・バージェスの作品がいくつか、紹介されることになった。その第一冊目が、この『メイの天使』。
確かに、このあと東京創元社から『エイプリルに恋して』『ダンデライオン』などのバージェスのYA小説が邦訳されています。
けれども、『メイの天使』を含めて、バージェスのYA小説はどれも品切れの状態です。タイムスリップものは日本でも好まれるジャンルだと思うのですが、『メイの天使』は絶版で文庫化もされていません。

タイムスリップする先が戦時下のイギリスで、日本人になじみがないからなのかなぁ?
と思ったりしますが、

日本になじみがなくても、メルヴィン・バージェスがノベライズを担当した、イギリスの炭鉱労働者の家族を描いた映画『リトル・ダンサー』は大ヒットしたしなぁ…
とも思います。ちょっとしたきっかけでバージェス熱にふたたび火が灯るかもしれないし、そう期待して『メイの天使』を紹介する次第です。
孤独な少年タムが戦時下のイギリスへタイムスリップするまで
主人公の少年タムは、離婚してしまった両親に強い不満を抱えていた。最初は狭いフラットで二人で住むことになった母に八つ当たりし、次に新しい家族を持った父親を疎むようになった。
そんな孤独なタムは、ひとりで丘を駆け回っていると、犬の鳴き声が聞こえた。人懐っこい犬だった。
雨が降ってきたため、タムは犬を伴って「誰がここを農場と思うだろう」(Who’d-a-thow-it Farm)を縮めて「ソウト・イット農場」と呼ばれる廃屋に入って雨が止むのを待った。
すると、不思議なことにトーストの匂いがした。
犬も匂いをかぎつけたのだろう。激しく尻尾をふりはじめた。こんなところでだれがパンを焼いているのだろうといぶかりながら、タムは降りしきる雨のとばりに眼をこらした。そこには、少女の姿があった。
少女はまっすぐにタムを見つめ、彼は相手が自分を見ていることを知った。また、犬が首を上下にふりはじめたーーさあ、さあ、早く、と訴えるように。少女は顔をしかめた。そして、奇妙な抑揚のない声で呼びかけた。「ウィニー?」
強い風が雨とともに吹きつけると、少女の姿はなかった。トーストの匂いが漂っているだけ。しかし、犬は実在の犬だった。タムが「ウィニー」と呼びかけると、尻尾をふってタムの顔をなめた。
タムを過去に導く不思議な浮浪者の老女の存在
ソウト・イット農場を出ると、今度は浮浪者の老女の姿があった。ロージーと呼ばれているが、本当の名前はわからない。声を発したことが一度もなかったからだ。
その老女のもとへウィニーは駆けていった。タムが呼んでもウィニーは老女から離れない。タムが石を投げると、ウィニーは歯をむき出し、タムを威嚇した。
これまで、ソウト・イット農場はタムしか知らない秘密の場所だったが、今では自分が侵入者になったような気分だった。あそこの主は、あの少女だ。彼は、少女の炉辺の夜に侵入した幻だった。それに、あの浮浪者の女と気性の荒い忠実な犬。彼らはどこに住んでいるのだろう?
この日を境に浮浪者の老女はタムの周囲に現れるようになる。いつも顔を伏せ、それでいてタムが眼をそらすと、タムのほうを横目でうかがっている。
数日後、福祉事務所の女性がロージーをタムの家に連れて来て施しを求めたときも、タムはつれなくした。
顔をあげーー彼の顔ではなく、その横のどこかを見つめ、なにか話しかけようとしたが、声にはならなかった。
「さようなら」タムはいった。
彼女の表情が変わった。彼女の口もとから失望の表情が消え、かすかな笑み、淡い幻のような笑みが浮かんだ。
次の週末。タムは父親のもとへ行く予定だった。しかし、父親にはすでに別の家族がいた。行きたくないと思う気持ちから、タムの足はソウト・イット農場に向かった。
そこには犬のウィニーと浮浪者の老女がいた。
老女の口がかすかにひらいた。タムは胸を躍らせた。なにか話そうとしているにちがいない。犬も、その手伝いをしようとしていた。背すじをのばし、耳をぴんと立て、まるで話しかければこたえるかと思われるような賢い表情でふたりを見上げた。そして、あの奇妙な仕草で首を上下にふりはじめた。「さあ、さあ、早くーー」と訴えるように。
ロージーは心を決めたようだった。彼女は血色の悪い醜い顔をかすかにほころばせて、タムに笑いかけてから、体をめぐらし、壁をまわって、暖炉のある部屋の跡に向かって歩きだした。古い暖炉の前に立ち、彼女はちらりとタムのほうをうかがった。老いた女の白眼がきらりと光るのが見えた。彼女はじっと立ったまま、草におおわれた地面に向かってうなずいた。
「このなかにはいるのかい?」タムはたずねた。「そこにはいっても、暖かくないよ。もっといいところがあるはずだ」彼は身をかがめて、暖炉のなかをのぞきこんだ。犬が背後に近づき、背中を鼻で押した。タムは押されるまま、暖炉のなかにもぐりこんだ。
こうして浮浪者の老女と犬のウィニーに導かれるかたちで、ソウト・イット農場の暖炉からタムがタイムスリップした先は、第二次世界大戦さなかのイギリスだったーー。
少女メイとの交流と「メイの天使」と呼ばれた温かな3日間
『メイの天使』のあんこの部分は、タムがタイムスリップした先で戦争孤児の少女メイや、メイの養い親の農夫ナッターと出会い、ソウト・イット農場で過ごす3日間です。
にもかかわらず、タイムスリップする前ーータムが鬱屈を抱えたままの少年だった日々を、なぜ詳しく書いたかと言えば、メイやナッターと過ごした日々を通じてタムが人間として大きく成長し、それが現代に戻ってからのタムの行動ーーラスト数ページのタムの選択として結実し、読者に深い感動を呼び起こすからです。
とはいえ、あんこの紹介をはしょったままでは、さすがに読みたいという気持ちを湧き立てないでしょうから、少しだけ触れます。
メイは戦争孤児で、誰とも口を聞かない状態で瓦礫の下から発見された。メイという名前も、養い親となったナッターが名づけたが、農場で暮らすようになってからも、家になじむことはなく、寝るのは犬小屋。食事も皿から手で取って家の外で食べる状態が続いていた。
そんな中でタムが突如現れ、メイがはじめて心を開いて話すのを見て、ナッターはタムを「メイの天使」と呼んだ。
通いで農場を訪れてナッターの世話をするミセス・ピクルスの前で、メイがはじめて食卓に座り、ナッターが感謝の祈りを捧げる場面を紹介しましょう。
「今日はいい日です」彼は、祈りを捧げた。ミセス・ピクルズが舌打ちしたが、彼は人差し指をあげて制した。「牛の乳もよく出て、この季節にしてはいい天気でした。一番うれしかったのは、メイがはじめて一緒にキッチンで食事をしてくれたことですーーありがとうございます。それに、タムのことも。メイの友人としてこの子をあたえていただいたことに感謝します。そのことによって、タムがこれ以上つらい目にあわないことを祈ります」
タムはタイムスリップした直後、農場から町に向かい、そこでドイツのスパイに疑われ、ひどい目にあっていた。そんなタムを救ったのがメイで、なんの事情もたださないでタムを受け入れたのがナッターだった。
メイが最後まで食卓で食事を済ませるのをみて、ミセス・ピクルスは「本当に驚いたわ!」と叫んだ。
「どうだ、おれのいったとおりだろう」ミスター・ナッターは満面に笑みを浮かべた。そして、すべておまえの手柄だというように誇らしげにタムに笑いかけた。
そんな農場での3日間も、浮浪者の老女がふたたびタムを迎えに来たことで終わりを告げます。暖炉から現代に帰ろうとするところで、タムはナッターに声をかけられます。
「三日前に、霧のなかから出てくるように、犬と一緒にその壁から出てくるのを見たときから、おまえがふつうの子どもではないことはわかっていた」彼はいった。「さようなら、タムーーおれたちのことを忘れるな。どこに行っても、メイのためにできるかぎりのことをしてやってくれるな?」
なにもできないことはわかっていたが、タムは黙ってうなずいた。
ミスター・ナッターは微笑した。「なるべく早く、ウィニーを帰してやってくれーーまだ、メイはそいつを頼りにしているーーおまえがいなくなったら、もっと大切になる」
「この犬がぼくをここに連れてきたんです!」タムは説明した。
「そうか? まあ、不思議はないな。その犬はメイを世の中に連れもどし、信頼することを教えた。そして今度は、ほかの世界に行って、友だちを見つけてきたというわけだ。おまえを見つけるまで、どれだけ苦労しただろう」
タムは犬を見た。つまるところ、そういうことだったのか? 「ぼくはただのーー」自分は特別な人間ではないといいかけたとき、足もとの地面が泥に変わった。
現代に戻ったタムを待ち受ける「思わぬ結末」と成長
現代に戻ったタムは、タムが去った直後に農場で火事が起きてナッターが亡くなり、メイも行方知れずになったことを知る。
タムは浮浪者の老女を探しだして、ふたたび過去に戻ってナッターに火事を警告しようとするが、2度目のタイムスリップはすでに焼け落ちた直後のソウト・イット農場だった。そこでタムは、メイの真実を知ることになるーー。
これ以上明かすのは控えましょう。巻末の解説で、金原瑞人氏は次のように『メイの天使』を紹介しています。
主人公タムは、現代からいきなり第二次世界大戦中に引きこまれ、不思議な少女メイと出会う。ふたりの心の交流を中心に展開していくこの物語は、謎解きの形をとりながら、思わぬ結末へと読者を導いていく。そして父親に捨てられたと感じつつ、母親ともうまくいかないタムは、メイとの触れ合いのなかで大きく成長する。少年の成長というずっしり重い、しかし魅力的なテーマと、SFの伝統的な手法とが、この作品ではじつにうまく溶け合っている。
「思わぬ結末」とタムの「大きく成長」するさまは、『メイの天使』を古本を探すか図書館を探すかしてお確かめください。
(しみずのぼる)
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