時を超える恋愛ファンタジーの不朽の名作、ロバート・ネイサンの小説『ジェニーの肖像』をご紹介します。売れない画家イーベンの前に現れた謎の少女ジェニー。彼女は会うたびに急速に成長し、やがて二人は深く愛し合うようになる……。美しくもせつない愛と喪失の物語のあらすじや魅力を考察します。(2026.6.20)
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目次
売れない画家イーベンと不思議な少女ジェニーの出会い
『ジェニーの肖像』は、ロバート・ネイサン(1894-1985年)が1940年に発表した長編小説で、1947年には映画化されています。邦訳は何度もされていて、いちばん最近では2005年に創元推理文庫から新訳版が出ています。
新訳版『ジェニーの肖像』(創元推理文庫)
一九三八年の冬のある夕暮れ、ぼくは公園を通り、家に向かって歩いていた。そのころのぼくはまだ半人前で、スケッチの入った鞄をこわきに抱え、疲れきってとぼとぼ歩いていた。
主人公のイーベンは売れない画家。売れないこと以上に、「芸術家の才能の源や、作品のはつらつとした生命力」が失なわれることへの焦りに苦しんでいた。
遅かれ早かれ、神が問いを投げかけてくる。おまえはわたしの味方か、それとも逆らうのか? と。すると、芸術家は何か答えなくてはならない。あるいは、口に出せないことのために胸が張り裂けんばかりのおもいを味わうはめになる。
そんな悩めるイーベンの前にひとりの幼い少女が現れた。
イーベンが「家に帰らなくていいのかい?」と気づかうと、少女は「もう遅い?」と訊ね、「時間ってあんまりわからないの」と続けた。
少女はジェニー・アップルトンと名乗り、両親は芸人だと言った。「ハマースタイン・ミュージック・ホールに出てる。綱の上で曲芸をするのよ」
イーベンは不思議に思った。そのホールは何年も前に取り壊されたはずだった。
ジェニーは身の上話に飽きると、「あたし、歌を知ってるの。聞きたい?」と言って歌い出した。
わたしがどこから来たのか
だれも知らない
わたしが行くところに
みんな行く
風が吹き
海が流れーー
そしてだれも知らない
別れ際、ジェニーは一番好きな遊びは「願掛け遊び」だと言った。
きみの一番の願いは何なの、とぼくは訊いた。
「あなたが、あたしが大きくなるまで待っててくれたらいいな、ってこと」彼女は答えた。
ジェニーのスケッチ画が売れ、再会するたびに成長する少女
イーベンはジェニーに会った4日後、画廊に足を踏み入れた。「あのう、ぼくの絵を買って頂けないでしょうか」
画廊の主人マシューズは、イーベンの描いた絵を見ながら「風景画ね。ふうむ……そうか。むずかしいな」と言葉を濁した。どの絵にも惹かれない様子だったが、ふいに目を輝かせた。「それは何かね?」
イーベンがジェニーを描いたスケッチ画だった。
「これはほかのとはちがうね。いいよ、実にいい。なんで気に入ったかわかるかね? この絵のなかに過去が見えるんだ。そうともーーわたしはこの子を前に見たことがある。どこかで。といっても、どこでだったかわからないが」
ジェニーの絵は25ドルで売れた。マシューズは「その公園の少女の肖像画を持ってきなさい。わたしはそれを買う。全部買おう」と言い添えた。
ジェニーにふたたび会ったのは、その週の日曜日、公園のスケート場だった。
「こんにちわ、アダムズさん」
彼女はぼくのほうに滑ってくると、止まろうとして手を差し出した。「きみだってわからなかったよ」僕は言った。「このあいだより大きく見えるな」
並んでスケートをしても、明らかに背が高かった。「この前会ったときより、ずいぶんと大きくなったみたいだ」
ジェニーは「そうね」と言い、「あたし、急いでるんだもの」と続けた。
話す内容も変だった。最初に会った時に親しい友人のことを楽しそうに話していたが、その子のことを訊ねると「セシリーは死んじゃったわ。猩紅熱にかかって」と言う。
別れ際、イーベンは訊ねた。
「ジェニー」僕は言った。「ねえーーセシリーはいつ死んだのかな?」
彼女は目をそらした。目が曇り、小さな顔が暗くなったような気がした。
「二年前よ」
過去から時間を追うように成長する彼女とのせつない愛
イーベンは友人でタクシー運転手のガスにジェニーの両親のことを調べてくれるよう頼んだ。数日後にガスが調べた内容を伝えに来た。
「綱渡りをやるアップルトンってやつらはいたさ。一九一四年にはな。そいつらは事故かなんかにあったんだ。ある日、綱が切れたみたいだな。二二年に」
ジェニーはその後も大きくなってイーベンの前に現れ、すぐに姿を消した。すっかり少女になった彼女はある時、喪服を着ていた。
「お父さんとお母さんが、事故にあったの」笑おうとしたが、目に涙があふれてきて、それを抑えるためにきつくまたたきしなくてはならなかった。「死んじゃったのよ」驚いているように言った。
「知ってるよ」ぼくはよく考えもせずにそう答えてから、くちびるをかみしめた。
このあたりから(読者は当然そうだろうと思って読み進めてはいますが)イーベンはジェニーが過去から来た少女で、時間を追うように成長していることを理解します。
そして、ジェニーもまたイーベンと会うことが特別な出来事であることを理解します。
「あたしがどこに住んでようとも、かまわないでしょう? あなたはわたしのところには来られないんだから。あたしだけがあなたのところに来られるのよ」
彼女は悲しげに、この上ないやさしさを込めて、しかしきっぱりと言いきった。一瞬ぼくらは互いに、見かけ以上に大きな溝をはさんで見つめあった。
そして、別れ際、ジェニーはこう口にした。
「さよなら、イーベン。できるだけ早く戻ってくるわ。あたし、急ぐからーーほんとよ」
「待っててね」
「あたしのこと待ってみて」
過去から生き急ぐように成長するジェニー。イーベンに会うたびに少女から大人の女性になり、いよいよ同じぐらいの年齢になり、ふたりは愛を語り合うようになる。
「太陽は同じ青くきれいな空に沈み、鳥は歌う……あたしたちのために、昨日のために……それとも明日のために。それは美しさのほかには何の役にも立たないのよ、イーベンーーあたしたちが今生きていようと、ずっと昔に生きていようと」
「明日か」ぼくは言った。「でも明日っていつなんだい、ジェニー」
「そんなこと、どうでもいいじゃない?」彼女は言った。「いつもよ。今日だって明日だったわーー一度わね。絶対に忘れないって約束して」
ふたりの愛の結末は明かさずにおきましょう。
恩田陸氏の解説「喪失について」と新訳版の魅力
2005年に出版された創元推理文庫の新訳版には、作家の恩田陸氏による解説が載っています。タイトルは「喪失について」。
失う苦さ、やるせなさ、つらさの中に人生の本質があることに子供の頃から薄々気付いている。
時間や、若さや、夢や、みずみずしい感情や、愛する者を失うことの中に。
だからこそ、私は何度もこの小説を手に取ったし、手に取った誰もがこの小説のことを覚えていて、今もこうして新たに誰かが手を取ろうとしている。
とてもいい解説文だと思います。
新訳版は、ネイサンが1958年に発表した中篇『それゆえ愛は戻る』も併録されています。
妻トリーナを失い、二人の子どもと海辺で暮らす童話作家レニー。ある日、溺れかけた息子を救ってくれた女性には、亡き妻の面影があった。その名はキャスリーン。神秘的な彼女の訪問を、レニーと子どもたちは、しだいに心待ちにするようになる……。
新訳版もすでに品切れですが、比較的新しい本なので入手しやすいでしょう。愛と喪失をめぐる物語をぜひ手に取ってみてください。
(しみずのぼる)
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