手島龍一『鳴かずのカッコウ』|公安調査庁が挑む国際諜報戦のリアル

手島龍一『鳴かずのカッコウ』|公安調査庁が挑む国際諜報戦のリアル

外交ジャーナリスト・手島龍一氏の小説『鳴かずのカッコウ』。本作は、実態が広く知られていない「公安調査庁」の調査官を主人公に、日本を舞台にしたリアルな国際諜報戦を描いたインテリジェンス小説です。存在を隠しながら虚実ないまぜの世界で生きる調査官の任務と、現代の日本が直面する安全保障の危機に迫る本作の見どころを解説します。(2026.5.30) 

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ベールに包まれた公安調査庁の歴史と実態

日本は昭和20年の敗戦を機に旧軍が解体を余儀なくされ、インテリジェンスにかかわる部門も表舞台から姿を消しました。 

公安調査庁は1952年(昭和27年)の破壊活動防止法制定を機に法務省の外局として発足。「公職追放されていた特別高等警察、領事館警察(外務省警察)、陸軍中野学校、旧日本軍特務機関、憲兵隊の出身者が参画したとされ、中でも特高警察と領事館警察の出身者が中堅幹部として組織運営を担っていた」と言われています(ウィキペディアによる) 

そのような成り立ちのため、アメリカのCIAやイギリスのMI6と比して、存在そのものが闇のベールに包まれている印象は否めません。 

外交ジャーナリストの手島龍一氏が2021年に出版した『鳴かずのカッコウ』(小学館、のち小学館文庫)は、おそらく公安調査庁にはじめて光をあてた小説だろうと思います。 

わたしの手元にある単行本の帯にも、元外務省主任分析官・佐藤優氏が次のような推薦文を寄せています。 

ベールに包まれた公安調査庁の秘密業務を、ここまで赤裸々に描いた本を他に知らない 

手嶋龍一『鳴かずのカッコウ』(小学館文庫)

最小最弱の組織で国際テロ班が担う極秘任務

主人公の梶壮太は神戸公安調査事務所の調査官。安定志向で公務員を志望、業務内容もよく知らないまま職に就いたのだった。 

日本には、警察庁の公安部局、自衛隊の情報本部、内閣情報調査室などの情報部局があるが、そのなかで公安調査庁は「ヒトもカネも乏しく最小・最弱の組織」と言われていた。 

それ以上に驚いたのは、初対面の相手に堂々と身分を名乗れず、所属する組織名を記した名刺も切れないことだった。 

公安調査官はみな、いわゆる「薄皮一枚」を身にまとっている。職業を聞かれると、壮太は「いや、しがない役所勤めです」とやりすごす。嘘ではないが、真実も明かさない。虚実ないまぜにして凌いできた。 

梶は第二部「国テ」班に属していた。国内を担当する第一部は右翼、カルト系組織、左翼系の過激派を主な調査対象とし、海外情勢を担当する第二部は、朝鮮総連の動きを監視する北朝鮮班、中国・ロシアの動向を監視する外事班、そして国際的なテロ組織や有害な外国勢力の国内への浸透を監視する国際テロ班、通称「国テ」から構成されている。 

ウイルスメールで暴くウクライナ人の正体

梶壮太はある日、日課のジョギング中に目にした看板に「エバーディール」という社名を見つけた。かつて中国系企業がダミーに使っていた疑いで調査した会社だった。 

上司に報告して調査を進めると、数年前に事業のトラブルから船のブローカー業務から離れていることや、日本人の社長は名ばかりで事業のトラブルを機にウクライナ人が経営にあたっていることを突き止めた。 

梶は茶道教室をひらく社長夫人に接触して信用されるようになり、同僚のMissロレンスー西海帆稀を伴って茶話会に出席することに成功した。 

茶話会にはウクライナ人の妻も来ていた。ロシア語が堪能な帆稀は着付けの話題をふった。 

「よろしければ、いまこのアドレスに空メールを送ってくださいますか。すぐにお返事してみますから。キリル文字で大丈夫」 

職場に戻ると、帆稀は夫人に着物の写真を添付したメールを送った。写真にはコンピューター・ウイルスが仕込んであり、ファイルを開けば夫人のパソコンに侵入でき、家のネットワークを通じて夫のステファンのパソコンにもアクセスできる。 

だが、サイバー担当者は音をあげた。 

十重二十重に障壁が張り巡らされ、厳重をきわめたセキュリティが施されていた。キーボードをたたく手を止めて、担当者が小さく息を吐いた。
「これは相当やっかいだ」

ウクライナ人の夫は造船エンジンの技術者で、かつて中国・大連で仕事をしていた。ソ連崩壊で用済みとなったウクライナの空母が中国初の空母「遼寧」に姿を変えたことに技術者として関与した人物だった。 

「プロフェッショナルの手並みですね」
「うーん、もしかしたら、その筋の人ってことかもーー」

ウクライナ人は中国のスパイなのか? 梶壮太や帆稀が所属する「国テ」班はウクライナ人を徹底監視した。そしてようやく接触する相手を特定したが、その人物はなんと……!? 

与那国島の土地買収を狙う中国の諜報活動

あまり明かしすぎると興をそいでしまうので、あらすじを追うのはこの程度にとどめますが、梶壮太は物語の終盤でイギリスのインテリジェンスオフィサーとこんな会話をしています。 

「尖閣諸島周辺に中国の漁船が大挙して押しかけて居座っていることはご存じですね。海警局の警備艦も周辺を動き回っています。たとえば、ここに猛烈な台風が来て、中国の漁船が尖閣諸島に上陸したとしましょう。海警局の乗組員も上陸して彼らを保護せざるをえない。そうなれば日本政府はどうしますか」
「そんなことが起きれば、中国側に厳重に抗議して、直ちに退去を求めるでしょう。もしも中国側が拒めば、武力で排除せざるを得なくなります」
「その時、アメリカはどうするか。日本が実効支配する尖閣諸島で日本が中国と戦闘状態に入れば、アメリカは、日米安保の盟約に従って、日本の側に立って戦わざるをえない。しかし、いくら重要な戦略拠点とはいえ、アメリカ国民の大半が名前すら聞いたことのない尖閣諸島を奪還するために中国と干戈(かんか)を交える、そんな事態はなんとしても避けたいはずです」

こんな場面も出てきます。帆稀が潜入したドローン教室でバングラデッシュの留学生と言葉を交わす場面です。 

「日本にこんなに青く澄んだ海があるなんて羨ましいよ。チッタゴンの海は茶色くて濁っているからね。再来週、八重山諸島に行こうと思うんだけど、この日本語がちょっと難しくて」
「八重山諸島なら石垣島か竹富島が断然、おすすめ。素敵なリゾートホテルがたくさんありますよ」
「僕はヨナグニに行かなくちゃならないんだ。でもこの本にあんまり情報が載っていない」
(略)
Missロレンスは、神戸公安調査事務所に戻ると、ホテルと民宿、レンタカーの情報を添付ファイルにしてカーンのPCに送った。添付ファイルにはウイルスが仕込んである。すぐにカーンがファイルを開いたことが確認された。ハッキングに成功し、通信内容をそっくり傍受することができる。

バングラデシュの留学生は本国から与那国島南部の用地買付を命じられていた。 

中国の企業が土地の買収に動けば、どんなに巧みな偽装を凝らしても、日本の公安当局に突き止められてしまう。どうやら北京はバングラデシュの解撤屋をダミーに使い、日本の提携会社を介して与那国島の土地買収に動いている。 

Missロレンスこと穂希の調査報告はすぐさま内閣の国家情報委員会に届けられた。

中国の諜報機関の狙いは、台湾海峡危機に備えて、台湾島と与那国島の間の海域に生じる中国側レーダーの死角を埋めることと思料される。偵察衛星による上空からの監視だけでは十分でないと考え、与那国島の南側海岸で土地の取得に動いている。ここを飛行基地とし、高性能の長距離ドローンを飛ばして、台湾島の北側海域の動向を掴もうとしている模様だ。 

「鳴かずのカッコウ」が鳴らす日本への警告の書

題名にかかわる部分も紹介しましょう。 

カッコウは「托卵」ーー他の鳥の巣に卵をそっと産みつけて孵化させる。その托卵を「偽装の技」と呼ぶ梶壮太の上司がこう言います。 

「戦後日本の情報コミュニティのなかで、俺たちは、最小にして最弱のインテリジェンス機関に甘んじてきた。だが、そのおかげで同業者やメディアの関心を惹くこともなかった。深い森にひっそりと生息するカッコウの群れみたいなもんや」 

「俺たちはみな戦後ずっと、鳴かずのカッコウとして生きてきた。だが、おまえらはそうやない。必ず世間から必要とされる時がくるはずや。堂々と翼を広げ、思い切って飛んでみろ」 

まだまだ「堂々と翼を広げーー」とはなっていませんが、外交ジャーナリストらしい綿密の取材に基づく本書は、小説という形を借りながら、ウクライナやバングラデシュといった一見無関係の国の人たちも巻き込んだ米中両国の国際諜報戦の一端を鋭く描いています。 

戦後日本が目をつむってきたインテリジェンスの世界。しかし、台湾をめぐる中国と米国の角逐ひとつみても、日本は無縁ではいられません。 

そんなインテリジェンス音痴の日本への「警告の書」とも言えます。多くの人の読んでほしい一冊です。 

(しみずのぼる) 

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