ジョージ・スマイリー再降臨!新刊『カーラの選択』が繋ぐスパイ小説の空白

ジョージ・スマイリー再降臨!新刊『カーラの選択』が繋ぐスパイ小説の空白

スパイ小説の金字塔として知られる『寒い国から帰ってきたスパイ』と『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ』。この名作の間に横たわる「空白の10年」を埋める新刊『カーラの選択』が登場しました。著者はジョン・ル・カレの息子、ニック・ハーカウェイです。伝説の諜報員ジョージ・スマイリーが再び躍動する本作の見どころと、過去作との深い繋がりについて解説します。(2026.5.3) 

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ル・カレが描いた東西冷戦とジョージ・スマイリーの足跡

スパイ小説でいちばん好きな作品は何ですか?と訊かれたら、きっと多くの人が、『寒い国から帰ってきたスパイ』か、『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ』のいずれかを挙げるのではないだろうか…と想像します。 

どちらもイギリスの作家、ジョン・ル・カレ(1931-2020)が著したもので、ル・カレはイギリスの諜報機関MI6に所属した経験を基に数々のスパイ小説を発表しました。 

1963年に発表された『寒い国から帰ってきたスパイ』は、2年前の1961年に東ドイツが建設した「ベルリンの壁」をモチーフに、東西冷戦のスパイ戦争の非情さを抉った傑作です。 

『寒い国』は、MI6の諜報部員アレック・リーマスが偽装工作の末に東独に潜入するも、ベルリンの壁を越えられずに死亡する…というエンディングで、壁の西ベルリン側でリーマスの出迎え役だったのがMI6の諜報部員ジョージ・スマイリーでした。 

一方の『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ』は1974年の発表で、MI6を引退したスマイリーがMI6内に深くもぐりこんだ二重スパイを探し当てる…というストーリー。2011年に邦題『裏切りのサーカス』の名で映画化されています。 

空白の10年を埋めるミッシング・リンク『カーラの選択』

『ティンカー、テイラー』は、〈カーラ〉の名で知られるソ連の諜報トップとのスパイ戦争を描いた〈スマイリー3部作〉の第1作目で、〈スマイリー3部作〉は海外では敵方の名を冠した〈カーラ・サーガ〉と言います。 

この〈カーラ〉の名を題名につけた『カーラの選択』(原題:Karla’s Choice)は、2024年に出版され、邦訳版は今年4月25日に早川書房から出版されたばかりです。 

『カーラの選択』(早川書房)

父の遺志を継ぐ息子ニック・ハーカウェイによる新章

著者名はニック ハーカウェイとジョン・ル・カレの連名ですが、ル・カレは2020年に亡くなっています。 

ル・カレが『寒い国』や〈スマイリー3部作〉で描いたMI6と〈カーラ〉率いるKGBとのスパイ戦争のプロットを活かした、ル・カレの息子(ニック ハーカウェイ)のまったく新しい小説ーーそれが『カーラの選択』です。 

ニック ハーカウェイはまえがきで次のように書いています。 

『寒い国から帰ってきたスパイ』と『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ』のあいだの十年の空白を埋める物語を書けないだろうかと真剣に考えていた 

本書を読んだあと『ティンカー、テイラー』に進んだり、『寒い国』に戻ったりできて、このサーカスももうひとつのル・カレ作品のサーカスだと感じられるだろうか 

『カーラの選択』は、まさに『寒い国』と『ティンカー、テイラー』のあいだをつなぐ、ミッシング・リンクを埋めるような小説です。 

1963年のロンドンを舞台にスマイリーが挑む新たな任務

時は1963年、舞台はロンドン。出版社を営むハンガリー出身の男ラースロー・バーナーティが、ソ連の暗殺者が訪れるタイミングで姿を消します。出版社に勤める元ハンガリー難民の女性スザンナが保護を求めたため、サーカス(=MI6のこと)トップの「コントロール」はバーナーティの行方を追う役目にスマイリーを指名します。 

以下、コントロールと運営部の女性職員ミリーとのやりとり。 

「もうひとつ、スマイリーが必要だ」
「サム・コリンズを呼ぶつもりでした」
「アマデウス(ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト)を要求したのに、クレメンティ(ムツィオ・クレメンティ・ローマに生まれ、イギリスで没した作曲家)をよこすつもりか。だめだ、ミリー、コリンズではない。コリンズ、ヘイドン、エスタへイスでも、ましてあの愚かな昼行燈のアレリンでもない。ボビー・マストンでもなければ、〈犬と鴨〉亭の主人でもない。ほかならぬジョージ・スマイリーだ」コントロールは憤慨し、彼女の不服従には飽き飽きしたとでも言いたげに、透明に見えるほど血色の悪い手を振った。「スマイリーだ。実現させてくれ」

ところがスマイリーは、『寒い国』でリーマスが死亡した事件に責任を感じ、サーカスを去って愛妻アンとの第二の人生を歩もうとしていました。以下、ミリーとスマイリーのやりとり。 

「本当にコントロールがきみをよこしたのか?」
「ええ」
「驚いたな。伝令にはまずピーターか、あるいはトビーを使うと思ったが。わが弟子たちだ。コントロールはつまるところ個別指導教官で、門弟や学派といった観点で世界を見る」
「あなたはこういうことから離れてよかったって、ピーターが。彼はアレックのことで怒ってます」
「当然だ」

『ティンカー、テイラー』ファンを唸らせる魅力的な登場人物

このあたりは『ティンカー、テイラー』の読者でなければ、おもしろみが半減するでしょう。 

ピーター・ギラムは『ティンカー、テイラー』でサーカス内の二重スパイ探しでスマイリーを手伝うMI6諜報部員ですし、コントロールが二重スパイとして疑うのが、昼行燈呼ばわりのアレリン(ティンカー)、ビル・ヘイドン(テイラー)、トビー・エスタヘイス(プアマン)です。サム・コリンズも『ティンカー、テイラー』でコントロールが信任する諜報部員として登場します。 

ミリーはしかし、通報したハンガリー難民の女性スザンナのためにも、スマイリーが必要だと訴える。

「サーカスでほかに彼女をきちんと扱える人がいますか、ジョージ? さっきのあなたのリストの誰が?」 

スマイリーはやむなく応じ、ミリーに告げた。 

「最初からコニーを加えてほしい。どうせあとで彼女に説明しなければならない」 

「調査の女王」コニー・サックスと知能集団の活躍

ここも『ティンカー、テイラー』の読者でなければ、おもしろみがわかりません。 

コニー・サックス。サーカスで「調査の女王」と呼ばれた分析官で、『ティンカー、テイラー』では、二重スパイの暗躍につながる端緒の情報を探り当てたためにMI6を解雇され、田舎に隠遁している設定です。 

つまり、『カーラの選択』では、コニーが「調査の女王」の呼び名を欲しいままにした時期というわけです。 

スザンナの説明で作られた似顔絵から、ビル・ヘイドンがラースロー・バーナーティの正体はローカ・フェレンツというスペイン内戦時から活動する東側の工作員と気付く。そして、ローカの過去を探る作業に従事するのが、コニーと”悪いおばたち”ーー。 

”おばたち”は、凋落した帝国の各地からコニーの要請に応じて集まった頭脳集団で、旧来のアナリストが音を上げるような質問に答えることを専門とする。 

ひとりは「中欧のぞっとする世紀のなかばを生き延びた」カトリン。もうひとりは「クロスワードや木製のパズルが大好き」なジェシカ。 

ジェシカとカトリンがまとめたものと、自分で入手した資料をすべて読んで、コニーは要請される短いあいだローカの過去を語る神官になる。(略)折れた鉛筆、映画館の半券、その他進行中の人生から生じた心和む無用の雑貨から彼の真実を見つけ出し、あらわにするのは、コニーの天与の才能だった。 

コニーらの助けも得ながら、スマイリーはバーナーティの過去を洗い出し、ソ連の暗殺者から逃れるため行方をくらましたバーナーティの行方を探るとともに、KGBトップのカーラがなぜバーナーティを抹殺しようとするのか…という謎に迫っていきます。 

諜報戦の極限で問われるスマイリーとカーラの選択

『カーラの選択』という題名は、本書の最終盤で明かされますが、これには前段があります。 

コントロールとスマイリーが『寒い国』で命を落とすリーマスの事件について口論する場面です。 

「あなたは部員に嘘をついたんです! あなたは、わたしはもうかかわっていないと彼に言いながら、彼の知らないところでわたしを走りまわらせた。そして彼は死んだ! われわれの欺瞞のせいで死んだ! わたしは黙従したが、あなたはいまも正しかったと思っている」
「正しくなかったのかね?」コントロールは興味深げに訊いた。本気でスマイリーの反論の骨子をつかもうとしているかのように。
「われわれの側は配慮します。部員は見捨てないし、自分たちの人間の限界も知っている。ときに勝つための犠牲が大きくなりすぎることもわかっている。敵のようになるくらいなら、負けるほうがいい。しかし、だからこそ、われわれには勝つ価値がある。限界を認めているから」
「モスクワも同じ考えになると思うかね?」コントロールはますます真剣に興味を示したように見えた。「われわれがそういう態度を示したら」
「わかりません。なるかもしれない」

諜報戦でどこまで非情になれるか。スマイリーの選択と”極北”に位置するコントロールの、そしてカーラの選択は!? 

既刊『寒い国から帰ってきたスパイ』読了後の通読を推奨

なお、本書を読まれるなら、『寒い国から帰ってきたスパイ』は絶対に先に読んでおく必要があります。 

理由は、東独に潜入したアレック・リーマスが最後は命を落とすというエンディングこそ明かしましたが、リーマスに与えられた使命ーースマイリーが憤る究極の欺瞞の内容まで、『カーラの選択』は触れてしまっているからです。 

ですから、『カーラの選択』を面白そう!と思って読もうと思う方は、遠回りになるかもしれませんが『寒い国』だけは絶対に先に読んでおくことをお勧めします。 

でも、『カーラの選択』を楽しみたいなら、やはり『ティンカー、テイラー』も読んでおくことが望ましいでしょう(もしくは映画『裏切りの』サーカス』を先に観ておくか、そのどちらかです) 

コントロール、コニー、ギラム、アレリン、ヘイドン、エスタヘイス……。 

『カーラの選択』の登場人物は、いずれも『ティンカー、テイラー』で重要な役柄を与えられている人物ばかりです。 

映画『裏切りのサーカス』予告編

本書は始まりに過ぎない!新スマイリー・シリーズの予感

訳者の加賀山卓朗氏のあとがきにも、こう書かれています。 

興味深いのは、本書に関しては読者が登場人物の先を行っていて、彼らの知らないことを知っているという点だ。つまり、私たちは本書のあと、『ティンカー、テイラー』や『スマイリーと仲間たち』で起きることを知っている。そういう状態で本書の人物の発言や行動を読むと、数年後の状況を踏まえてより深く愉しむことができるのだ(たとえば、”この人は『ティンカー、テイラー』でああなるから…”)。
つまり、この作品は単独でもおもしろいが、『寒い国』と”スマイリー三部作”を読んでから取りかかれば、読書の愉しみは二倍にも三倍にもなるはずである。

まったく同感です。 

きっと『カーラの選択』は、この新スマイリー・シリーズの一作目という位置づけだろうと確信します。なぜなら、本書が『寒い国』の直後の1963年の出来事を扱っているからです。 

スマイリーはこのあとサーカスに復職してコントロールの右腕になるでしょうし、愛妻アンとの不仲がカーラの手先であるMI6高官の暗躍にもつながっていく…と想像すると、ニック ハーカウェイは、まだまだ書きたい物語を持っているに違いありません。 

『寒い国』と『ティンカー、テイラー』のミッシング・リンクを埋める新スマイリー・シリーズとして、ぜひ多くの人に『カーラの選択』をお勧めしたいと思います。 

(しみずのぼる) 

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