塩田武士氏の『踊りつかれて』(文藝春秋)は、現代社会の歪みを鋭く切り取った社会派ミステリーです。物語は、SNSの誹謗中傷で命を絶った芸人と、週刊誌報道により表舞台から消えた歌手のファンを名乗る人物が、ネット上の加害者83人の個人情報を公開する「宣戦布告」から動き出します。匿名性の陰に隠れた悪意を告発し、読者に「情報への向き合い方」を問いかける本作の魅力を、あらすじと共にご紹介します。(2026.4.27)
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目次
直木賞候補の傑作|塩田武士が描くSNSの暗部
『踊りつかれて』は2025年の直木賞候補作。きっと塩田氏の代表作として、後々も語り継がれるであろう作品だと思います。
序章(宣戦布告)と第1章(加/被害者たち)から抜き出した文章で構成された、文芸春秋作成のショート動画をごらんください。
ブログ「踊りつかれて」に綴られた衝撃の宣戦布告
「枯葉」を名乗る人物がブログ「踊りつかれて」に載せた「宣戦布告」という題名のページは、挑発的な文章です。
よく聞け、匿名性で武装した卑怯者ども。
おまえらはただフリック入力してるだけって気軽に考えてるかもしれないけどさ、炎上に加担した時点でそれはおまえらの品性そのものなんだよ。
ただ感想言って何が悪いって開き直るのか? 感想なんて言葉でごまかすんじゃねぇ。陰湿な悪口だ。それが証拠に匿名じゃないと都合が悪いだろ?
SNSなんてなくなればいいのにな。えっ、ダメ? 余計なこと言うなって? そうだよなぁ。やっとおまえら権力者になれたもんな。炎上させて誰かが諦めたときに、社会を変えてやったと実感できるもんな。そうやって表面的な正義感で研いだナイフで、悪意の塊でつくった毒で世直ししてるもんな。
おっしゃる通り、表現の自由の行使だよ。でもな、自由には必ず責任が伴うんだよ。たとえそれが愚にもつかない陰口でも、情報を公開した時点で責を負うんだよ。
抹殺された2人の芸能人と晒された83人の実名
「枯葉」を名乗る人物は、「宣戦布告」のなかで2人の芸能人について触れる。
ひとりは不倫をSNSで叩かれ、誹謗中傷に耐え切れずに飛び降り自殺したお笑い芸人の天童ショージ。
もうひとりは80年代に一世を風靡し、90年代に入って週刊誌報道がきっかけで芸能界の表舞台から消した歌手の奥田美月。
俺が心の底から愛した芸能人は、奥田美月と天童ショージだけ。二人とも週刊誌とおまえたちに抹殺されてしまった。
そして、「やっぱり俺は週刊誌とおまえたちを赦せない」と続く。
いい加減な記事で美月をたたいた週刊誌関係者、天童を水底に叩き落としていい気持ちになった第五権力のおまえたち。
これから重罪認定した八十三人の氏名、年齢、住所、会社、学校、判明した個人情報の全てを公開していく。
次の第1章(加/被害者たち)では、実名や個人情報を曝された83人のうちの4人にふりかかるSNS上の誹謗中傷と当人たちの動揺、焦りが描かれます。
弁護士・久代奏が紐解く、告発者と被害者の過去の繋がり
本書のストーリーが動きだすのは第2章(依頼)、「枯葉」の弁護を担当することになった弁護士の久代奏が登場してからです。
第1章に登場する「加/被害者」のひとりは天童ショージの中学時代の同級生で、実名を曝されて失職と離婚の憂き目にあい、金に困窮して慰謝料欲しさに「枯葉」を名誉棄損罪で記事告訴します。
京都府警は捜査の末、奥田美月の音楽プロデューサーだった瀬尾政夫を「枯葉」と特定して逮捕した。
その瀬尾から弁護を依頼されたのが久代だった。久代も自殺した天童ショージや「加/被害者」の同級生だった。
瀬尾はなぜ久代に依頼したのか。そもそも奥田美月の音楽プロデューサーだった人物が、お笑いの世界とは関係が薄いにもかかわらず、なぜ天童ショージの自殺にこれほど苛烈に憤り、誹謗中傷した人物の実名をネットに曝すという挙に出たのか。
久代は瀬尾の過去を知るため、関係者に話を聞いて回り、瀬尾、美月、天童、そして久代自身の過去の”繋がり”を紐解いていく……というストーリーです。
SNSが生んだ、現代の「怪物」という真の恐怖
塩田武士氏の『踊りつかれて』は、つごう3種類の”怪物”が登場します。
ネタバレになるため詳細は控えますが、美月が小学生だった時に家族を破滅に追いやる”怪物”は、裏社会の雰囲気漂い、暴力で人を支配することを無上の喜びとする女。その次の”怪物”は、芸能界でドンと恐れられる人物で、自らの権力を誇示するため、陰湿な圧力を美月やその周辺にかけてきます。
しかし、暴力や権力を誇示する輩は、昭和・平成の時代には、どの社会にも見かけたものです。
そのような過去の遺物の”怪物”よりも、はるかに恐ろしいのがSNSで誹謗中傷を続ける人たちです。
したがって『踊りつかれて』は、久代が調べる瀬尾や美月、天童の過去をたどる過程に勝るとも劣らず、SNSの匿名性がもたらす”怪物”ぶりを告発する記述が目にとまります。
「安全圏のスナイパー」を止めるために必要なブレーキ
例えば、瀬尾は自らの裁判で、久代の被告人質問を通じて次のように訴えます。
「本来なら萎縮のない言論は尊いものです。しかし、人はどれほど気をつけても自らを客観視できない生き物です。最初は恐る恐る投稿していても、そのうち承認欲求が抑えられずに倫理観のタガが外れていき、いつしか『何を言っても構わない』と勘違いする『安全圏のスナイパー』が生まれるのです。『匿名性』の笠の下で湿気ている自らを棚に上げ、真偽不明の情報を弾丸にし、ひたすら”悪い奴ら”を撃ち続ける」
裁判官とのやりとりも出てきます。
「インターネットを介した情報被害について対策を講じるとき、どのような手段が理想的だと思われますか?」
「ブレーキが重要だと考えています」
「ブレーキ?」
裁判官が聞き返すと、瀬尾ははっきりと意思を示すように頷いた。
「私たちはニュースや投稿を目にすると、すぐに内容にのめり込んでしまいます。しかし、本来はここでブレーキを踏むべきなのです。『具体的な裏づけはあるか』『表現が過剰ではないか』『勝ち負けにこだわっていないか』『分かりやす過ぎる結論になっていないか』ーーこれらを確認するだけでも全く違うはずです。あと、既に炎上している事柄に便乗しそうになったときにも、ブレーキは必要です。『憂晴に人を利用していないか』『追い込まれる実在の人間を想像できているか』と自問してほしい」
人間の心の闇ーー「悪の可能性」が剝き出しの恐怖の時代
『踊りつかれて』を読んで最初に思い出したのは、人間の狂気と心の暗黒面をえぐる小説を数多く残したシャーリイ・ジャクソン(1916-1965年)の遺作「悪の可能性」でした。
主人公の老婦人ミス・ストレンジワースは、周囲に笑顔をふりまく穏やかな様子の裏側で、匿名の手紙で誹謗中傷を続けることを日課にしています。
”悲惨ナ白痴ノ子ヲ見タコトガナイカ? 世ノ中ニハ、子供ヲ産ンデハナラナイ人間ガイルノデハナイカネ?”
”マダワカラナイカネ、木曜日ニオマエがぶりっじ・くらぶヲ出タアト、残ッタミンナガナニヲ笑イアッテイタカ? ソレトモ、町内デ知ラヌハ女房バカリナリ、トハコノコトカネ?”
はじめて読んだ時に感じた不快さ、居心地の悪さ、人間の心の闇の深さへの慄然とした気持ちはいまも覚えています。
匿名性で守られるSNSによってミス・ストレンジワースだらけになった今日、暴力や権力をふるう”怪物”よりもはるかに恐ろしい恐怖の時代にあるのかもしれません。
20年後の倫理観へ…作品に込められた未来への希望
もっとも、著者の塩田武士氏は、人間の心の闇をそのまま読者に提示したシャーリイ・ジャクソンと異なり、むしろ『踊りつかれて』を通じて、世の中がよくなるように切に願っていることが強くうかがえます。
例えば、先に紹介した裁判官と瀬尾のやりとりで、瀬尾はこう続けます。
「地道に声を上げ続けるしかありません。ハラスメントに対する感覚が、昭和と令和では隔世の感があるように、私は世の中の倫理観が少しずつ向上していくと考えています。たとえ匿名の発信であっても、人の名誉や評価に関する内容なら、本当に投稿する必要があるのか否かを慎重に判断するようになっていくはずです。炎上も一過性のものと気づき、さほど重要視されなくなる可能性があります。二十年後には『あのときのネットの誹謗中傷は、むちゃくちゃだった』と話していると思います」
そうあってほしい…と痛切に思います。
そのためにも、塩田氏が『踊りつかれて』で世に問いかけた問題提起が、人々の心に響き、世の中が変わっていく端緒になることを願っています。
(しみずのぼる)
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