きょう紹介するのは大島清昭氏の「影踏亭の怪談」(創元推理文庫)です。「ホラーとミステリーの融合」という難題に果敢に取り組んだ小説で、こういうミステリーがあるのか!と驚きました(2025.10.22)
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ホラーと思って読み始めたら…
最初に出版社(東京創元社)の紹介画像をごらんください。
これを見ればホラーだと思いますよね? わたしもてっきりホラーだと思って読み始めました。
ところが、「影踏亭の怪談」は「ホラーとミステリーの融合に取り組んだ小説」と表現するのがふさわしそうです。
相矛盾する「合理」「非合理」
ホラーとミステリーは、実は相矛盾するジャンルです。
ホラーがあつかうのは怪異であり、過去の因縁が引き起こしているといった説明は挿入されても、基本的に人知を超えた現象であることに変わりありません。
他方でミステリーは、最初に提示される不可解な謎が探偵役の推理によって合理的な説明がなされて謎が解き明かされていくストーリーです。
ホラーは人知を超えた非合理な現象を扱い、ミステリーは合理的な説明を信条としますから、ある意味「水と油」のような関係です。
例えば「ホラーミステリー」と銘打った小説は、たいていはホラーテイストのミステリーの域を出ず、一見不可思議な現象が合理的な説明で解き明かされていく展開になりがちです(つまり読後感は怖くない…)
「影踏亭の怪談」に収められている4つの短編は、「ホラーか、ミステリーか」という二項対立で分類すればミステリーだろうと思います。
例えば、第17回ミステリーズ!新人賞受賞作である表題作は、先述の紹介のとおり「無数のお札で密室にされた部屋」で起きた殺人事件ーーつまり「密室トリックもの」です。
わたしは読み始めてお札が貼ってある部屋で死体が見つかったあたりで、「ああ、これはホラーテイストのミステリーだな…」と思いました。
ですが、この途中段階の予想は、ラストに見事に裏切られました。
「墜ちる天使」思い浮かぶ
これはネタバレになってしまいそうで紹介がとてもしにくいのですが、表題作を読み終えて真っ先に思い浮かべたのは、映画「エンゼル・ハート」(1987年)の原作、ウィリアム・ヒョーツバーグの「墜ちる天使」(1981年、ハヤカワ文庫)でした。
私立探偵ハリー・エンジェルはシフレなる男の依頼を受け、戦前の名歌手の行方を追い始めた。が、彼は意想外の事態に直面するーー占星術師、ブードゥー教の巫子や信者、悪魔崇拝者と、一様に怪しげな関係者、そして彼らの間に相次ぐ凄惨な殺人。果たして背後に潜む悪夢のごとき真相とは?
「墜ちる天使」は、主人公の私立探偵が調査するたびに殺人が起きて…という典型的なミステリー小説の展開にもかかわらず、その「背後に潜む悪夢のごとき真相」は、「合理」を前提にしては解けず、「非合理」を前提にしてはじめて解ける、という衝撃の結末が待っています(映画も小説も知らないという方は、ぜひ小説から読まれることを勧めます)
実は大島氏の「影踏亭の怪談」も同じなのです。「非合理」を前提にしてはじめてすべての謎が解けるーーという構造をしていて、密室殺人の謎が解き明かされるあたりまでは「やっぱりミステリーだな…」と思っていたのに、最後のページで「え?えー!」となります。

出版社の言うとおり「ラスト1ページに震える!」でした…
巻末の解説で朝宮運河氏はこう書いています。
多くの謎に筋の通った答えが呈示されるが(とりわけラスト一頁で明かされる事実は衝撃的だ)、一方では合理性の及ばない領域もあちこちに残されており、そのことがホラーならではの不穏な読後感をもたらしている。
怪談作家が解く密室殺人

僕の姉は実話怪談作家だ。本名にちなんだ「呻木叫子」というふざけた筆名で、民俗学でのフィールドワークの経験を生かしたルポルタージュ形式の作品を発表している。ある日姉の自宅を訪ねた僕は、密室の中で両瞼を己の髪で縫い合わされて昏睡する姉を発見する。この怪現象は、取材中だった旅館〈K亭〉に出没する霊と関連しているのか? 調査のため〈K亭〉こと影踏亭を訪れた僕は、深夜に発生した奇妙な密室殺人の第一発見者となってしまう――第十七回ミステリーズ!新人賞受賞作ほか全四編を収録する、怪談×ミステリの最前線。

朝宮氏はこう指摘しています。
お札で窓や玄関を内側から目張りされた離れが登場する表題作を筆頭に、収録作がすべて不可能犯罪を描いていることに注目してほしい。その背後にある大胆なトリックやロジックも含めて、作者がある種の本格ミステリが放つ人工的な美学に心惹かれているのは明らかだろう。
まったく同感です。ですから、わたしも本書をミステリーとして読みました。
でも、ただのホラーテイストのミステリー(=怪異を合理的な説明で解き明かす)ではなく、収録作のいずれもが「非合理」を前提にしてはじめてすべての謎が解ける構造をしているのです。
難易度が高いことに挑戦されているので、技巧に重きが置かれている点(朝宮氏の表現を借りるなら「人工的な美学」)は好悪分かれるでしょうが、わたしは素直に感動しました。
しかも、出版社の言うとおり、一見バラバラな内容の4つの短編が最終話で「すべて繋がる」のです。思わずうなってしまいました…
ふたたび朝宮氏の解説から引用して、わたしの拙い紹介文を終えたいと思います。
最終話「冷凍メロンの怪談」において四つのエピソードの関連が示され、読者の眼前に戦慄の事実が突き付けられるのだ。ささやかな違和感が結びつき、忌まわしいものとなって現われてくる驚きと恐怖。本書は紛れもなく一編の”怪談”であった。それもとびきり怖ろしい、呪われた怪談だ。デビュー作においてこの大胆不敵な企みを着想し、それを実現させてしまった作者には脱帽するしかない。
(しみずのぼる)
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