きょうは三津田信三氏の最新刊「妖怪怪談」(光文社刊)を紹介します。扱っているのは、座敷童、河童、雪女、鬼、神隠し。「誰もが知る伝承にまつわる五つの怪異譚」で、存分に怖がらせてくれます(2025.10.16)
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座敷童、河童、雪女、鬼、神隠し
最初に出版社の用意したあらすじの一部を引用します。
怪異は、あなたを見ている。そして、連れ去りに来る。 これは、怪異に選ばれてしまった者たちの、想像を絶する恐怖の記録。 伝承は警告する。決して深入りしてはならない領域があると。
「妖怪怪談」は連作短編集の形式で、それぞれが扱う「伝承」は、
- 座敷童(第1話「なぜかいるもの」)
- 河童(第2話「獺淵の記憶」)
- 雪女(第3話「白女」)
- 鬼(第4話「蓑着て笠着て来るものは」)
- 神隠し(最終話「やがて神隠し」)
となります。
そんなに怖い?と油断…
でも、ホラー慣れしている読者が多い昨今、そんなに怖いもの?と思う人も少なくないのではないでしょうか。
「雪女」なら小泉八雲の小説を連想して、最後は主人公と子を成すけど主人公が口にしてしまって子供を残して立ち去るんだったよな…などと思い起こし、「怖いというより、哀しい怪談」と思う人も多いでしょう。
河童なら水木しげるの「河童の三平」を思い浮かべますし、座敷童だって、以前に紹介した手塚治虫の「いないいないばあ」みたいな微笑ましいお話もあります……。
しかも、三津田氏のホラー小説はひとつ大きな特徴があって、書き出しに怪異についての民俗学的な分析・考察に関する記述がついてきます。特に座敷童や河童などは過去の文献も多いため、この分析・考察部分が長くなります。
それだけに、三津田氏の「妖怪怪談」は、(1)分析・考察の記述が多い、(2)題材がそれほど怖くないーーという理由から、読み始めてしばらくは「いつもの三津田ホラーと比べると怖くないな…」と油断してしまいます。
ところが、出版社のあらすじのとおりなのです。先述のあらすじの続きを引用します。
誰もが知る伝承にまつわる五つの怪異譚。 それは、常識を遥かに超えた、おぞましい現実だった。一度でもそれに関わってしまったが最後、決して逃れることはできない。 本書で語られる体験談は、あなたを民俗伝承の底知れぬ闇へと引きずり込む。 知ってはいけない、見てはいけない。だが、もう読む前のあなたには戻れない――。
山で遭遇する「白いもの」
表紙にもなっている第3話「白女(しらおんな)」の怪異譚部分を紹介しましょう。
なお「飯場(はんば)」「人夫(にんぷ)」という表現をそのまま使いますが、怪異譚部分の直前に三津田氏が「語り手が生きた時代に鑑みてそのままとした」という断り書きがついています。
主人公は出稼ぎで山の人夫仕事を続けてきた老人で、まだ若く人夫をはじめて間もない頃、ある飯場で花森という老人が酒に酔って、山々での奇妙な体験談を口にした。
「ある森の中で小屋を建てて住んでいたとき、夜中に甲高い女性の声が聞こえたことが何度かあった。ほとんど真っ暗な木々の間を、まったくぶつからずに走り抜けながら、女のようなものが叫ぶように何かを喋っている。そういう光景が、ぱっと頭に浮かんだ」
「……女とは、違うんか」
「さぁ、どうだろう。あれは何度目かの夜だった。その声がちょっとずつ小屋に近づいているらしいことに、ようやく気づいてな。翌朝すぐに、そこを離れた」
「………」
「別の山の小屋では、どんなに気をつけても隙間風が入る。それも寝ているときに、寒さに震える羽目になる。その日も、ちょっとでも夜気が侵入しような箇所は、できるだけふさぐように用心して寝た。なのに気づくと、ふと肌寒さで目覚めていた。そうしたら戸口の菰が少しだけ捲れていて、ぬっと真っ黒な顔が覗いていた」
「暗闇やったから、よう見えんかったとか……」
「いいや、本当に真っ黒な顔だった。もちろん翌朝、そこを離れた」
「………」
「こうして振り返ってみると、その場に見切りをつけて、新しい場所に移動する理由が、その都度ちゃんとあったことが分かる」
そんな奇妙な体験談の流れで、花森から「山の中で、何か見たことはあるか」と唐突に訊かれた。
「……何かって言われても、どんなもんか分からんと、そら答えられん」
「変なもの、妙なもの」
「もうちょっと具体的に……」
男が訊ねると、花森は、かなり躊躇ったあとで「白っぽいもの」と言った。
「あれに見詰められても、決して振り向いてはいけない」
「……あ、あれって?」
「あれに呼ばれても、決して返事をしてはいけない」
「………」
「あれに誘われても、決して跟(つ)いて行ってはいけない」
「………」
「あれに助けられても、決して礼を言ってはいけない」
「………」
「あれに乞われても、決して招いてはいけない」
「………」
「あれにーー」
「花森さん……、あ、あれ……って、いったい何のことなんや」
「………」
しばらく老人は口を閉ざしとったけど、物凄う小さな声で、
「……■●おんな」
ほとんど囁くように呟いたあと、急に鍋を片づけはじめよった。
花森は、それ以上は何も語らなかったが、その日を境に行方知れずになった。
何かが跟いてくる
それから数年後、いくつもの飯場をはさんで、男は伐採で事故にあいかけた。
見事な樹を伐採したとき、その枝が折れて儂の方に、びゅーんと飛んできた。枝いうても太いうえに、飛んでくるから勢いもえろうある。そんなもんが身体に当たったら、そら大怪我を負う。打ちどころが悪かったら、あっさり死ぬやろう。
とっさの判断で、儂は左に避(よ)けようとした。
……右。
けど、そんな声が聞こえた気がした。辺りには誰もおらんし、そもそも一瞬の出来事や。儂でさえ声も出んで、反射的に左やと判断できただけの状況で、すぐさま「右」やと指示することなんか、絶対に無理なはずやのに。
事故を回避できたものの、声の主はみたらない。そのときから、
……何かが跟いてくる。
という気配を男は感じるようになった。
……見たら、お終い
そして、年末に飯場に残る年があり、二階、弁天、中田という名の人夫と一緒に雪の日に小屋で一夜過ごすことになった。あまりの寒さに男が寝返りをうつと、
何かが二階の寝顔を、凝っと覗き込んどる。
それは白っぽい人影のようなもんで、どうも女のように思えた。そこまで人の格好には見えんかった気がするのに、なぜか女のように感じた。
儂が目を離せんまま見詰めとったら、それが二階の顔にすううっと近づいて、まるで接吻するような仕草をして……。
翌朝、二階は目をあけて窒息したような表情で死んでいた。その翌日には弁天が、さらに翌日には中田も、二階と同じような様子で死んだ。「次は儂の番や」ーー男はそう思った。
儂はその夜、飯場小屋で普通に寝入ってしもうた。ほんまは起きとって、あの女の気配を探る心算やったのに……。
はっと気づいたら顔の上に、ぞわっとするほど冷たい何かの気配がある。
……あれや。
男は死を覚悟した。ところが、いつまでたっても顔の上の冷気が動かない。「見とうないけど見たい」という不思議な思いに囚われはじめた。
あまりにも矛盾した感情と、途轍もない恐怖と、顔が凍るような寒さに苛まれて、もう我慢できんで奇声を上げて、ばっと布団から飛び出しそうになったときや。
……見たら、お終い。
顔の上から女の声が降りてきた。それとも頭ん中で響いたんか。
……話しても、お終い。
そっから声はもうせんかったけど、顔の上の冷気は相変わらずあってな、あの女が儂をずっと覗き込んどるようやった。まったく動く気配のないまんま、いつまでも凝っと見下ろしとったみたいでな。
そのまあ気を失った男は翌朝目を覚ましたが、その日から飯場にみんなが戻って来るまでの数日間、夜になると女があらわれて男の顔を眺め続けた。
……見たら、お終い
……話しても、お終い
そんな囁き声を聞かせながら一晩中、儂の顔を見下ろしよるんや。
「話しても、お終い」の話を、この男は話しても大丈夫なのか?という読者の疑問は当然です。そこから先の紹介は控えますが、出版社の用意したあらすじにあるとおり、
本書で語られる体験談は、あなたを民俗伝承の底知れぬ闇へと引きずり込む
仕掛けが最終話「やがて神隠し」で待っています。
「妖怪怪談」は、分析・考察部分で「怖くないな…」と思ってしまいがちですが、怪異譚の部分で存分に怖がらせてくれるので、ぜひ最後まで読み進めることをお勧めします。
(しみずのぼる)
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