本を買う時に装丁に惹かれて…という経験は誰しもあるでしょう。私にも(半世紀以上前の)中学1年生の時、本屋さんでまるで吸い寄せられるように手に取ったSFがあります。エドガー・ライス・バローズの「火星のプリンセス」(創元SF文庫)。ああ~私も!という中高年は多いのではないでしょうか(2025.7.25)
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「読書の快楽」の一文
もうあらすじもぼんやりとしか覚えていないSF小説のことを思い出したのは、P・K・ディックの「時は乱れて」を紹介しようと、本棚からぼくらはカルチャー探偵団編「読書の快楽」(角川文庫)を引っ張り出してきたからです。
畑中佳樹氏の「SF ベスト50」の項目で、バローズの「火星シリーズ」がありました。

おお~懐かしい!中学1年生の時に全巻読破したよな…
畑中氏はこう紹介しています。
エドガー・ライス・バローズ『火星シリーズ』(創元推理文庫)
恥をしのんで、ついに選んでしまった! 大人の鑑賞に耐えるかどうかは大いに疑問だが、さっきから言ってるように、SFが大人の鑑賞に耐えなければならない理由などないわけだし、それに子供のころの愛読書だったこのシリーズの十一冊は、ぼくの心の中で確実にSFの原風景を形成っていて、これはどうしても選ばざるをえない。
あらためて読み返してみると、エドガー・ライス・バローズも相当に病的な想像力の持主であったことに驚かされる。村上春樹ならばロバート・E・ハワードを選ぶのだろうが、ぼくにとってバローズの方が二倍も三倍も興味深いライターなのだ。
蛇足ながら、武部本一郎画伯の挿絵もなかなかにエロチック。
「恥をしのんで」とか「大人の鑑賞」云々とか、いろいろエクスキューズをつけないと紹介できない本というのもちょっと…と思いますが、かくいう私も小学校高学年から中学生にかけて、バローズの火星シリーズやエドモンド・ハミルトンの「キャプテン・フューチャー」シリーズなどのスペース・オペラにハマった口なので、「ぼくの心の中で確実にSFの原風景」という表現は思い当たるものがあります。
でも、バローズの火星シリーズというより、第1作目の「火星のプリンセス」は、スペース・オペラもSFの原風景も、実は関係ありません。ついこないだまで小学生だった”中坊”を引き寄せたのは、畑中氏が「蛇足ながら…」と書いた一文、「なかなかにエロチック」な表紙絵でした。

中学1生の時に創元SF文庫で全11巻揃って持っていたはずなのに全て散逸。にもかかわらず、1999年に合本版が発売されると、もう中年になっているのにまた買ってしまう……というのは、もはやこの表紙絵が理由としか思えません。
武部本一郎氏の挿絵
表紙絵や挿絵の担当は武部本一郎氏(1914~1980年)。ウィキペディアによると、
1957年に上京してからは本格的に児童書の挿絵などで活躍するかたわら、1965年から東京創元社刊の『火星のプリンセス』(エドガー・ライス・バローズ作)に始まる火星シリーズの表紙イラストや挿絵を手がける。この作品でSFファンに認知された。
1980年の死去後、星雲賞特別賞を受賞(イラストレーターでは唯一の特別賞受賞)。亡くなった後も画集が発売されたり、2007年に回顧展が開催されるなど根強い人気を持つ。
とあります。やはり「火星のプリンセス」が武部氏の代表作と言っても言い過ぎではないでしょう。
原画が数万ドルで取り引き
「火星のプリンセス」は次のようなあらすじです。

南軍の騎兵隊大尉ジョン・カーターは、ある夜アリゾナの洞窟から忽然として火星に飛来した。時まさに火星は乱世戦国、四本腕の獰猛な緑色人、地球人そっくりの美しい赤色人などが、それぞれ皇帝を戴いて戦争に明け暮れていた。快男子カーターは、縦横無尽の大活躍のはて、絶世の美女デジャー・ソリスと結ばれるが、そのとき火星は……。
主人公は南軍の騎兵隊大尉ジョン・カーターではありますが、合本版「火星シリーズ」第1集(創元推理文庫)のカバー扉には「デジャー・ソリス わがマリアさま」という一文が載っています。筆者はSF作家の野田昌宏氏。
東京創元社版〈火星シリーズ〉が引き起こした衝撃は、国内よりむしろE・R・バローズの本家アメリカを真ッ正面から襲ったというべきだろう。
言うまでもなく、武部本一郎の素晴らしくユニークなイラストの数々のことである。
彼の構築した火星空間は、世界中のバローズ・ファンが想像もしていなかったユニークなデザインのハードウェア類と色気あふれる豊麗な美女たちを生み出した。
多くのバローズ・ファンにとって、大切なのは地球からテレポートされた豪傑ジョン・カーターより火星の美女デジャー・ソリスなわけで、アレン・セントジョンに代表される彼女のイラストや表紙絵の原画は数千~数万ドルで取り引きされており、リトル・トウキョウで買ったのか、日本の神棚や仏壇にそんな原画を奉っている阿呆が私の知るかぎりで数人いる……。まさにマリアさまなのである。
世界にセンセーション
もうひとつ紹介しましょう。「芸術新潮」2022年6月号です。

この特集は小野不由美氏「十二国記」シリーズのイラストを担当する山田章博氏ですが(「十二国記」ファンなら必携)、特集の中に「小説『装画・挿絵』のアート史」という一文があり(筆者は「芸術新潮」編集部・大久保信久氏)、そこで取り上げる8人の挿絵画家の筆頭に登場するのが武部本一郎氏なのです。
驚いたことに、この装画は日本語版でしか使われていないにもかかわらず、世界でも人気を博したという。
「もともとバローズの諸作には1920年代からさまざまな画家が挿絵を描いている」「ERBのファンたちは、そんな挿絵をあつめ、原画をなんとか入手しようと、まさにファンならではの苦労をつみ重ねてきていた。そこに太平洋の向こうから、まさに彗星のように現れた武部ERBイラスト群の第1発がこれである」「世界的なバローズ研究家として知られるH・H・ヘインズのところへ私の送った1冊がセンセーションをまきおこし、今日まで、ERBファンたちの要望に応じて、私は一体、何冊の創元推理文庫を世界各国へ送らされたことだろう」
文中のカギカッコで話しているのは前述の野田昌宏氏なので、ニュースソースはどちらも野田氏ということになるのですが、多くのSFファンにとって「火星のプリンセス」は武部本一郎氏の表紙絵と分かちがたく結びついているのは確かでしょう。

せっかく本棚から引っ張り出してきたんだから、何十年かぶりに「火星シリーズ」を読み直そうかな……。
(しみずのぼる)
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