不気味なマリリン・モンロー…P・K・ディック「時は乱れて」 

不気味なマリリン・モンロー…P・K・ディック「時は乱れて」 

きょうはフィリップ・K・ディックの「時は乱れて」(原題:Time Out of Joint)を紹介します。わたしにとってサンリオSF文庫の思い出と言えばコレというSF小説です。不気味なマリリン・モンローの文句に惹かれて古本を探しまくりました(2025.7.24) 

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サンリオSF文庫で絶版

サンリオSF文庫は、ハローキティで有名なサンリオが1978年から1987年まで発刊していた文庫です。サンリオが出版部をつくった経緯はつい最近記事にしました。 

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サンリオが上場するにあたって銀行からSF文庫からの撤退を強く求められたための廃刊だそうですが、とにかく突然ごっそりと文庫本がなくなったのは驚きました。それまで普通に書店に並んでいたのに、すべての文庫が絶版の憂き目にあったのですから……。 

1987年と言えば会社の仕事に没頭してた時期だったなあ。あの頃は何にハマって読んでったっけ… 

わたしはSFやファンタジーも好きですが、ホラーも大好きで、スパイ小説や歴史小説、時代小説も…と乱読傾向がはなはだしいため「サンリオSF文庫が廃刊する」というニュースに接しても買いだめしておく…という発想がなかったのは確かです。 

そんなわたしが古本を探して買い求めたサンリオSF文庫の一冊が、フィリップ・K・ディックの「時は乱れて」でした。 

P・K・ディックをはじめて読んだのは高校1年の時。1970年代半ばのことで、ハヤカワ文庫NVから出ていた仁賀克雄氏編纂の短編集「地図にない町」でした(そのことも以前に記事にしました) 

「読書の快楽」で知る

「地図にない町」でハマって以来、P・K・ディックはいろいろと読んではいたものの、「時は乱れて」のことは知らずにいたのですが、ぼくらはカルチャー探偵団編「読書の快楽」(角川文庫)というブックガイドで、こんな文章に”遭遇”したのです。 

フィリップ・K・ディック「時は乱れて」(サンリオSF文庫)
やはり筆頭はディックだろう。作品の多い作家なので代表作は五、六冊はすぐに思い浮かぶが、あえて初期の埋もれた傑作を選んでみた。ぼくの独断では、ディックは初期の方が面白い。なにしろこの人は、人生を逆さまに生きたとでもいうのか、年を取るごとに若返っていった人である。つまり、若いころに老成した娯楽小説を書きまくり、年を取ってから若気の至りみたいな青臭い哲学小説を書いた。現代のディック批評は、その哲学小説の方をいいカモにしているわけだが、すれっからしのSFファンは、なんてったって一九五〇年代のディックを選ぶのである。
『時は乱れて』は文句なしに面白く、骨の髄まで病んでいるようなSFだ。マリリン・モンローをこんなに不気味に描写した小説がかつてあっただろうか?

マリリン・モンロー?不気味に描写?どんな小説だ??? 

筆者は畑中佳樹氏。「SF ベスト50」の項目で、畑中氏がいちばん最初に挙げたのが「時は乱れて」です。おそらく畑中氏のおすすめ順だろうと思うのですが、「時は乱れて」の後は、 

  • アーサー・C・クラーク「幼年期の終わり」 
  • ロバート・A・ハインライン「夏への扉」 
  • フレドリック・ブラウン「発狂した宇宙」 
  • エドガー・ライス・バローズ「火星シリーズ」 

と”王道”のSFものが続きます。わたし自身、どれも夢中になって読んだSFなので、俄然、未読の「時は乱れて」を読みたくなるのは当然でしょう? 

手元にある「読書の快楽」は昭和62年4月の3刷版です。昭和62年=1987年だから、サンリオSF文庫廃刊の年です! 

でも「時は乱れて」は、本屋に直行しても見つけられませんでした。以来、神保町の古本街に行けば文庫コーナーで必ず物色する一冊となった次第です(数年後に古本屋で見つけましたが、いつ、どこの古本屋さんだったか覚えていません…) 

「時は乱れて」と「読書の快楽」

懸賞クイズで勝ち続ける男

あらすじは「サンリオSF文庫総解説」(牧眞司大森望編、本の雑誌社)から紹介しましょう。

時は1959年(本書の出版年)。食糧品屋を経営するヴィックは、レジ係のリズに軽くときめきを覚えつつ、妻のマーゴ、息子のサミイと幸せな家庭を営んでいる。同居しているマーゴの兄のレイグルは、新聞の懸賞クイズで三年間首位を独走している有名人。彼には論理ではなく美学的な見地からパタンを認知し判断する特殊な能力があるらしい。もっとも本人は、定職を持たず、やくざな生活を繰り返す自分にコンプレックスを抱いている。隣人は水道局に勤務する新婚ほやほやのブラック夫婦。マーゴには新妻のジャニーがことあるごとにレイグルに熱い視線を送っているように思える。

というふうに、最初のうちはアメリカの地方都市の日常風景が淡々と続きます。

正直なところ「これってSFなのか?」と思うほどです。懸賞クイズに勝ち続けるレイグルが幻覚に悩んでいる以外は、ホームドラマのような記述が続きます。 

そんなある日、ヴィックの息子サミイが廃墟に秘密基地を作ろうと潜り込み、電話帳と水に濡れた雑誌をみつけた。サミイから雑誌の切り抜きをもらったレイグルは夜、廃墟に足を運んだ。そこでみつけた雑誌をひらいた。 

廃屋で見つけた雑誌の写真

いよいよマリリン・モンローの登場なのですが、ちょっと想像してみてください。小説を読む時、主人公(この場合レイグル)の視線で読者も読んでいるわけです。だから、マリリン・モンローの出てくる場面は、文字を目で追っていて「え?」となります。 

最初の写真は、ペンシルヴァニアの大列車事故を扱ったものである。次の写真記事はーー
北欧系と思われるブロンドの美人女優であった。レイグルは手を伸ばしてライトを動かし、その頁にさらに光をあてた。
その若い女性の髪は豊かで見事に整えられており、かなり長かった。驚くほど魅惑的な微笑を浮かべていて、どこか子供っぽくそれでいて神秘的なその微笑がレイグルの眼を引いた。いまだかつて見たことがないほど魅力的な容姿、それに加えて、幅広く豊満で肉感的な顎、うなじーー駆け出しの女優にありがちなものとは違って、成熟しきった女の首すじだーーそして完璧な肩の曲線。僅かな贅肉もなく、痩せすぎでもない。混血だと彼は断定する。ドイツ人の髪。スイス人かノルウェー人の肩。
だが、真に彼を惹きつけたもの、あらゆる存在を疑いはじめたレイグルの心をとらえたものは、この女性の素晴らしい全身像であった。何という悩ましさ、それでいて何と純粋な印象を与える娘だろう。どうすればこれほどまでに見事な姿形を獲得することができるのか?
しかも彼女自身、それを喜んで誇示しているように見える、身をのりだしているために乳房がほとんどあらわになり、いまにもこぼれてしまいそうだ。それはこの世で最もなめらかで最も硬く、最も自然な印象を与える乳房だった。しかも、とても暖かそうに思える。
レイグルはこの女性の名前に心あたりがなかった。

レイグルはヴィックを呼び、ヴィックにも雑誌を見せた。マーゴも近寄って来て雑誌を覗いた。 

写真の下には説明文があった。「サー・ローレンス・オリビエと共演の映画撮影のためにイギリスを訪問中のマリリン・モンロー」
「聞いたことある?」マーゴが言った。
「ないな」とレイグル。
「きっとイギリスの新進女優だよ」とヴィック。

いかがですか。自分が主人公だと思っていたレイグルやその家族が、マリリン・モンロ-の写真を見ても知らない……ということは? 確かなものと信じていたものが足元からとたんにあやふやになるという、まさにディックお得意の現実崩壊感覚です。 

隣人はなぜ知っている

レイグルたちは結局、マーゴが「『消費者ダイジェスト』にいつも、ごまかしや曖昧な広告に注意しろって書いてあるの」「たぶんこの雑誌もこのマリリン・モンローとかの評判も、いいかげんな作り話の寄せ集めでしかないと思うわ」と言ったため、作り話か何かのたぐいだろう…という結論に落ち着きます。 

でも、マリリン・モンローには続きがあります。 良き隣人だと思っていた水道局勤務のブラックに、ヴィックが「マリリン・モンローとかいう人物のことを聞いたことがあるかね?」と訊ねる場面です。 

ブラックはこの言葉に、奇妙に意味ありげな表情を浮かべた。「それがどうしたんだい?」彼はゆっくりと言った。
「聞いたことがあるのか、ないのか」
「あるとも」
「嘘だろう」ヴィックが言う。「何かの冗談だと思ってだまされまいとしているんだ」
「正直に答えてくれ」とレイグル。「冗談ではないんだ」
「むろん聞いたことはあるさ」ブラックは言った。
「誰なんだ?」
「彼女はーー」ブラックはマーゴかサミイに聞かれはしないかと別室の方をうかがった。「彼女は現代で最も見事なバストの持ち主だろうな」そして付け加える。「ハリウッドの女優だよ」

何やらレイグルたちの動向を探るような雰囲気の隣人のほうはマリリン・モンローを知っていて、レイグルたちのほうがおかしい……これはどういうことだ? 

こんなふうに、徐々にレイグルたちが信じている世界が、ポロポロと剥がれ落ちるがごとく、崩壊していく様が描かれています。

 2014年にハヤカワ文庫が再刊

ふたたび「サンリオSF文庫総解説」から。 

サミイが作った鉱石ラジオが、意味不明の謎の通信を捉える。通信会話の中にはレイグルの名前があった。
世界は見た目通りのものではないらしい。懸賞クイズもじつはクイズではないようだ。それどころか、すべての事象の中心にあるものこそレイグルの解く懸賞クイズのようなのだ。世界の真の姿を探ろうとレイグルは町からの脱出を図る。
人間模様の書込み、醸成されていく不安、意外な展開。まとまりのよさ。ディックのなかでも上位に位置する作品である。2014年にハヤカワ文庫SFより再刊された。

牧眞司・大森望編「サンリオSF文庫総解説」(本の雑誌社)

「読書の快楽」の紹介文のとおり、骨の髄まで病んでいるようなSFです。 

不気味なマリリン・モンローが暗示する世界の真の姿は、ぜひ再刊された「時は乱れて」でお確かめください。 

2014年に再刊された「時は乱れて」(ハヤカワ文庫SF)

(しみずのぼる) 

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