なのにABBAで。まさかABBAで…出色の一冊「ヤクザときときピアノ」 

なのにABBAで。まさかABBAで…出色の一冊「ヤクザときときピアノ」 

久々に気持ちよく笑い、胸が熱くなりました。52歳のヤクザ専門ライターがABBAの『ダンシング・クィーン』を弾きたいと思い立ってピアノを習う日々を綴った本です。「ヤクザときどきピアノ」。フザけた題名と思いきや、題名どおりの内容でした(2025.6.12) 

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一冊も読んだことがない

ヤクザときどきピアノ」(CEメディアハウス刊)の著者は鈴木智彦氏。本の著者紹介から引用します。

ヤクザ専門誌『実話時代』編集部に入社。『実話時代BULL』編集長を務めたのち、フリーに。 

著書に『サカナとヤクザ 暴力団の巨大資金源「密漁ビジネス」を追う』(小学館)、『潜入ルポ ヤクザの修羅場』(文春新書)、『ヤクザと原発福島第一潜入記』(文春新書)など多数。 

う~ん、『実話時代』は読んだこともないですし、ここに挙がる著書も一冊も読んだことがありません…。 

にもかかわらず、鈴木氏の本を手に取ったのは、ABBAの『ダンシング・クィーン』を弾きたいと思ったくだりを紹介するウェブ記事を読んだからでした。 

鈴木智彦「ヤクザときどきピアノ」(CEメディアハウス刊)

涙が溢れて止まらない

取材に5年かけた『サカナとヤクザ』の校了明けで気分が昂揚した状態で入った映画館。たまたま上映していたのがミュージカル映画「マンマ・ミーア!」の続編「マンマ・ミーア! ヒア・ウィー・ゴー」だったそうです。 

マンマ・ミーア! ヒア・ウィー・ゴー

2008年、当時のミュージカル映画史上世界No.1の興収記録を塗りかえた『マンマ・ミーア!』。
すべての人を笑顔にした母ドナと娘ソフィが、さらに多くの人々を幸せにするために帰ってきた!
新たな物語で描かれるのは、ドナと3人のパパとの間に、本当は何があったのかという過去と、ソフィが母になるまでの未来。
前作の“それ以前”と“その後”がひとつになったドラマティックな展開で、
母から娘、そのまた娘へと受け継がれる愛と絆を描き、あらゆる世代を感動で包み込む。

正直、たわいない内容で、凝ったストーリー展開も、目を見張るようなアクションも、どんでん返しもない。親子の情という泣きの旋律を刺激されても、この程度で涙を流せるほどウブでもない。普段、暴力団というアクの強い題材を取材しているのだ。正常位ではイケない。 

ところがABBAのスマッシュ・ヒットである『ダンシング・クィーン』が流れた時、ふいに涙が出たーー。 

というより、涙腺が故障したのかと思うほど涙が溢れて止まらない。すぐに鼻水も出てきて、嗚咽が止まらず、なにが起きたのか把握できなかった。 

けっこうな声で泣いたのだろう、数列前に座っていたカップルが、何事かとばかりこちらを振り返る。必要以上に映画をくさして恐縮だが、このシーンも幼稚な演出のどうでもいい場面だった。決して映画で感動したのではない。『ダンシング・クィーン』の歌詞もわかっていない。なにしろ英語は、単語を認識する程度しかわからない。 

魂の奥底に入り込んだのは、紛れもなく音楽そのもの……ABBAのメロディーとリズムだった。 

特に特徴あるピアノの旋律が直接感情の根元を揺さぶった。 

〈ピアノでこの曲を弾きたい〉 

雷に打たれるようにそう思った。身体が音楽で包まれていた。 

お断りしておきますが、文字が突然大きくなったり、太字が混ざったりするのは、忠実に「ヤクザときどきピアノ」を引用したためです。 

ガキの頃からそれなりに音楽は好きで、ロックやポップスのミュージシャンには一家言あるつもりだった。

なのにABBAで。
まさかABBAで。

著者が52歳の出来事だそうです。

「まさかABBAで」…わたしも

わたしも「なのにABBAで。まさかABBAで」というのは少し理解できます。 

ABBAがヒット曲を量産した1970年代後半から80年代前半にかけて、高校生から大学生だったわたしはロックやジャズに傾倒していて、街中で流れるためABBAの曲は耳にしたことはあっても、決して自分から聴こうとは思わないたぐいの曲でした。 

ところが40代半ばに米国に一年滞在。ニューヨーク・ブロードウェイでミュージカルにハマって、帰国後も劇団四季の会員になって「マンマ・ミーア!」を観に行ったりするうちに、「ABBAって名曲揃いだなあ」と素直に思うようになりました。 

「ヤクザときどきピアノ」にも、U2ボノの言葉が出てきます。 

「パンクロック全盛だった。俺たちはABBAのことを受け入れられなかった。彼らは女性受けする音楽ばかり作っていた。だから俺たちは正直、相手にしてなかったんだ。でもいまじゃABBAは最も偉大なポップグループのひとつになっている。彼らは音楽を純粋に楽しんでいる。そこがABBAのすごいところさ」 

レイコ先生の含蓄ある言葉

このABBAのくだりに興味を惹かれて手に取った「ヤクザときどきピアノ」ですが、「『ダンシング・クィーン』を弾きたいんです」と言って門を叩いたピアノ教室にことごとく断られ、ようやく出会ったレイコ先生というピアノ講師とのやりとりが実にいいのです。 

挨拶を交わし、さっそく、一の太刀を振り下ろす。
「『ダンシング・クィーン』を弾けますか?」

「練習すれば、弾けない曲などありません」

(略)

「俺でも弾けるんですよね?」
練習すればどんな曲でも必ず弾けます
「難しい曲でもですか?」
ピアノ講師に二言はないわ

ぴしゃりとした返答が心地よい。

レイコ先生のこんなセリフも出てきます。 

ピアノは”ながら練習”ができないの。テレビを観ながら、ラジオを聞きながら、誰かと電話しながらというわけにはいかず、真剣に没頭するしかありません。しかし、集中力はそう長く続きません。
一年間、毎日三時間練習するとしましょう。練習時間と上達の速度が比例するから、朝から晩までぶっ続けで九時間鍵盤を叩けば四ヶ月で終わる。でもこの二つは決して同じ結果にならない。一年間毎日続けた人の方が上達するの。
身体に動作を叩き込もうとする時、点滴の針を太くしても意味がないのよ

いかがですか。とても含蓄のある言葉だと思いませんか。 

手がはっきりと震えだした

本書の題名にも出てくるぐらいですから、「ヤクザ」のくだりももちろんあります。例えば、業界用語を紹介するくだり…。 

俺は超がつくピアノの初心者だ。『のだめカンタービレ』の千秋先輩や『蜜蜂と遠雷』の風間塵とは、親分とチンピラほどポジションが違う。組長クラスがヒネ(※警察)にチンコロ(※密告)し合って謀略の限りを尽くし、ドス(※白鞘で鍔のない短い日本刀)折れ、チャカ(※拳銃)のマメ(※弾)尽きるまで死闘をくり広げるからドラマになる。
俺はお茶くみの組員(※新入りの役目)だ駆け出しのボンクラ(※元はヤクザの符丁。盆=博奕場)だ怪我をしないよう喧嘩相手の組事務所にバックで車両特攻(※器物損壊で刑が軽い)するだけの

こんな調子で、レイコ先生に導かれて、習い始めてから1年後のピアノ発表会で『ダンシング・クィーン』を演奏するまでを綴っています。

ちなみに演奏会のシーンは、レイコ先生が「シニアのみなさんは緊張しすぎて、なんというか悲壮な感じで、わかりやすくいうと……お通夜ね」と言ったとおり、 

いちど躓いた時、手がはっきりと震えだした。自分の身体が制御できなかった。 

結果、俺は数小節を見事にぶっ飛ばして演奏を終えた。 

ということでした(動画もあります) 

【発表会ver.】ABBA『ダンシング・クイーン』演奏:鈴木智彦

「やればできる」素直な感動

この演奏を見て思ったのは、習い始めて1年で、よくぞここまで上手に弾けるとは!という素直な感動でした。 

もちろん所々つっかえているけれど、もっと簡単な編曲のものを選ぶこともできたでしょうから、すごいな…と思いましたし、「やればできる」という勇気をもらった気がしました。 

52歳になって初めてピアノに触れ、格闘しながら好きな曲を弾くに至る過程は、読んでいてとても羨ましく感じます。自分もピアノを弾いてみたい!と思ったほど、心揺さぶられる一冊でした。 

最後に、著者をピアノに導いた「マンマ・ミーア! ヒア・ウィー・ゴー」で歌われる『ダンシング・クィーン』の動画も紹介します。鈴木氏は「幼稚な演出」とくさしていましたが、わたしは”父親候補”のビルとハリーが合流するこのシーンはとても好きで、素直に目尻を濡らしたことを書き添えておきます。 

Mamma Mia! Here We Go Again (2018) – Dancing Queen Scene (6/10) | Movieclips

(しみずのぼる)

サントラでミュージカルを楽しむ:「マンマ・ミーア!」 
ミュージカルのサントラ盤の魅力を紹介する2回目は「マンマ・ミーア!」です。70~80年代に世界的にヒット・ソングを量産したABBAのナンバーで構成しているので”…
hintnomori.com

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