きょうは日本人に大人気のSF作家ロバート・F・ヤングのロマンティック時間SF「時が新しかったころ」を紹介します。主人公が11歳の少女に呼びかける時に頻出するpumpkinーー「カボチャちゃん」がミソ。「かわいい」から「いとしい」に変わっていく主人公の気持ちに胸が熱くなります(2025.5.12)
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「カボチャちゃん」の意味
最初にヤングの「時が新しかったころ」を読んだ時、主人公が11歳の少女のことを「カボチャちゃん」と呼ぶのがストンと来ませんでした。
調べてみるとアメリカ英語で「かわいい人」「いとしい人」という意味で使われるそうなのですが、ネットサーフィンすると、こんな文章がありました。
これ、英語ではどうか、って言いますと、
愛する人に対する呼び掛けワード、
というのがあるんですね。まずは、子どもに対する呼びかけ。
面白いところでは、パンプキン、
という呼び方があります。Hey, pumpkin!
Good morning, pumpkin!
といった感じで、小さな男の子や女の子に、
親子英会話講師@伊藤の日記 – 子どもや愛する人に対する呼びかけ方 ~英語と日本語~
「可愛い、愛しい子」という意味合いを含んだ、
そんな呼び掛けなんです。
彼氏が私をカボチャと呼んできます。
アメリカ人の彼と長くつきあってます。彼はこれまでbabyや名前で呼んでくることが多かったのですけど、ここ数か月、なぜかpumpkinと呼ぶのが気に入ったようで最初は英語でそう呼びかけてきてたんですが、最近では日本語でカボチャと呼んできます。大きな声でカボチャと呼ばれるのはなんとなく恥ずかしいです^^; 酔ってる時はこれがカブチョになります。
みなさんは旦那さん・奥様/彼氏さん・彼女さんからなんて呼ばれていますか?
ヤフー知恵袋より
なるほど。子供に対する呼びかけにも使われ、恋人にも使われる。そういうpumpkinなんですね。
「時の娘」所収の初訳
本題に移りましょう。ロバート・F・ヤングの「時が新しかったころ」(原題:When Time Was New)は1964年に発表された短編で、邦訳は「ロマンティック時間SF傑作選」の副題を持つ中村融氏編「時の娘」(創元SF文庫)に収められています。
ロマンティック時間SF傑作選にロバート・F・ヤングの名前は欠かせない。多くの人がこのサブジャンルの最高傑作に推す短編「たんぽぽ娘」(1961)の作者なのだから。しかし、これを表題作とした短編集が、他社から刊行の予定と聞いている。そこで本書は未訳の作品を採ることにした。
〈イフ〉1964年12月号に発表された本書は、作者にしては珍しくアクション場面の多い作品だが、トレードマークである純愛は、膨大な時間と空間のへだたりを越えて成就する。その意味ではヤングらしいといえそうだ。のちに書きのばされて、長編Eridahn(1983)になったことは付記しておこう。


「たんぽぽ娘」についてはこちらをごらんください
おとといは兎をみたわ。きのうは鹿、今日はあなた:「たんぽぽ娘」
恐竜時代で出会った姉弟
カーペンターは、イチョウの木の下に立つ若いアラモサウルスには驚かなかったが、その木の枝に腰かけた二人の子どもには驚いた。
主人公のカーペンターは22世紀の地球人。22世紀にはタイムマシンが開発されていて、カーペンターは白亜紀ーー恐竜が跋扈する時代に「サム」と名付けた爬虫類型タイムマシンでタイムスリップして調査を行っているところだった。
「そこの二人、下りてこいよ」と呼びかける。「だれもきみたちを取って食ったりしないぜ」
見たこともないほど真ん丸で真っ青の目が二組、カーペンターの顔に向けられた。
9歳くらいの男の子と11歳くらいの女の子は、二人で話し始めたが、まったく聞いたことのない言語だった。どうやら姉と弟のようだった。姉のほうがカーペンターに話しかけてきた。
カーペンターはかぶりをふった。「さっぱりわからないな、カボチャちゃん」
ふいに女の子が目を輝かせ、イヤリングを取り出し、自分と弟の耳に装着し、カーペンターにもつけろと促した。
「これで」女の子は完璧に英語らしい英語で言った。「お互いに言葉が通じますし、何がどうなっているのかわかります」
イヤリングは超小型翻訳機だった。「わたしの名前はマーシー。これは弟のスキップ。大火星からやってきました。あなたのお名前はなんですか」
なんと、地球が恐竜時代のころは火星人がいて、しかもH・G・ウェルズの「宇宙戦争」が描いたタコ状の生物ではなく、地球人と外形がほとんど変わらないーーという設定なのです。
イヤリングを通した会話で、互いの状況を確認しあった。「あなたは未来の地球から、わたしたちは現在の火星から来たというわけですね」
しかし、マーシーとスキップは”訳あり”の火星人だった。反政府テロリストたちに身代金目的で誘拐され、彼らが隠れ家に使う地球に連れられてきた姉弟だったのだ。カーペンターはふたりを「サム」に乗せ、恐竜だけでなくテロリストたちからも逃れる逃避行を続けることになる……。
どうしてカボチャと呼ぶの?
逃避行を続けながら、マーシーとスキップに頼られるうちに親密になっていく。特にマーシーはカーペンターに特別な感情を抱きはじめる。
恐竜たちに襲われて激しい音が飛び交う中、マーシーがカーペンターに身を寄せた。
「大丈夫だ、カボチャちゃん。心配いらない。獣脚類が束になっても、この防御フィールドは破れない」
「どうしてわたしのこと、”カボチャ”って呼ぶんですか、カーペンターさん。火星では、カボチャというのは、湿地やゴミためで生息する、おいしくないぶよぶよの野菜です」
カーペンターは笑った。
「地球ではカボチャってのは、いたって上等の野菜なのさ。しかし、そういう問題じゃない。”カボチャ”っていうのは、男の子が好きな女の子を呼ぶときの言葉なんだ」
沈黙があった。それから「カーペンターさんは恋人がいるんですか」
「いるとは言えないな、マーシー。たとえて言うなら、遠くから恋い焦がれてる相手がいるってところだ」
マーシーに促されてカーペンターが「恋い焦がれてる相手」ーー22世紀の地球での勤め先である北米古生物教会でチーフアシスタントとして働くミス・サンズのことを語った。
知り合って3か月たつのに、ただ遠くから見ているだけ……。「彼女は、絶対に必要なときでなきゃ、おれのほうを見ようともしない。話しかけずにすむときは、おれに二言と話しかけようとしない」
マーシーはひどく腹を立てた。「その人、きっと頭がおかしいんです」。そして、言った。
「カーペンターさんは女の人のことがあんまりよくわかってないと思います。その人に愛してるって言ったら、きっとあなたの胸に飛びこんできます!」
膨大な時間と空間に引き離される
徐々に気持ちを近づけるカーペンターとマーシーですが、突然、別れが訪れます。
テロリストの急襲を辛くもかわして火星に救難信号を送ることに成功したものの、迎えに来た火星の人間はカーペンターを火星に連れて行くことはできないと告げます。「サム」が壊れて未来に戻るすべもないまま恐竜時代の地球に取り残されるカーペンター……。
「おれのことは心配するなーーなんとかやっていくさ。動物にはいつも好かれてきたんだ。爬虫類にもきっと好かれる! やつらも動物だからな」
「ああ、カーペンターさん」マーシーが叫ぶ。「こんなことになって、ほんとうにごめんなさい! どうしてわたしたちを、796万2156年後につれていってくれなかったの? ずっとそうしてもらいたかったのに、言い出すのがこわかったの」
「つれていけばよかった。カボチャちゃんーーつれていけば」ふいに視界がぼやけ、カーペンターは顔をそむけた。視線をもどすと、二人の火星人はマーシーとスキップを引きずって、エアロックをくぐるところだった。カーペンターは手をふった。「お別れだ」と呼びかける。「きみたちを忘れないよ」
マーシーは自由になろうと、最後の絶望的な試みをした。成功しかけたが、結局うまくいかなかった。秋のアスターの目が、朝露のような涙できらめいている。
「愛してるわ、カーペンターさん!」スキップとともに引きずられ、視界から消え去る直前に、マーシーは叫んだ。「死ぬまでずっと、愛してるわ!」
引用はここまでにしておきましょう。先に紹介したあらすじにあるとおり、「トレードマークである純愛は、膨大な時間と空間のへだたりを越えて成就する」のでご安心ください。
同じタイトルの長編版
ところで、「時が新しかったころ」は長編版もあります。英語の原題は「Eridahn」ですが、中村融氏の邦訳版は「時が新しかったころ」(創元SF文庫)と短編のタイトルに合わせています。
訳者あとがきによれば、「時の娘」で紹介された短編が好評を博して「長編版があるなら、ぜひとも読みたい」という声が寄せられるようになって出版され、「エリダーン」という動物園の意味でつかわれる著者の造語ではわかりにくいため、「編集部の判断」で短編と同じタイトルを採用したそうです。
『アルジャーノンに花束を』や『エンダーのゲーム』を筆頭に、中編版と長編版がおなじ題名で、両者が読みつがれているという先例はいくつも存在する。本書もその仲間入りすることを願うばかりだ。
訳者あとがきより


「アルジャーノンに花束を」も「エンダーのゲーム」も、ぼくは中編版のほうがテンポがよくて好きだったなあ! もう一度読み直そうかな…
丁寧に描かれる描写
長編版では、マーシーやスキップが火星の王子王女という設定だったり、そもそもマーシーの名前がディードレで、しかも火星の王女は王族以外とは口を聞かないという設定のため、かなりページが進むまでカーペンターとマーシー(ディードレ)が言葉をかわす場面がなかったりするので、最初はすこし戸惑います。
でも、長編ゆえに個々の描写や会話が丁寧に描かれています。例えば、カーペンターが「カボチャちゃん」の意味を説明するシーン。
「『カボチャちゃん』ってのは、男がすごく大切に思う女の子を呼ぶときの呼び名だ」
彼女の顔にこぼれた笑みは、四月のにわか雨のあと顔を出す太陽のようだった。
「わたしはーーそう呼んでもらうのが好きです、カーペンターさん」
カーペンターが片思いを抱くミス・サンズの存在を打ち明けるシーンはこんなふうです。
「崖の根元でキャンプして、あなたがスキップに彼女のことを話していたとき、聞かずにはいられなかったんです。わたしは眠っているふりをしているだけでした。でも、盗み聞きするつもりじゃありませんでした」
「それなら、未来の地球じゃ、男が女に恋をしても、女が男に恋をしないこともあるといったのも聞こえたにちがいない。おれとミス・サンズの場合がそれなんだよ」
「そんなことは一瞬だって信じません、カーペンターさん。あなたが自分の愛を秘密にしているように、彼女も自分の愛を秘密にしてるに決まってます」
「カボチャちゃん、彼女はおれを見ようともしないんだ」
「あなたが見ていないとき、ずっと見ているに決まっています。女の子がどういうものか、わたしは知っているんです。カーペンターさん。でも、夢のなかでしゃべったときみたいな話し方で話しかけちゃだめですよ。変人だと思われるかもしれません」
ミス・サンズのオフィスにはいり、愛を告白した夢を彼は思いだした。どうやら寝言をいったらしい。
「ミス・サンズは、とっくに俺を変人だと思っているよ」
「思ってません! 正直いって、カーペンターさん、あなたにはときどきイライラします! 話しかけさえしなかったら、愛してもらえるわけないでしょう! まったくもう、その人に愛しているといったら、きっとあなたの腕に飛びこんできます!」
「そうは思わないな、カボチャちゃん」
「つぎに彼女に会ったとき、とにかく試してみてください!」
「考えておこう。ところで、おれたちふたりともすこし眠ったほうがいいと思うな」
彼女はすばやく身を乗りだし、彼の頬にキスをした。彼女の秋のアスターを思わせる瞳がこんなにも濃い青に見えるのは、ほの暗い明かりのせいだろうか。
「どんな女の子もそうします」と彼女はささやいた。
とはいえ、ストーリの展開は一緒です。「時の娘」所収の短編も、長編版も、物語のラストでカーペンターがもう一度口にする「カボチャちゃん」ーーもう子ども相手に発する呼びかけではなく「いとしい人」に向けた言葉ーーに感動すること請け合いです。
蛇足ですが、「時が新しかったころ」というタイトルについて。
長編版を読んだら、カーペンターとマーシー(ディードレ)が出会う恐竜時代の地球について、こんな表現が出てきました。
〈時〉が懐にしまいこんだこの麗しい土地
これのことかな?と思いましたが、自信はありません。でも、カーペンターとマーシー(ディードレ)の純愛は自信をもってお勧めできます。
最後の数ページに広がる多幸感を、カーペンターとマーシー(ディードレ)と一緒に堪能してください。
(しみずのぼる)
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