現在上映中のアメリカ映画「異端者の家」(原題:Heretic)を観てきました。モルモン教の女性シスター2人が勧誘のため訪れた家は、宗教に対する疑義を妄執する男が周到に用意した恐怖の罠だったーーというサイコスリラーです(2025.5.1)
〈PR〉


一度入ったら二度と出られない
「異端者の家」はまず、公式サイトの紹介文と予告編をごらんください。
シスター・パクストンとシスター・バーンズは、布教のため森に囲まれた一軒家を訪れる。ドアベルを鳴らすと、出てきたのはリードという気さくな男性。妻が在宅中と聞いて安心した2人は家の中で話をすることに。早速説明を始めたところ、天才的な頭脳を持つリードは「どの宗教も真実とは思えない」と持論を展開する。不穏な空気を感じた2人は密かに帰ろうとするが、玄関の鍵は閉ざされており、助けを呼ぼうにも携帯の電波は繋がらない。教会から呼び戻されたと嘘をつく2人に、帰るには家の奥にある2つの扉のどちらかから出るしかないとリードは言う。信仰心を試す扉の先で、彼女たちに待ち受ける悪夢のような「真相」とは——。
一度入ったら二度と出られない… ヒュー・グラント×A24『異端者の家』 本予告 ![]()
「新感覚のホラーかも」
ミスター・リードを演じるのは、かつて”ロマコメの帝王”と言われたヒュー・グラント。まさに新境地とも言える怪演ぶりです。
家に閉じ込められる女性は末日聖徒イエス・キリスト協会ーー一般にモルモン教と通称されるシスターで、シスター・バーンズがソフィー・サッチャー、シスター・パクストンがクロエ・イーストという新進女優です。
事実上、この3人だけで織り成す密室劇という趣で始まりますが、扉を開けると地下室で、さらにその下にも地下室が…という迷路のような構造の家自体が醸し出す雰囲気が、まるでホラーのような感覚を掻き立てます。シスター・パクストンを演じたクロエ・イーストが「これは新感覚のホラーと言えるかもしれない」と言っているとおりです。
モノポリーに宗教をたとえる
でも、この映画のおもしろさは、迷路のような家に閉じ込められたシスターたちの脱出劇というストーリー以上に、数多く散りばめられた情報の”ピース”の怪しさにあります。
例えば、ミスター・リードは宗教は《反復》だと言い、そのたとえに使うのがモノポリーです。パンフレットから引用しましょう。
パーカー・ブラザーズの”モノポリー”って知ってる? 現在47もの言語で作られていて、114か国以上で販売されている。さて、次が非常に重要だ。1904年のゲームを知っているか? 名称はーー「地主(ランドロード)ゲーム」だ。「地主ゲーム」の考案者は、フェミニストのエリザベス・マギーだが、30年後暖房器具の販売員が「モノポリー」と名称を変更。1935年にパーカー・ブラザーズに権利を売却。哀れなエリザベス・マギーは影響力を知られないまま死んだ。私は今、”反復”について話している。
こう説明しながら、ユダヤ教の旧約聖書、キリスト教の新訳聖書、イスラム教のコーランの脇に、地主ゲーム、モノポリー、モノポリーの改良版を並べていきます。さらに「モルモン書」の脇にはモノポリーのさらなる改良版……。
ミスター・リードはこう続けます。
私が思うに、我々が崇拝する聖典とは、古代人が語り継いできた、神話的な物語の反復だよ。事実でも、現実でもない。処女から生まれ、奇跡を起こし、超自然的に復活する。この物語は、少なくともイエス降臨の1000年も前から人気があった。…ここにある絵はどれも、12月25日に生まれた12人の神々で、皆イエスよりも前に存在している。申し訳ないが、1つの物語が別の物語に与える影響を無視できない。
無宗教のわたしの耳には、ミスター・リードの指摘は「なるほど…」と思える、説得力のある言説に聞こえます。このあたり、観る人の宗教観によって受け止め方が千差万別かもしれません。
ネットに落ちている俗説
でも、パンフレットに載っていた町山智浩氏(映画評論家)の「アメリカ社会とモルモン教の歴史、『異端者の家』が描く宗教の核心」という文章を読んで、わたしはもっと驚きました。
リードはモルモンだけでなく、その土台になったキリスト教も、イスラム教も、ユダヤ教のパクリにすぎないと断じる。さらにキリストの生涯もそれ以前の他の神の伝説の寄せ集めだと指摘する。
ーー十字架はローマの神ミトラスのシンボルだった。水の上を歩いたのはエジプトの神ホルスが先で、処女から生まれた大工で川で洗礼され死から甦ったという話はインドの神クリシュナが原型で、彼らはみんな12月25日に生まれているーー。
これは全部間違っている。たとえばクリシュナは両親のセックスで生まれた王子だ。リードが言っているのはネットに落ちている俗説ばかりだ。
「アメリカ社会とモルモン教の歴史、『異端者の家』が描く宗教の核心」より
長内那由多氏(映画ライター)もこう書いています。
ミスター・リードは、2人のシスターに嬉々として問答を投げかけ、神の不在について自説を開陳する。モノポリーからレディオヘッド、果ては「スター・ウォーズ」まであらゆるポップカルチャーを引用する話の上手さには確かに引き込まれるものがあるが、よくよく冷静になるとどこかで聞いた話ばかりだ。聖書を引き合いに出した「スター・ウォーズ」論など公開以来、幾度となく交わされてきた話題である。上澄みだけをすくったミスター・リードの持論は、まるで世界の真理を見出したかのように喧伝するSNSのリール動画さながらだ。
わたしのように宗教に疎い者には、何が正しくて何が間違っているのか、判別するだけの基礎知識がありません。でも、ミスター・リードが繰り出す様々な言説は、「異端者の家」が単なるサイコもの、脱出ものと一線を画す重要な”ピース”となっていることは間違いないでしょう。
ラストの愛と奇跡に感動
町山氏はこう書いています。
何億人もの人々が何千年も信じ続ける「宗教」にはもっと大事なものがある。自分以外の誰かを思いやる気持ち。つまり「愛」だ。
これこそが、「異端者の家」がもっとも訴えたかった部分でしょう。
それまで長々と続くミスター・リードの言説に(2人のシスター同様)揺さぶられ続けただけに、「愛」と「奇跡」を描くラストには心洗われる思いがします。
エンドロールに流れるのはボブ・ディランの名曲「天国への扉」(Knockin’ on Heaven’s Door) です。
I can’t use it anymore
It’s getting dark, too dark to see
I feel I’m knockin’ upon heaven’s door
Knock, knock, knockin’ on heaven’s door
Knock, knock, knockin’ on heaven’s door
Knock, knock, knockin’ on heaven’s door
Knock, knock, knockin’ on heaven’s door
歌っているのは、映画のラストに「奇跡」を見せるシスター・バーンズ演じるソフィー・サッチャー。心に沁みるいい声です。
(しみずのぼる)
〈PR〉

