きょう紹介するのは古橋秀之さんの短編集「ある日、爆弾がおちてきて」です。甘酸っぱくて、ちょっとせつないーー。そんな”ボーイ・ミーツ・ガール”ものの短編ばかりで、歳を取ってから読み直しても佳篇揃いの短編集だなあ…との思いを禁じ得ませんでした(2025.4.27)
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イラスト付きのライトノベル
「ある日、爆弾はおちてきて」は、2005年10月に電撃文庫から出版されたライトノベルの一冊です。
新潮文庫や角川文庫が”鎮座”する文庫本コーナーなら隅っこのほう、書店によっては漫画コーナーの一角に置いてあるような文庫です。表紙もまさにライトノベルのど真ん中というようなイラストです……。
わたしの手元にあるのは2005年12月の再版版です。ちょうど20年前、どんな心境で手に取ったのか、今となっては思い出せません(確か「ダ・ヴィンチ」の書評で興味を持ったような記憶ですが、よく憶えてません…)
でも、この本は読んでみるととてもおもしろく、何より読後の気持ちが何とも心地良くて、本棚でも常に前の方に置く一冊になりました。背表紙から紹介しましょう。

「人間じゃなくて、”爆弾”?」
「はい、そうです。最新型ですよ~」
ある日、空から落ちてきた50ギガトンの”爆弾”は、なぜかむかし好きだった女の子に似ていて、しかも胸にはダイナマイトがコチコチと音を立てていてーー
「都心に投下された新型爆弾とのデート」を描く表題作をはじめ、「くしゃみをするたびに記憶が退行する奇病」「毎夜たずねてくる死んだガールフレンド」「肉体のないクラスメート」などなど、奇才・古橋秀之が贈る、温かくておかしくてちょっとフシギな七つのボーイ・ミーツ・ガール。
『電撃hp』に好評掲載された短編に、書き下ろしを加えて文庫化!
巻頭には7つの短編すべてにカラーのイラストが載っています。イラストレーターは緋賀ゆかりさんです。

スカートがめくれてるあたり、男の子の心をドキドキさせるようなイラストです(ちなみに、7つの短編すべて主人公は高校生前後の少年です)
恋心を抱いた少女にそっくり
表題作「ある日、爆弾がおちてきて」を紹介しましょう。
主人公の長島は高校を卒業して予備校2年目。付き合い始めた彼女に「受験は自分との闘いだよ」などと励まされながら、無為な日々を過ごしているところに”爆弾”ーーセーラー服を着た女の子が落ちてきた。
「あいたたた、着地失敗! ドジッ娘だ~」
なんだこいつ。いきなり人の上に落ちてきて、なにがドジッ娘か。ちょっとパンツが見えてうれしかったけど
ところが、顔を見ると知った顔だった。高校2年の時の同級生で、ほのかに恋心を抱いた少女にそっくりだった。
「……広崎?」
ーーいや、本人だろうか?
この広崎は、あまりにも、僕の記憶そのままの姿をしていた。
普通、三年も会わなければ女の子の容姿なんて別人みたいに変わるし、そもそも、いくらなんでも高校は卒業してるはずだ。セーラー服ってことはないだろう。
ところが本人に名前を聞くと、自分が知っている「広崎ひかり」ではなく「広崎ピカリ」と名乗った。そしてセーラー服の襟をぐっと引き下げた。胸元には懐中時計が埋め込んであり、胸がときめくと針が進み、12時を指すと爆発するという。
長島は広崎ピカリに引きずられるようにデートに連れ歩かされた。腕組み、露店のアクセサリー購入、プリクラ……。そのたびに針が進んだ。長島は「この子は広崎ひかりとはちょっと違うかもなあ」と思った。
窓から外を眺める少女
長島が知る広崎ひかりは病気がちで、はじめて口を聞いたのも、広崎ひかりが胸を押さえて苦しんでいるところを介抱した時だった。
「……ありがと」
「急に発作が来たから、あわてちゃって」
長島が「大丈夫か、広崎?」と言うと、うれしそうな表情で「長島君、私のこと、覚えててくれたんだ」と返した。
「……そういう広崎こそ、オレのことなんてよく知ってたな」
「だって、同じクラスだし。……それに、長島君も窓のほうよく見てるでしょ。それで」
(ほんとは広崎のことを見てた)とは恥ずかしくて言えないでいると、広崎ひかりは「長島君も、想像したりするの?」と聞いてきた。
「あ、ごめん。いきなり言われても分からないよね。……あのね、私、よく想像するの」
「あの辺に、爆弾がおちてね」
「それでね、町も人も吹き飛ばして、誰もいなくなった廃墟の上に、大きなキノコ雲が立つの」
しかし、言葉をかわしたのはその一度だけ。3年生ではクラスが別になり、高校卒業後は一度も会っていなかった。
「大人になんかなりたくない」
顔はそっくりなのに雰囲気はまるで違う広崎ピカリとのデート。汗しずくが垂れても小爆発を起こし、涙はもっと大きな爆発で……。
振りまわされ続けたデートの終盤、夕陽に照らされた公園で、長島は「なんで爆発とか言うんだよ。それ、自殺ってことだろ? ……いや、この場合、無理心中か。なんで他人まで道連れにしたがるんだよ」と訊ねた。
「そうなのかなあ。みんな、死にたくないのかな」
「……なに言ってんだよ。当たり前だろ」
「そうなのかなあ。ちょっと踏ん切りがつかないだけじゃないかしら」
「なに言ってーー」
「ねえ、想像してよ」彼女は目を細めた。夕陽に照らされたその横顔は、いつか見た広崎ひかりそのものだった。
「このごみごみした街も人も、その先のごちゃごちゃしたアレコレも、みんな一瞬で消し飛んで、あとは大きな、きれいなキノコ雲だけが残るの。そのほうがいいじゃない。長島君もそう思うでしょ?」
「なんで、オレがーー」
「だって長島君、大人になんかなりたくない人でしょう?」
広崎ピカリは言葉をつづけた。
「生きてるのって、すごくたいへんよね。先が見えなきゃ不安だし、かと言って、見えちゃったらゼツボーだし、”未来”とか”将来”のことって、どっちにしても苦しいばっかりだよ」
「だからみんな、目先のことに一生懸命になって忘れたふりをしてるけど、でも、ほんとはみんな思ってるよーー『誰かが終わらせてくれないかな』って」
「……だから、あたしたちで終わらせちゃおう。未来なんかどかーんと吹き飛ばして、きらきらした現在だけを永遠にするの」
”爆弾”少女の甘いささやきに、長島君はどうするでしょうか。広崎ひかり=ピカリの最期に涙を誘われ、長島君の不確かな”未来”に心温かくなります。
「三時間目のまどか」
短編集「ある日、爆弾がおちてきて」は佳篇揃いで、どれかひとつ好きなものを選べと言われたら本当に困ります。
記憶が退行する風邪をひいた幼なじみを描く「おおきくなあれ」もいいですし、古い校舎の図書館の神様が出てくる「トトカミじゃ」も好きです。
また、教室の窓ガラスに映る少女と会話する「三時間目のまどか」は、アンソロジーにも収められています。大森望編「不思議の扉~午後の教室」(角川文庫)で、編者の大森望さんはこう書いています。
教室の窓に映る女の子に恋をする話。(略)だれしも一度や二度は、授業中に窓ぎわの席でぼんやり外を眺めていた経験はあるはず。ライトノベル界で一、二を争う短編の名手・古橋秀之は、そこから”ありえない恋”の物語を紡ぎ出す。

「むかし、爆弾がおちてきて」
でも、わたしが個人的に惹かれるのは、表題作と対になる書き下ろしの短編「むかし、爆弾がおちてきて」です。

ぼくの街には平和記念公園というのがあって、直径二百メートルのまん丸い敷地内には、立木や池や芝生の間に、戦争中に使われた大砲の錆びたのやら、爆撃でひしゃげた鉄柱やらが、ちらほらと置かれている。それらはまるで、どこかの芸術家が作った不思議なオブジェみたいで、この公園全体を今じゃないどこかにつなげているような感じがする。
公園の中心にいる彼女も、そういうもののひとつだ。
高さ一メートル、直径二メートルほどの円形の”お立ち台”に立っているその女の子の出で立ちは、セーラー服にもんぺ、布製のボロっちい鞄をたすきがけ、ダサいとかなんとかを通り越して、どこか外国の民族衣装みたいだ。
円形の”お立ち台”の説明文にはこう書かれていた。
「ーー原ミチ子さん(十五歳)は、時空潮汐爆弾投下の瞬間、一九四×年八月六日十一時五十九分の当時の姿のまま、六十億分の一の速さで流れる時間の中を生きています。頭上の空を見上げるその姿は、平和への祈りを表しているかのようです」
主人公の「ぼく」が少女の柱に惹かれたのは、記念公園の管理人をしていた「じいちゃん」の影響だった。
「ぼく」は夜中に脚立に登って柱の上から少女の表情を見るのが好きだった。
彼女とぼくの間の五メートルの高さは、奇妙な距離だ。
まるで双眼鏡で見ているように、すぐそこに見えるのに、決して触れられない。
近いようで、無限に遠い。
そう思うとなんだか近づくことも遠ざかることもできなくなって、ぼくは原ミチ子の顔を見つめたまま、何分も、何十分もじっとしていた。とーー
不意に、下から懐中電灯の光が当てられた。
じいちゃんだった。
時々夜回りもしているのだ、と言っていたけど、本当のところは、原ミチ子に会いに行っていたのだと思う。
勝手に登ったりして怒られるかと思ったら、じいちゃん、ぼくの背中をポンと叩いて、
「かわいいだろう、ミチは」
とだけ言った。
「じいちゃん」と原ミチ子は恋仲だったが、どちらも親に猛反対され、あの日、ふたりで駆け落ちするつもりだったーーと聞かされたのはしばらくしてからだった。そんな「じいちゃん」が亡くなり、「ぼく」はついに行動を起こすーー。
校舎の窓から眺める外の世界。時間がとまってしまった柱の世界。
ここではないどこかに行きたいーー。そんな狂おしくせつない気持ちが、全篇通して溢れているように感じます。
12年後に新装版、電子書籍化
電撃文庫版は品切れとなりましたが、2017年にメディアワークス文庫から新装版で再刊されました。

新装版には「サイクロトロン回廊」という書き下ろしの短編が追加されていますが、主人公は37歳フリーライター。あとがきで古橋さんは次のように書いています。
旧版の読者のかたが、あたかも学生時代のアルバムを見るように、当時の気持ちを思い出しながら再読してくださっていると仮定して……最後の最後に「自分と同じだけ歳を取った旧友」が「よう!」と顔を出すような感じ。そういう現実の時の流れを作品に取り込めたら、もうひとつのテーマの「時間」ネタが、より味わい深くなるかなあと。
初版から12年の歳月を重ねた著者自身を投影したかのような37歳フリーターが、空き家になった親戚の旧家で行方不明になった「お姉ちゃん」に”再会”するお話です。
新装版もすでに書籍では品切れですが、電子書籍では読むことができます。「学生時代のアルバム」を久々に開いてみたい気持ちの人にお勧めの一冊です。
(しみずのぼる)
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