はっぴいえんど、村上春樹、細野晴臣…。音楽による出逢い、せつない片思い、大人になることの苦しみと別れ。イラストのようなきれいな絵と散文詩のような文章で綴られる漫画「緑の歌 – 収集群風 –」を紹介します(2025/3/23)
【追記】ディスクユニオン『新宿日本のロック・インディーズ館』のことを追記しました(2025.3.25)
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万人に読んでほしい漫画
「緑の歌 – 収集群風 –」(上下巻、KADOKAWA刊)は、ジャンルで言えば青春もの、恋愛ものです。


でも、青春も恋愛ももはや縁遠いであろう60代70代の人にも、ぜひ手に取ってほしいです。必ずや「懐かしい!」と喝采したくなるでしょう。
では、シニア向けの漫画かと言えば、まったく違います。 10代20代なら、主人公の少女の気持ちーー好きなのに好きと打ち明けられない片思いに心惹かれるでしょうし、30代なら青春時代の夢をあきらめる痛みに心がズキンとするでしょう。
そして、作品中で触れられる70年代の音楽を聴いてみようかな…と思ったり、日本のポップカルチャーがこんなにも台湾で愛されていることに心動かされるでしょう。
とにかく万人に読んでほしいーー。そんな素敵な漫画です。
「隙間」の著者のデビュー作
著者は台湾の漫画家・イラストレーター、高妍(Gao Yan)さんです。先日紹介したばかりの「隙間」(1・2巻発売中、KADOKAWA刊)の作者ですが、「緑の歌 – 収集群風 -」のほうが先に世に出ました(わたしも読んだのは「緑の歌 – 収集群風 -」が先です)

「風をあつめて」
「緑の歌 – 収集群風 -」は、こんな書き出しで始まります。
『風をあつめて』は
私が高校生の時に聴いた曲だ
小説を徹夜で読んで宿題を忘れた主人公の林緑(リンリュ)は、宿題を家に取りに帰る道すがら、イヤホンで音楽を聴きながら、海岸にひとり佇む男性を見かけた。
プレイリストをどれだけ巡ったのかわからない
私の耳にはそれまで聴いたことのないメロディが流れていた
『風をあつめて』という曲だーー初めて聴く曲だというのに
どうしてこうも『なつかしい』のだろう?
海岸に佇む男性は泣いているようだった。男性の背中は悲しくて死にかけているようで、林緑はこっそり写真を撮った。
翌日、海岸は封鎖されていた。「たぶん彼はもういないのだろう」
もし彼に話しかけていたら
どうなっていただろうか
「海辺のカフカ」
台北の大学に進学してから、林緑は男性の背中に苦しめられる。なぜ声をかけなかったのだろうーー。
高校生まで小説の執筆に打ち込んでいたのに文章も思い浮かばず、好きだったはずの音楽にも心が響かなくなった。
そんな時、林緑は「海辺のカフカ」という店名のカフェで、ひとりの若い男性と出逢った。
店にレモンタルトあるけど食べる?
その男性はレモンタルトの代わりに林緑が抱える悩みを打ち明けたら?と促した。
さっきライブに行ったら
会場も自分の気持ちも
なんか全部めちゃくちゃで
途中で出てきちゃって…
男性は言った。
音楽ってのは感情のフィードバックだ
だから自分の状態が悪い時は
どんなにいい音楽も
共鳴することはない
だから会場を途中で出たのは
間違っちゃいないよ
その男性ーー南峻(ナンジュン)は「海辺のカフカ」で時折バンド演奏していた。林緑が名乗ると、南峻は驚いた。
へえ?
小林緑って知ってる?
ほら あの『ノルウェイの森』に
出てくる女の子!
偶然だよね
彼女と同じ名前だもしかして村上春樹読んだことない?
この店の名前は『海辺のカフカ』って言ってね
これも彼が書いた小説から来ているんだ
こうして林緑は、南峻と出逢い、南峻に惹かれていくーー。
最初の2話(「風をあつめて」「海辺のカフカ」)のあらすじを紹介したのは、「緑の歌 – 収集群風 -」は、日本の音楽や文学が随所に散りばめられている点が魅力のひとつだからです。
「恋は桃色」
わたしが好きな「恋は桃色」(第5話)も紹介しましょう。
林緑は南峻から勧められ、飛行機で東京まで出かけます。高校生の時に偶然聞いた「風をあつめて」を収めた、はっぴいえんどのアルバム「風街ろまん」を買うためにーー。

新宿に位置するディスクユニオン
地下1階のフロアは日本のロックと
インディーズ音楽の専門店になっている
壁一面にかけられた有名なアルバムジャケットゆらゆら帝国のアルバムがいっぱいある…
しかも南峻があの時歌ってた曲が入ってる…

だめだ 危ない…
はっぴえんどをまず探さないと…
目当ての「風街ろまん」はすぐに見つかった。まさかこんな目立つ所に置いてあるなんて…
アルバムが見つかって気が緩んだせいだろうか
その時になって私はようやく店内の音楽に気が付いた……まるで遠い昔になくしてしまったのに
まだどこかなつかしく感じる思い出の中に
入り込んだみたいだったこんな感覚は久々だったーー
私はその曲のタイトルを
どうしても
なんとしても知りたかったこれを逃したら私は今後二度と
この曲を聴くことができないかもしれないーー
曲が間奏に突入し 私はようやく決心したHello…
Could I ask the name of this song?
店内にかかっていたのは細野晴臣の「恋は桃色」ーー。林緑は「恋は桃色」の入るアルバム「HOSONO HOUSE」も買い求めて、「風街ろまん」とともに滞在先のゲストハウスで何度も聴き入った。

日本語は読めなかったが
歌詞カードにある漢字を
読んでいるだけで
なんとなく曲の
情景が想像できた聴こえてくる細野晴臣の歌声は
おだやかで まるでおとぎ話を
聴いているみたいだった
21歳の著者自身の実体験
高妍さん自身が日本を初めて訪れたのは21歳の時だったそうです。下巻のあとがきにこう書いています。
『緑の歌』の誕生は、2017年の夏にさかのぼる。
私は『風街ろまん』を買うためだけに、初めて日本を訪れた。これはある種の人たち、もしくは「今」の私にとっては大した出来事ではないのかもしれない。しかし幼い頃から日本の文化の影響を受け、それまで一度も国を離れたことのない少女、あらゆるものが新鮮で情熱に溢れていた当時21歳の私からすればーー日本で見るものは、これまでに幾度となく見てきた夢とまるっきり一緒だった。しかもそれは決して夢などではなく、目の前に確かに存在している光景だったのだ。
わたしもディスクユニオンは高校生の時から新宿も御茶ノ水もよく通った口なので、「緑の歌 – 収集群風 -」が克明に描くディスクユニオンの情景は、自身の思い出をも思い起させてくれます。ましてや異国の少女の冒険(著者自身の実体験)とあれば、描かれている一コマ一コマはまるで宝物のような時間に感じられます。
【追記】ディスクユニオンを調べたら、高妍さんが2017年に訪ね「緑の歌 – 収集群風 -」が克明に描写する『新宿日本のロック・インディーズ館』は、現在は『ディスクユニオン 平成J-POPストア』となっています。時の流れを感じます(2025.3.25)
よく知らないままでいさせてくれる
ストーリー自体は、林緑の片思いが成就するわけではありません。
南峻自身の屈託も描かれます。
22歳の時にYMO(イエロー・マジック・オーケストラ)の3人ーー坂本龍一、細野晴臣、高橋幸宏ーーが中年になっても音楽に打ち込む姿に刺激を受けて、バンド活動に懸命に打ち込むものの、30歳を目前にして思い悩む……。
若さは世界のことを
よく知らないままで
いさせてくれる
それって
いいことなんだと思うんだ
そんなふたりの別れ、そして再会までが丁寧に描かれています。
挿入される曲の数々
せっかくですから「緑の歌 – 収集群風 -」に出てくる曲をいくつか紹介しましょう。 最初に、はっぴいえんどの「風をあつめて」です。
背のびした路地を散歩してたら
汚点だらけの靄ごしに
起きぬけの路面電車が
海を渡るのが見えたんです
それでぼくも
風をあつめて 風をあつめて
風をあつめて
蒼空を翔けたいんです
蒼空を
次に、細野晴臣の「恋は桃色」 です。
川沿いの道
雲の切れ目からのぞいた
見覚えのある街
おまえの中で雨が降れば
僕は傘を閉じて
濡れていけるかな
雨の香りこの黴のくさみ
空は鼠色 恋は桃色
最後に、南峻がSNSで自身のハンドルネームにまでしている(きっと林緑の前でも歌った)ゆらゆら帝国の「バンドをやってる友達」 です。
君は歌ってた まるでスターのように
恋人の歌 バンドがやってた
僕はその歌 すごくいいと思った
初めてギターに触れるような
本当に恋をしてるような
今すぐ何かやれるような
そんな気分さ
冒頭書いたとおり、万人に手に取ってほしい作品です。「緑の歌 – 収集群風 -」を手がかりにはっぴえんどや細野晴臣の音楽を聴いたり、村上春樹の小説などを手に取ってもらえたら…と思います。
(しみずのぼる)
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