きょうは台湾の漫画家・イラストレーターの高妍(Gao Yan)さんの漫画「隙間」を紹介します。台湾の大学生が交換留学した先の沖縄の大学で過ごす日々を通じて、アイデンティティを揺さぶられる不安と焦燥を瑞々しく描いて、深く考えさせられる作品です(2025.3.16)
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知らなかった「二二八事件」
世界はニュースで溢れています。でも、ニュースにならない出来事の方が圧倒的に多く、世の中知らないことだらけで、変に知ったかぶりしていると「あ痛たたっ」という気持ちにさせられます。
高妍さんの「隙間」(KADOKAWA刊)の1巻・2巻を読んだ時がまさにそう。自分のものの知らなさに「あ痛たたっ」という思いを禁じ得ませんでした。


たとえば「二二八事件」ーー。「隙間」を読むまで知りませんでした。
二・二八事件とは、1947年2月28日に台湾省台北市で発生し、その後台湾全土に広がった、中華民国政府による長期的な白色テロ、すなわち民衆への弾圧・虐殺の引き金となった事件。
ウィキペディアより
1947年2月27日、台北市でタバコを販売していた台湾人女性に対し、取締の役人が暴行を加える事件が起きた。これが発端となって、翌2月28日には台湾人による市庁舎への抗議デモが行われた。しかし、憲兵隊がこれに発砲、抗争はたちまち台湾全土に広がることとなった。台湾人は多くの地域で一時実権を掌握したが、中華民国国民政府は中国本土から援軍を派遣し、武力によりこれを徹底的に鎮圧した。
「トゥルーマン・ショー」の喩え
「隙間」の主人公で大学4年生の楊洋(ヤンヤン)も「何もわかっていなかった」ひとり。大学1年の時、選択科目の履修を埋める程度の気持ちで「台湾人権議題」という授業を選択した。
担当教師が「あなたたちは”人権議題”ってどういうものだと思う?」と学生に質問する。当然、誰も答えない。
なら質問を変えましょう!
みんな『トゥルーマン・ショー』は観たことある?
ほら ジム・キャリーが出ている映画よ


離れ小島のシーヘブンで生まれ育った、保険会社のセールスマンのトゥルーマンは、生まれてから1度も島から出たことがない。じつはシーヘブンはTVのセット。彼の生活は、生まれたときから24時間放映されており、彼の人生はTV番組になっていたのだった。自分の知らない間に人生を演出され、世界中の人に見られていたトゥルーマン。人のいい笑顔の裏で、まわりの様子に疑問を感じ始め、とまどう主人公を演じたジム・キャリーが素晴らしく、ラストシーンは号泣必至。
これまで教育を受けてきて
何か違和感を覚えたことはなかった?
平凡な日常を送っていて
ある日突然気がつく……
本当は全部嘘!?
私の人生は誰かが書いたシナリオだった!?
…なんてことは?
なぜ中国を”大陸”と呼ぶか
そこで楊洋は手を挙げます。
ずっと疑問に思ってたんですけど…
どうしてニュースでは”中国”のことを
”中国大陸”って呼んだり
”大陸”って呼んだりするんですか?
教師が「グッド!いい質問ね!」と拾って、ここで言う「大陸」は”Mainland”を意味すると指摘して、こう続けます。
でも台湾は中国の一部じゃない!
つまり”中国”を”大陸”と呼ぶのはおかしなことなの蒋介石率いる国民政府はいつか共産党に打ち勝って
中国へ戻る日が来ると考えていた
だから中国と分離するのが嫌で
”大陸”という呼び方をずっと続けてきたの…彼らは言葉を捻じ曲げて教育を支配した
二二八事件や戒厳令、白色テロ…
民衆は長くて暗い沈黙の日々を過ごしてきたの今”大陸”という言葉を使う人たちは
それがどういうことなのかまったくわかっていない
それってとっても怖いことだと思うわ私はこの授業を通じて
みんなに疑うことや教育を見直すことを学んでもらいたい
そうして自分の信念とナショナル・アイデンティティを見つけてほしいの
授業が終わったところで「二二八事件」が出てきます。楊洋が来週は「”二二八”の連休があって……」と言うと、教師はこう言い直します。
いいえ”二二八和平記念日”よ
2月28日はただの祝日じゃないの
そして、教師は楊洋に、この日に毎年行われるデモ活動に参加してみたら…と促します。
教育を歪めて植えつける
デモ活動のスタッフに誘われて「台北二二八記念館」を訪れた楊洋。記念館のガイドが訪問者たちに説明するところで、楊洋は後ろで聴くことにします。
「二二八事件の始まりはなんだったと思う?」
「闇たばこの取締りです」
「あなたもっと詳しく話してくれないかしら?」
「警察が『天馬茶房』での闇たばこの取締りの際に市民に危害を加え誤って殺してしまったことがきっかけで二二八事件が起きたんです……」
「本当にそうかしら?」
「え…でもたしか教科書にはそう書いてありました…」
ガイドは次のように説明した。
第二次世界大戦が終結し 日本による台湾統治は終わった
その後 台湾にやってきたのは国民政府だった
戦争が終わった後 新しい政府によって暮らしがよくなることを期待していたのまさか台湾にやってきた国民政府が 自分たちの親族を要職に就かせて 多くの公職を独占した結果 大量の台湾人が失業し 賃金格差の拡大や差別的待遇を強いられるとは誰も思わなかった
新しい政府に希望を抱いていた台湾の知識人たちは 腐敗した政府に徐々に失望していった
そして軍と警察の不正や搾取によって 苦しい日々を送るようになった台湾人は 闇たばこや密造酒を売るようになったのあの日 天満茶房で闇たばこを販売していた女性を取り締まっていた警察が 無実の市民を射殺したことをきっかけに それまで不満が溜まっていた民衆によって抗議活動が始まったの
そして政府は兵士を派遣して丸腰の人々を撃ち殺した……
市民の抵抗は、武装した兵士の前では、あまりに無力だった。
彼らは厳しい拷問にかけられ きちんとした理由を示されることもなく 公衆の面前……しかも家族の目の前で銃殺刑に処された
こうして台湾は二二八と戒厳令そして白色テロの恐怖に長いこと包まれることになったの……
中国の建国後の混乱ーー例えば文化大革命などのことは本でも読みましたし、近年は劉慈欣氏のSF「三体」のベストセラーとドラマ化で多くの人の知るところとなっています。

しかし台湾のこととなると、冷戦時代は西側陣営の一翼だったという程度の認識しかなく、台湾の人たちがこのような悲惨な状況に置かれていたことは知りませんでした。
ガイドは言います。
彼らが作った教科書には台湾人が”暴徒化”し”闇たばこ”のせいで起きた”衝突”がきっかけだと書かれているわ
自分たちの”悪政”が正当化されているのよ……
そうやって言葉と教育を歪めて
あなたたちに間違った考えを植えつけているの
このあとに続く数ページーー犠牲者の顔写真や「失踪」「銃殺刑」の文字ーーの後、楊洋はつぶやきます。
私は何もわかっていなかった
六四天安門事件って知ってる?
雪の日に地面だと思っていた足元が実は氷が張った湖面だったと知った時のように、信じていたこと(信じさせられていたこと)が崩れていく時の不安、自分は何者なんだろう…とアイデンティティを揺さぶられる瞬間の不安ーー。特に青春の時代にあって、足元が崩れる不安に直面した若者たちを、高研さんの「隙間」はとても丁寧に描いています。
アイデンティティの揺らぎは別の登場人物にも降りかかります。主人公の楊洋が沖縄の留学先で中国人留学生と引き合わされた場面が2巻に出てきます。
日本人の世話係が「少し気になったのですが、二人は台湾と中国の関係についてどう考えてるのですか?」と、ド直球の質問を投げかけます(その横に台湾出身の別の留学生が座っていて「えっと…その話はよした方が…」と戸惑う場面が印象的です)
主人公の楊洋と中国人留学生の李謙はそろって言います。
楊洋:台湾は当然 独立した国家です
李謙:台湾は当然 中国の一部です
目でバチバチ言わせるふたりは論争になります。李謙が「中国では小さい頃から学校の教育で…」と言い出すと、楊洋が「それが正しいとは限らないでしょ!」とかぶせる。そして、楊洋はこう切り出します。
六四天安門事件って知ってる?
李謙が「六四…?」と戸惑うと、楊洋はこう続けます。
大学生のくせに 自分の国の歴史すら知らない…
それって中国共産党が情報を隠蔽してるってことでしょ!
民主化を求めて天安門広場に集まった学生たちが
いったい何人中国共産党に殺されたかあなたは知ってるの?中国じゃあGoogleも使えないんでしょ?
”六四”で検索して何も出てこないなら知らなくて当然ね!
簡単に歴史が改ざんされるような中国共産党の”壁”の中で
何も知らないで生きること……それがあなたが言う”教育”なの?でもあなたは今 幸運にも”壁の外”にいる……
殺された人たちとは違ってね!
なら今すぐGoogleで”六四天安門”って調べてみたらどう?
作者が言いたいのは、主人公の楊洋もまた大学に入るまで「二二八事件」の意味を歪めて教えられていたことを強調しているので、歴史は容易に改ざんされること、その際に教育によって改ざんがなされることに力点があるのでしょう。
だからでしょうか、「えっと…その話はよした方が…」と言ってオロオロするばかりの台湾人の女子学生よりも、李謙のほうが楊洋の友人になっていきます。
偶然スーパーで出会ってぎこちなく楊洋が「私は発言を謝罪するつもりはないけど、よくない態度だったと思う ごめん」と詫びると、李謙は「ははは あんた本当に変わってるよ!」と言った後、タバコを吸いながら「あれから調べたんだ」とポツリ。「え?」と戸惑う楊洋に「六四だよ!」と言って、 李謙は一言つぶやきます。
「教えてくれてありがとう」
楊洋のモノローグが重なります。
自分が少し恥ずかしかった
李謙を見ていると
かつての自分の姿が重なった似た者同士でありながら
こんなにも違う二人……
3巻は4月11日発売予定
記事の紹介で「二二八事件」や「六四天安門事件」の部分ばかり引用しましたが、「隙間」は政治そのものを問いかけたい訳では、おそらくありません。主人公たちの青春と恋愛も丁寧に織り交ぜられており、アイデンティティに揺れる青春の焦燥が濃密に描かれている漫画だと受け止めました。
4月11日発売予定の3巻のあらすじをみれば、やはりこれは青春漫画だろうとわかるでしょう。


「あなたのことが、好き。知ってるでしょ、ねえ?」
台湾・台北に住む青年・Jへの届かぬ想いに心を痛める楊洋(ヤンヤン)。台湾にも沖縄にも居場所を見つけられない彼女は、亡き祖母との記憶を手繰り寄せながら、自らの未来を模索する。「私が、私であるために」ーー母国と似た風の中で、彼女は立ち上がる。台湾と沖縄に、絶望と希望に、私とあなたに、手を伸ばす……。
とてもおすすめです。ぜひ手に取って読んでみてください。
(しみずのぼる)
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