不条理な怖さに慄く…菊地秀行「茂助に関わる談合」他

不条理な怖さに慄く…菊地秀行「茂助に関わる談合」他

きょうはホラー小説のアンソロジーから、不条理な怖さが際立つ短編ーー菊地秀行氏の「茂助に関わる談合」他3篇を紹介します。怪異の正体について理屈をつけるのでなく、怪異を怪異のままで描いている点が共通しています(2025.3.7) 

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怪異をそのままポンと…

ホラーと言ってもいろいろあって、怪異がなぜ起きるのか謎解きするストーリーもある一方で、謎解きも何もなくて、ただ怪異をそのままポンと読者の前に提示するようなストーリーもあります。 

それぞれ趣が異なるので、同じ土俵に並べてどちらがいいか”判定”するような無粋なことはしたくありません。 要は、読んで感じる恐怖の度合いが強ければ、それはホラーとして優れている…ということでよいのだと思います。 

ただ、わたしの好みで言うと、怪異をそのままポンと読者に示すストーリーがとても好きです。きょう紹介する4つの掌編は、どれもこちらのジャンルに属するものです。 

紹介するのは、 

  • 菊地秀行「茂助に関わる談合」 
  • 半村良「箪笥」 
  • 氷川瓏「乳母車」 
  • 吉行淳之介「追跡者」 

の4篇ですが、「箪笥」以下の作品は、怪異のありさまをそのまま紹介します。わたしの技量不足もあって、怪異を抜きに怖さを伝えるのがとても難しいためです。 

ネタバレもはなはだしい紹介文になってしまいますが、どうかお許しください(それが嫌だという方は、ネタバレを避けた「茂助に関わる談合」のみ読まれて、「箪笥」以下の紹介文はお読みにならないでください) 

菊地秀行「茂助に関わる談合

最初に紹介するのは菊地秀行氏の「茂助に関わる談合」です。菊池氏の連作短編集「幽剣抄」(角川文庫)に入っています。 

地次源兵衛が横領の罪で追われた。勘定方として定評のある彼だったが、人間嫌いのため疎まれたのである。だが、討手に斬られた彼の死体はどこにもなかった。下級武士の悲哀と怪異を描いた傑作怪談時代小説集。 

菊地秀行「幽剣抄」(角川文庫)

「茂助に関わる談合」はこんな書き出しに始まります。 

湯島天神の近く、同朋町に住む直参館林甚左衛門の家へ甥の喜三郎がやって来たのは、十月半ばの深更であった。 

甚左衛門は半月ほど前に、自分のもとで奉公していた茂助という名の若者を喜三郎の家へ奉公人として送り、喜三郎も妻のおねいも「いい若党を世話していただいた」と菓子折りを持って礼に来たこともあった。喜三郎が甚左衛門のもとへ深夜に訪ねてきたのは、その茂助に関わることだった。 

「あれは何処からお雇い入れになりましたか?」 

喜三郎に聞かれて「よく覚えておらん。何か不始末でもやらかしたか?」と訊ねると、喜三郎はこう告げた。 

「あれは、人間(ひと)ではござらん」 

甚左衛門が「人間(ひと)ではない?」「では何じゃ?」と訊ねても、喜三郎は「わかりません。人間(ひと)に非(あら)ざることだけは確かでございます」と答えた。 

ここで、喜三郎は「この半月で生じたあれこれ」を語り始めますが、小説では中身は何も明らかにしていません。 

すると、下男が障子を開けた。喜三郎の妻おねいが訪ねて来たと甚左衛門に告げた。何事だと聞いても、おねいは俯いたきり「いえ、何も」と返すだけーー。 

「おねいはどうかしたのか?」
半月ほど前から気鬱の病を患っております、と喜三郎は答えた。
それにしても、目下の行状は只事とは思えない。深夜、夫のいる叔父の家へ女ひとり籠を飛ばすなど、気鬱な女にできることではあるまい。

そこへまた下男がやってきた。 

今度は御子さまがと告げた。
甚左衛門は二人を見つめたが、父も母も何ら反応を示さなかった。

八歳になる息子も、俯いたまま母親の隣に正座するだけだった。 

甚左衛門は親子をじっと見た。そして、ようやくあることに気がついて、それを訊いた。
「喜三郎、おまえ、何ゆえ俯いておるのじゃ?」

すると、親子三人は黙ったまま立ち上がり、喜三郎が「茂助は叔父上におまかせ致します」と言い置いて部屋の障子を閉めた。 

引用はここまでにしておきます。部屋にひとり残された甚左衛門はこの後どうなったかーー。それは「茂助に関わる談合」を探してお確かめください。 

ただ、文中でも触れたとおり、なぜ茂助が「人間(ひと)ではない」のか、茂助はどんな怪異をもたらしたのかーーといった説明は一切ありません。それ以上に不気味なのが俯く三人の親子です。でも、それも「なぜ?」は一切明かされずに終わります。 

「茂助に関わる談合」は、ホラー作家の三津田信三氏が編纂したホラー・アンソロジー「怪異十三」(2018年、原書房刊)にも収められています。 

三津田氏はこう書いています。 

これほど異様な展開と余韻を残す作品は、そうそうない。お話の持って行き方の巧みさが、この戦慄を生み出している。 

半村良「箪笥」

次に紹介するのは、ホラー・アンソロジー常連の名編と言ってよい、半村良氏の「箪笥」(「能登怪異譚」所収)です。 

半村良「能登怪異譚」(集英社文庫)

「箪笥」は、わたしの手元にあるアンソロジーだけでも、中島河太郎紀田順一郎編「現代怪奇小説集」(1988年、立風書房)、阿刀田高選「恐怖の森」(1989年、福武文庫)、紀田順一郎東雅夫編「日本怪奇小説傑作集3」(2005年、創元推理文庫)で読むことができます。 

阿刀田氏は「恐怖の森」の解説でこう書いています。 

半村良の”箪笥”は、まことに怪しい物語である。なんの危害も加えられるわけではないのに、とにかく怖い。なにが怖いかよくわからないけれど、無気味である。昔の家は広く、薄暗く、たしかに箪笥を並べた部屋などがあって、子どもたちは長くはそこにいられない。その部屋の、箪笥の上にすわっていると、なにが見えるのか。よほどよいことがあるらしい。でも、それを見てしまったら、もうおしまいだ。今までの人生がガタガタに崩れてしまう。私たちは心のどこかにそんな恐怖を抱いているらしい。 

能登の方言で全編書かれた「箪笥」から、いくつか抜粋します。 

ところがあるとき、三つになる男児(ぼんち)が面妖な(もっしょい)ことになってもうたそうながや。
夜(よさる)、寝間に寝んと、毎晩毎晩こんな箪笥の上へあがって、座ったまま夜の明けるまでそうしてるのやといね。

もう少し(ちょこっと)大人になれば好(い)い様(が)になるやろ思うて、何も言わんと勝手にさせておいたやといね。

子供達(らつち)ゃ八人おるのやけど、市助がのぞいたら、なんとその中の五人までが、寝間におらんと、箪笥を幾棹(いくさお)も並べてある別な座敷で、最初の男児(ぼんち)と同じように、その箪笥の上へあがって、こうしてちゃんとひざに手ぇ置いて座っとるのやがいね。

市助は女房(おかみ)をかきくどいたそうな。「なんであないしとるか、知っとったら教えてくれ」言うてな。そやけど、女房(おかみ)は少し(ちょっこり)笑うて見せるだけで、そのことになると何やそう判らん顔で、じっと市助をみつめるのやと。

残る三人の子も、やがて夜(よさる)になると箪笥の上へあがり腰の曲がった母親(ばあば)まで、どうやってあがるか知らんけど、ちゃんと高いところへあがって座るようになってもうた。

父親(じいじ)に母親(ばあば)に女房(おかみ)に八人の子供達……一人残らず箪笥の上へあがって、膝に手ぇ置いて座っとった。身動きもせんと、目ぇあけて、きちんと座っとるのや。

氷川瓏「乳母車」

次に紹介するのは氷川瓏氏(1913-1989)の「乳母車」です。ウィキペディアによると、氷川氏は、 

戦後まもなく雑誌『宝石』1946年5月号に「乳母車」を発表しデビューした。以後、断続的に幻想・怪奇系に属する探偵小説作品を書いた。作品の多くは短編である。 

とあります。 

夜も更けた屋敷町の道を歩いていると、油が切れている車を無理に動かしているような、ギイギイと車のきしむ音が聞こえた。「三十にもならぬらしい若い女が乳母車を押していくのである」 

私は思い切って「お坊ちゃんですか……お嬢さんですか」と声を掛けた。 

「女でございます」
「おいくつですか」
「三つでございます」

そんな言葉をかわしていると、「突然、あたり一面が真っ青になったように思われた」。わたしは子どもの寝顔を見たくなって乳母車を覗くと、 

明るい月の光の隅々まで照し出された乳母車の中には意外にも子供の姿は見えなかった。ただ一つ美しい京人形が青白い月光を浴びて輝いていた。 

私は眼を上げて女の顔に視線を写した。女は乳母車を止めてじっと月を仰いでいた。女の顔は月の光に銀のように冴えて白かった。

「乳母車」は鮎川哲也編「怪奇傑作探偵小説集1」(1998年、ハルキ文庫)で読むことができます。

吉行淳之介「追跡者」

最後は、吉行淳之介氏の「追跡者」です。こちらはさらに短く文庫で1ページと5行だけ。筒井康隆氏の名アンソロジー「異形の白昼」(ちくま文庫)所収です。 

最初の気づき(ヒント)を教えます

 「異形の白昼」は以前の記事で紹介しています。 
カチカチ山が怖い…「異形の白昼」から曽野綾子「長い暗い冬」 

最初に筒井氏の解説を紹介します。 

吉行氏唯一の恐怖小説であり、本アンソロジイ中最も短い物語である。吉行氏自身も、この作品に愛着があり、自信を持っておられるようだ。当然であろう。珠玉の掌編である。
お読みいただければおわかりだろうが、むろん、表札のくだりがミソである。洗練された文章のすばらしさは、いうまでもない。

「追跡者」はこんな書き出しで始まります。

終電車の中で、彼はその女と眼が合った。
女の眼は黒くかがやき、白眼のところは青白く済み、彼はその眼の中に吸いこまれそうな気持になった。
気がついてみると、彼は女と同じ駅で降り、そのあとをつけていた。

駅を出て、住宅地を過ぎ、畠のあいだの田舎道になった。百メートルほど先に小さな日本家屋があり、女はその家の中に消えた。彼は声をかけなかったことを悔やんだ。 

以下、筒井氏が「ミソ」と言う表札のくだりをそのまま紹介することをご容赦ください。表札のくだりから、この掌編の最後の一文まで紹介して拙文を終えます。 

表札だけでも見ておこうと、歩み寄ったとき、窓ガラスを明るくしていた灯が消えた。
それと同時に、星空が一斉に光を失った。彼は門口に立ち、ライターを握った手を高く掲げて点火した。
その光が古ぼけて薄ねずみ色になった表札を照し出した。家に合わぬ大きな表札だが、その表面には何の文字も書かれていない。不意に吹き消されたように、焔(ほのお)が消えた。
彼の手が震えた。ようやく、もう一度、ライターを点火した。小さな焔があたりを照らしたが、彼の眼の前の家屋はあとかたもなく消え失せていた。
あとは一面の畠ばかり。

(しみずのぼる)

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