きょう紹介するのはマーク・グリーニーの〈グレイマン〉シリーズ最新作「暗殺者の矜持」(原題:The Chaos Agent)です。人工知能(AI)の軍事利用の行き着く先はーー。シンギュラリティ(AIが人間の知能を超える転換点)がテーマで、正直ホラーよりも怖い思いをさせられます(2025.3.3)
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目次
前作はウクライナ戦争が題材
〈グレイマン〉シリーズは過去2回記事にしています。昨年12月に発売された「暗殺者の矜持」(上下巻、ハヤカワ文庫NV)は、シリーズ第13作目となります。

前作「大統領の屈辱」(上下巻、ハヤカワ文庫NV)は、ウクライナ戦争を題材としたものでした。しかも、ロシアの工作に呼応してロシア寄りに動く米政府高官の腐敗をテーマにしています。
トランプ大統領やバンス副大統領がそうだとは言いませんが、親ロシアの姿勢をにじませる米政府首脳の姿をみると、巻頭に「ウクライナに栄光あれ!」と掲げた「大統領の屈辱」を読み返したくなります。

次々暗殺されるAI開発者たち
そんな〈グレイマン〉シリーズの最新作は、なんとAIの軍事利用がテーマです。


恋人ゾーヤ・ザハロワとともに逃避行をつづけて、グアテマラに潜んでいたコート・ジェントリーは、ゾーヤが旧い知己と会って、危地に陥っているロシア人ソフトウェア・エンジニアの逃亡の手助けを頼まれたことから、AI開発をめぐる国際的な戦いに巻き込まれる。
おりしも世界各地で、AIの専門家や開発関係者が何人も暗殺されていた。
「暗殺者の矜持」下巻訳者あとがきより
このように前作「大統領の屈辱」で再会したグレイマンことコート・ジェントリーと恋人ゾーヤ・ザハロワが巻き込まれるAI絡みの暗殺事件ーーこれが「暗殺者の矜持」の基本プロットとなります。
LAWSー自律型致死兵器システム
次々と実行される暗殺事件にCIAも動き出します。
CIAで暗殺事件の調査にあたるジム・ペイスは、CIA幹部の前で次のように説明した。
「もっとも可能性が高い仮説は、殺された人間すべてが、ある種の知識を有していたということです。悪玉はたぶん中国でしょうが、なんらかの新しい戦闘能力を展開しようとしていて、それを阻止できるか、その新戦闘能力と戦えるなにかを建造できる人間を取り除こうとしているのかもしれません」
「どんな戦闘能力だ?」
「被害者とその専門から判断して、人工知能を使う兵器化された運搬体(プラットフォーム)のたぐいでしょう。LAWS(自律型致死兵器システム)です」
質問が出る前に、ペイスはいった。「LAWS、つまり自律型致死兵器システムとは、人間の干渉を受けずに、ターゲットを捜し、交戦するかどうかを決定して、交戦する兵器のことです」「AIは敵の兵器に、わたしたちが”先行者利益”と呼ぶものをあたえます。孫子は”兵は拙速を聞く”(拙くても速やかに勝つほうがよい)といっています。人間を方程式からはずして、兵器をコントロールする力をAIがあたえれば、敵を速度でしのぐことができます」
「そして勝利をものにする」ワトキンズは小声でいった。
ペイスはいった。「これがわたしたちの恐れているようなことで、仮にそれが実用化されたら、中国は戦術と作戦運用において、わたしたちの軍をしのぐでしょう」
国防総省の国防イノベーション・ユニットのディレクターも暗殺されたひとりだった。ペイスは国防総省にも調査に赴いた。後任のディレクターが説明した。
「人工知能は、つぎの軍事テクノロジーの革命になる。銃器、機関銃、飛行機の発明よりも大きく……核兵器の発明よりも大きい」
ペイスは、そういう議論を前にも聞いたことがあったが、信じていなかった。「どうしてそんなに大きいのですか?」
「OODAループがなにか知っているかね?」
ペイスはむっとしてすこし顔をしかめた。「もちろん知っています。戦闘の規範ですからね。観測(オブザーヴ)、方向付与(オリエント)、決定(ディサイド)、行動(アクト)(ターゲットを探し、ターゲットに向かい、ターゲットとの交戦を決め、ターゲットと交戦するという四つの段階のこと)。敵と交戦するための行動の適切な順序です」
「そのとおり」レイノルズがいった。「二者の戦いでは、OODAループを速く進められる側が勝者になる」「アメリカの政策は、殺戮チェーンに人間が介在しない兵器を使用しないと、明確に述べている。自律的な兵器を保有することはできるが、致死的な行為が実行される前に、意思決定プロセスに人間が関与しなければならない」
ペイスはそれらすべてを知っていたので、つぎの言葉は質問ではなく事実を述べていた。「そして、中国にはそういうルールがない」
AGSIー人工汎用超絶知能
暗殺されたディレクターは、LAWSを積極的に進める立場のひとりだった。その彼が「AGSIのことを恐れていた」と後任は続けた。
「人工汎用超絶知能」ペイスはいった。人工の感性であるAIの恐ろしい最終段階だと見なされている。AIが認識を備える。人間とおなじように考える機械ができる。ただし、人間よりも賢く、速く、良心の呵責がない。
「リックは、中国が西側から奪ったあらゆることについて心配していた。中国の取得に一定のパターンがあるのに気づいていた。そのパターンとは、機械が自習してみずからコードを書き、超絶知能と論理的思考レベルに達するのに、既存のテクノロジーを利用するというものだった。AGSIがやがて登場するし、わたしたちはそれに対する準備ができていないと、リックは確信していた」
ペイスは、暗殺されたAI開発者の元妻で、自身もAI開発者の博士に「AGSIはあり得ると思うか」と訊ねた。
「地球上でもっとも先進的な認知処理装置は、つねに人間の脳だった。わたしの知るかぎりでは、いまもそれは変わらない。IT産業の人間はほとんどそう思っている。でも……仮にだれかが人工汎用超絶知能を開発したら、それは兵器化される必要がない。自分を兵器化する方法を、それが見つける。超絶知能を封じ込めることはできないし、それは生存のために戦うでしょうね」
「そして、人類が地球上でもっとも知性が高い種ではなくなったら」ライダー博士がつづけた。「わたしたちは必然的に奴隷化され、最終的には絶滅する」
「しかし、コンピュータプログラムが、どうやって自分を兵器化できるんですか? 現実の世界に存在していないのに」
どうしようもないほど世間知らずな人間でも見るように、ライダー博士がペイスを見た。
「人間を雇い、脅し、騙し、強制し、操作し、力をあたえたり奪ったりできるくらい、それは賢くなる……人類を支配できるくらい賢くなる。人類は鎖の弱い環になる。欲に屈して、AIエージェントのために働く。脅しに屈し、おだてに乗る……人類は負けてしまうのよ」
AGSI×LAWSを阻止できるか
暗殺から免れたAI開発者のひとり、アントン・ヒントンが新たに雇った護衛役ザック(コート・ジェントリーの元上官)に次のように説明する場面もあります。
「犯人は明らかに、人工超絶知能(AGSI)を創造しようとしている可能性のある人間を取り除こうとしている。兵器とロボットにも関係があるなにか、つまり自律型致死兵器システム(LAWS)だ。あらたになんらかの大きな進展があったため、それを創った国を突き止めるおそれがある人間、それに対する防御を開発できるような人間を、何者かが殺しているんだ」
AGSIーー良心の呵責のない人工知能が、OODAループを誰よりも速く行い、LAWSーー自律型致死兵器システムを操る世界。
そのような悪夢の世界の出現を、われらがコート・ジェントリーが恋人ゾーヤとともに阻止するべく、敵側に雇われた腕利きの暗殺者、離れたところの会話すら盗聴できる監視ドローン、次々に襲い掛かる爆弾搭載ドローンと銃器を備えたロボット犬などを相手に死闘を繰り広げる…というストーリーなのです。
次々とAI開発者の暗殺を命じる〈サイラス〉は何者なのか。ほんとうに中国なのか。英語を使い、スペイン語も堪能な〈サイラス〉の正体とはーー。下巻の終盤はページをめくるのももどかしくなること必定です。
相互確証破壊(MAD)が効かない
そんな「暗殺者の矜持」ですが、〈グレイマン〉シリーズの過去の作品はどれも読了した後、ある種の痛快さに酔いしれることができました。でも、「暗殺者の矜持」は違いました。
先に引用したように国防総省の人間がこう言っています。
「人工知能は、つぎの軍事テクノロジーの革命になる。銃器、機関銃、飛行機の発明よりも大きく……核兵器の発明よりも大きい」
核兵器の発明よりも大きいーー。その核兵器については、別の場面でロシア人がこう説明します。
「双方がおなじテクノロジーを手に入れたら、そのテクノロジーは使われないだろう。西側は優位を失う。世界はより安全な場所になる。アメリカとソ連が核兵器を保有していたために、どちらも核兵器を使うことができず、相互確証破壊が成り立ったことを憶えているはずだ」
核攻撃をしたら自分たちも滅びるーーという恐怖心が相互確証破壊(mutually assured destruction, MAD)の核心だとすると、AIの場合は良心の呵責どころか恐怖心も存在しません。核戦争を抑止したMADが効かない「軍事テクノロジーの革命」とは!
〈グレイマン〉シリーズは国際謀略政治を基盤にしたアクションサスペンス小説ですが、SFではありません。それなのに、映画の「ターミネーター」や「マトリックス」の世界が語られている……。その居心地の悪さが、読後の爽快感を打ち消してしまったのです。
LAWSが使用された形跡がある
もっと居心地が悪くなったのは、伏見威蕃氏による訳者あとがきを読んでからでした。
本書に登場ずる自律型致死兵器システムーー略してLAWSについては説明する必要があるだろう。
ウクライナで起きている戦争では、攻撃型も含めてドローンが多用されている。だが、LAWSに関する国際的な基準も規制もまだ定まっていないなかで、そこで早くもLAWSが使用された形跡がある。
なんと、LAWSは物語の世界ではなく、現実世界にすでに「いまある」ということです。伏見氏は続けてこう書きます。
いわゆる撃ち放し可能な兵器システムは、自動的であるとはいえ、OODAループによって制御され、どこかで人間が介在している。
(略)
自律型致死兵器システムは、こういった人間の関与をすべて取り払ったものだ。人間のような感情を持たないので、最後の瞬間にターゲットに同情して引き金を引くのをためらうこともない。さらに恐ろしいのは、AIが人間の知能を超えるとされる、シンギュラリティと呼ばれる段階だ。AIがこれに達した場合、スイッチを切る能力がある人間を敵と見なすかもしれない。まるでSFのようだが、AIのゴッドファーザーと呼ばれている、今年(二〇二四年)のノーベル物理学賞受賞者のジェフリー・ヒントンは、そういう危険性を警告している。
読後に気が晴れない理由がわかっていただけたでしょうか。
「暗殺者の矜持」はSFでもなんでもなく、すでに片鱗が現実世界に現出している「いまそこにある危機」です。
ホラーよりも怖い気持ちにさせられますが、コート・ジェントリーやゾーヤの活躍(とふたりのその後)も必読ですので、興味を抱かれたらぜひ手に取ってみてください。
(しみずのぼる)
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