ふとした瞬間に視界の端をよぎる「黒い物」と「鬼」ーーその正体は何なのか?山岸凉子氏の短編「夜叉御前」は、日常の亀裂から這い出してくる異形の恐怖を、圧倒的な筆致で描き出した名作です。物語の根底に流れるのは、母性、嫉妬、そして人間が誰しも持つ「鬼」の側面ーー。本作が問いかける、真の恐怖の正体に迫ります。(2025.2.25)
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目次
読後の衝撃…幽霊や怪異よりも怖いのは人間
山岸凉子氏の「夜叉御前」は、わたしは夢枕獏氏の鬼にまつわるアンソロジー『鬼譚』(天山出版刊、のちにちくま文庫)で読みました。
読後、思わず慄然としました。

幽霊や怪異よりも恐ろしいのはやっぱり人間だなあ…
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襖が静かに開くと、夜叉のような恐ろしい女の人の顔
「夜叉御前」はこんな書き出しで始まります。
この春 わたしたち一家は この山深い一軒家に越してきました
でも この家へ足を一歩ふみいれたとたん
わたしは思わずゾッとしました
一人称で淡々と語る「わたし」は紀子という名の15歳の少女。母が腎臓病で寝たきりで、弟妹はまだ小さく、父方の祖母も寝たり起きたりとあって、ひとりで家事を担っている。
部屋でひとり寝ていると、誰かが足音をしのばせて部屋に近づいてくる。襖が静かに開くと、そこには夜叉のような「恐ろしい女の人の顔」があった。
台所に立っていても、後ろに気配がーー。
わたしは後ろを振り向きませんでした
振り向けばそこにあるのがわかったからです
あの顔が
紀子は食欲がなかった。「少々吐き気がするくらいです」「あれは人が弱るのを待っている顔です」
ある時、いつもの女の人が台所に立っていた。振り向いた頭に2本の角があった。
あれは鬼の顔です
幸いほかの人はまだだれも気づいていません
われわれ家族のほかに
あの鬼の顔をした女の人が住んでいることを……わたしはそれからよく吐くようになりました
だれかがわたしの食事に何かをいれるらしいのです
だれなのか知れた事です
もうまぎれもありません
あの鬼の最初に狙っている相手はこのわたしです
おおいかぶさる黒い物…顔を横に向けると鬼がいた
紀子は「負けてはいけない」と強く思った。そのうちに吐き気はおさまったが、「けれど、もっと恐ろしいことが起こりはじめました」
夜中わたしは苦しくて目が覚めました
何か黒い物がわたしにおおいかぶさっています
はね返そうとしても黒い物はびくともしなかった。そのとき、顔を横に向けると鬼がいた。
わたしがゾッとしたのは鬼がいたからだけではありません
鬼がいるのは押し入れの中だったからです
鬼は押し入れの中から わたしが苦しんでいるのをジッと見つめているのです
そのころから紀子は太ってきた。毎晩のように黒い物がおおいかぶさり、それを鬼が覗いている日々が続いたが、ある夜、顔を横に向けると、そこには……。
引用はここまでです。そもそも一人称のスタイルに読者は騙されます。語り手自身の認知に歪みがあれば、そこで語られる物語は最初から歪んでいることになります。
紀子が語る黒い物はなにか、鬼はだれかーー。
衝撃の1ページがすべての謎を解き明かします。あまりに鮮やかな、狂気と恐怖に満ちた1ページに、読者はひたすら戦慄をおぼえるでしょう。
夢枕獏氏「なんで、こんなにこわい話を描くことができるのか」
夢枕獏氏は『鬼譚』の解説で、「夜叉御前」について次のように書いています。
ほんとうに、女のひとはおそろしい。
なんで、こんなにこわい話を描くことができるのか。人の心理の襞や狂気を、このように漫画で表現できるのである。
初めてこれを読むもの書きの方々よ、おおいにたまげなさい。
「夜叉御前」をわたしは『鬼譚』で読みましたが、現在は『汐の声』(KADOKAWA刊)で読むことができます。
短編集『汐の声』紹介
突如顔を出したその恐怖は、ずっと貴方の隣にあった――。
霊感少女として売り出し中の佐和(さわ)は、オカルト特集のゲストに呼ばれ、取材班とともに郊外の無人の屋敷を訪れるが――(「汐の声」)。表題作のほか、いずれも恐ろしさに息を呑む短編「千引きの石」「夜叉御前」「キルケー」の全4編を収録。
山岸ホラーで有名なのは「わたしの人形は良い人形」で、わたしは2度にわたり紹介しました。
「わたしの人形は良い人形」が、人形のもたらす怪異に恐怖をおぼえるのに対して、「夜叉御前」はひたすら人間の怖さに震えおののくストーリーです。
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「鬼来迎」でも描かれる「怪異よりも怖いのは人間」
夢枕獏氏は『鬼譚』の解説で、
「鬼来迎(きらいごう)」をはじめとして、山岸凉子はこわい話がたくさんあるのだが、ぼくにはこの話(=「夜叉御前」)が一番こわかった。
と書いています。ここで出てくる「鬼来迎(きらいごう)」も、怪異よりも怖いのは人間ーーというストーリーです。
「鬼来迎」あらすじ
実家のさびれた漁村に、都会から逃げるように帰ってきた野村敏子は、茶華道の先生をしている未亡人深草夫人の家に住み込みで働くことになった。敏子はそこで不気味な叫び声を何度も聞く。その声の主は実は深草夫人のたったひとりの息子俊一だった。ガリガリにやせて、その姿はまるで餓鬼のようだった。敏子のなかに言い知れぬ不安が広がっていく。
「鬼来迎」は、わたしは潮出版社版『わたしの人形は良い人形』で読みましたが、1994年に文春ビジュアル文庫から出版された『夜叉御前』にも入っているそうです(持っていないのでAmazonの情報による)
短編集『夜叉御前: 自選作品集』紹介
山深い一軒家で起こる怪奇を描く表題作ほか、ギリシャ神話が現代の暗闇の奥底によみがえる恐怖譚「キルケー」など、傑作を集める『夜叉御前』(文春ビジュアル文庫)
すでに品切れで今は古本で買うしかありませんが、「夜叉御前」も「鬼来迎」も読めるのはかなりお得感がある文庫だろうと思います。
『わたしの人形は良い人形』に続いて文春文庫から再刊なるか!? 期待して待ちましょう(待てない人は古本を探してください)
(しみずのぼる)
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