きょうはリチャード・マシスンの小説「ある日どこかで」(創元推理文庫)を紹介します。同じ邦題タイトルの恋愛ファンタジー映画の原作。あらすじは映画も原作も一緒ですが、マシスンの現体験ー写真の女優に魅かれるーが小説執筆の端緒となっています(2025.2.16)
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詳細かつ濃密な原作
この記事は、前回書いた映画「ある日どこかで」の記事を読んでいる前提で書きます。前回記事は以下から読めます。

前回記事でも紹介したように、写真の女優に魅かれて評伝等で調べるうちにかつて言葉をかわした老婦人がその人だったと知る……という展開は原作のとおりです。ただ、原作のほうが詳細かつ濃密です。
この一瞬を記録しておこう。
ケースのひとつに、一八九六年十一月二十日にホテル内劇場で催された演劇のプログラムがあった。J・M・バリ作『小牧師』で、女優の名はエリーズ・マッケナ。プログラムの横には、彼女の写真があった。それはぼくが生まれてからいままで目にしたなかで、もっとも輝かしく愛らしい顔だった。
彼女に惚れてしまった。
いかにも、ぼくらしい話だよ。あちらこちらと散発的に、うたかたの恋に行きあたってきた三十六歳の男。でも、そのなかに真実のゆるぎない愛情はひとつもなかった。
そして、末期的な状況におかれたなかで、少なくとも二十年まえに死んでいるはずの女性についにめぐりあい、心を奪われたとは。
1896年11月に何が起きた?
小説はリチャード・コリアの遺した手記を実兄が出版した体裁です。
リチャードの手記はここからエリーズに恋焦がれる文章ばかりになっていきます。そして、評伝などで彼女のことを調べ始め、1896年11月にコロナード・ホテル滞在中に何か出来事があり、それから10か月も農場にこもり、女優として復活してからは演技の才能を劇的に開花させたことを突き止めます。
例えば「ロミオとジュリエット」の劇評。
主人公の内心にうずまく喪失感を観客に実感させてくれた。いままで目にしたなかで、もっとも慈愛に満ちた、かつてないほどに人間味のある、説得力あふれるジュリエットを、われわれは目のあたりにした。
リチャードの手記はこう書いています。
いったいいつ、こんな劇的な変化が彼女にもたらされたのだろう?
ぼくにはかいもく見当がつかないが、このホテルに滞在していたあいだになにかがあったにちがいない。
それにしても、なにが?
貴方は何処から訪れたの?
いい寄った男性に対してエリーズの母親が娘は生涯独身を貫くつもりだと伝えたエピソード。そして、エリーズが焼いた過去の手紙の切れ端に書いてあった文章。
愛しきひとよ、いま何処?
貴方は何処から〔私のもとに〕訪れたの?
何処に姿を隠してしまったの?
リチャードはエリーズの伝記で、次のような証言の記述をみつけた。
「舞台は彼女の人生そのものだ、と親しい友人はいつも言っていました。エリーズは恋愛沙汰とは無縁の人物だった。でもたった一度だけ、二度とそんなことはなかったけれど、つい気を許したエリーズが、心に秘めている男性の存在をもらしたことがあった。内心を打ち明けたときの彼女の瞳に、いままで見たことのない悲しげな色がうかんでいたの。つらそうな微笑みを見せ、『コロナードで経験したスキャンダルなの』と言っただけで、ことの次第については教えてくれなかった」
つまり、このホテルでなにかがあったのだ!
ファンがたくさんいるようね
そしてリチャードは伝記の最終章に出てくるエリーズの亡くなった時の記述に驚きます。
「エリーズ・マッケナは一九五三年十月、何年間も演劇の教鞭をとっていたミズーリ州コロンビアのスティーヴンズ・カレッジで催されたパーティーに出席したのち、心臓麻痺で亡くなった」
すると、かつて彼女とぼくは同じ場所にいたことがあるのか。
それも、同じときに。
なぜ、こんな不思議なことが?エリーズの最期の言葉が残されていた。
「そして、愛はとこしえに甘美なり」
聞きおぼえのある文句だな?
ああ、なんてことだろう。
ぼくも、あのパーティーに出席していたじゃないか。彼女を見たように思う。
ぼくの書いた戯曲の公演がひらかれたあと。女友達とともに、出演者を祝うパーティーに出席していた。
そこで彼女が声をかけてきたのだ……顔も名前も忘れてしまっているけれど、あの言葉はまだ憶えている……。「あなたにはファンがたくさんいるようね、リチャード」
声のほうへと目をやると……女子学生たちにかこまれて、ひとりの老女がソファにすわっていた。
ぼくを見つめて。ああ、まさかそんな、そんなことはありえない。
リチャードは、エリーゼが残した文章の一片を思い出す。
「貴方は何処から訪れたの?」
その男は、何処からやってきたのだろう?
もしかしたら、その男が自分なのではないか? ということはタイムリープは実現可能なのではないか? そう考えて、時間旅行の方法を探求し、実行する記述となっていきます。
悲観を、悲哀をまとった顔
もうひとつ、創元推理文庫の原作から引用します。
時間によってリチャードと永遠に引き裂かれて2か月たった時のエリーゼの写真を、リチャードが彼女の評伝で見つけた場面です(創元推理文庫の87ページ)
予想外の余禄があったーー何ページにもわたる彼女の写真が。
そのうちの一枚を、もう十五分ものあいだ見つめている。いままで見た写真のなかで、もっとも胸にせまるものだった。一八九七年一月に撮られていた。エリーズは前面にフリルのついたハイネックのブラウスに、あや綴りの上着をまとい、大きな黒い椅子にすわっている。髪は櫛とピンで上にまとめ、両手は膝にのせている。そして、まっすぐカメラを見つめている。
なにかに憑かれたような表情だった。
ああ、この瞳の色ときたら! 魂が抜け落ちたような空虚さだけしか残っていない。唇も。口元が微笑みをうかべる日は、二度と来ないのだろうか? こんな悲観を、これほどの悲哀をまとった顔は目にしたことがない。
こんな悲観を、これほどの悲哀をまとった顔は目にしたことがないーー。そんなエリーゼ・マッケナの記述ですが、原作者のマシスンはこれをみて書いたのだろう…と思われる実際の女優の写真が、創元推理文庫の「ある日どこかで」に収められているのです。
モード・アダムスの肖像写真
SF作家の瀬名秀明氏が書かれた解説で、文庫本1ページを使った写真の下にこうあります。
ミス・モード・アダムスのポートレイト
ロビンズ著 MAUDE ADAMS: AN INTIMEATE PORTRAIT収蔵。本書87ページでリチャードが見ている写真だと思われる。『小牧師』出演の頃は、これよりも顔に丸みがあり、ずっと可愛らしい印象である。
つまり「ある日どこかで」にはモデルがいるのです!
実際の女優で、そのポートレート写真に魅入られたリチャード・マシスンが女優の写真に焦がれる自身の体験をベースにこの恋愛ファンタジーを著した…ということなのです。
リチャード・マシスンは1971年にネバダ州のパイパー・オペラハウスに立ち寄った際、「そこには初期アメリカの演劇に関する資料が陳列されており、マシスンはその中にひとりの女優のポートレイトを見つけた」(瀬名氏の解説より)
それがモード・アダムス(Maude Adams 1872-1953)です。J・M・バリの「小牧師」の舞台化で主役を務め、バリの「ピーター・パン」初演でピーター・パン役を演じた女優です。

バリの「ピーター・パン」創作秘話をベースにした映画「ネバーランド」は以下の記事からごらんください。
ピーター・パンの史実に涙:映画「ネバーランド」
モード・アダムスのポートレート写真に魅入られ、彼女の評伝を片っ端から調べるくだりは、そのまま「ある日どこかで」の記述となったというわけです。
ミュシャが残した油彩ポスター
モード・アダムスには、わたしも個人的に目を奪われた体験があります。
いまから20年近く前、ニューヨークのメトロポリタン美術館に行った時のことです。ひとつの大きな油彩ポスターに目が釘付けになり、しばらくずっとその場を離れられませんでした。
アルフォンス・ミュシャ(1960-1939)の「ジャンヌ・ダルクに扮するモード・アダムス」(1909年、油彩)です。
ミュシャは史上初めての世界的女優と称せられるサラ・ベルナール(1844-1923)をモデルにした作品を多数残していますが、ひとつだけモード・アダムスのポスターを手掛けており、それがメトロポリタン美術館収蔵のこの作品です(ひとつだけ…というのはミュシャ研究家ではないので間違いかもしれません。でも、ミュシャの有名な作品でモード・アダムスの名が作品名にあるのはこれだけのはずです)
リチャード・マシスンを魅了し、恋愛ファンタジー映画の傑作「ある日どこかで」を生むきっかけとなったモード・アダムス。アルフォンス・ミュシャが活写したモード・アダムスは、メトロポリタン美術館の下記サイトで見ることができます。
2002年に創元推理文庫から出版された「ある日どこかで」は残念ながら品切れですが、瀬名氏の解説を含めてとても読みでがあります。映画「ある日どこかで」のファンなら、ぜひ古本を探してでも読んでみてください。
(しみずのぼる)
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