伊坂幸太郎氏の「死神の精度」(文春文庫)が装いを新たに発刊されました。2005年の単行本発売から20年の節目の新装版だそうです。伊坂本の良きエッセンスが詰まった同書。店頭で平積みされてますので、ぜひ手に取ってほしい本です(2025.2.7)
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目次
伏線の貼り方と回収が秀逸
伊坂幸太郎氏の小説は結構たくさん読んでいますが、当サイトで紹介したのはわずか2作品だけ。しかも、1作品は自分でも不本意な紹介文です。理由は「とにかく紹介しにくい!」からです。
伊坂本の魅力の第1は、伏線の貼り方と回収が尋常でない点です。
自分でも不本意な紹介文と書いた「ゴールデンスランバー」(新潮文庫)は、山本周五郎賞と本屋大賞をダブル受賞して映画化もされている伊坂氏の代表作ですが、主人公のメモ書き、習字、スタンプ……そういう何気なく散りばめられる伏線をひとつでも紹介してしまったら、読んだ時の驚きと感動を著しく減殺してしまいます。ほんとうに何の予備知識も持たずに読んでほしい小説のひとつです。

パズルのピースがはまるよう
魅力の第2は、ストーリー自体もジグソーパズルみたいに一見とっちらかってるのに、ラストには最後のピースがカチッと音を立てて収まるような物語の巧緻さです。初期の「ラッシュライフ」(新潮文庫)がそうですし、わたしが以前に紹介した「アイネクライネナハトムジーク」(幻冬舎文庫)もバラバラな登場人物が最後にピタっと収まるので、ほんとに爽快感を抱きます。

絶対的な悪役と勧善懲悪
魅力の第3は「勧善懲悪」であることです。
勧善懲悪というと、なにやら水戸黄門や遠山の金さんを思い浮かべるかもしれませんが、まったく似て非なるものです。伊坂氏の小説には絶対的な悪とも言える人物がしばしば登場するのですが、そうした人物には必ず相応な報いがもたらされるのです。
しかも「職業に貴賤なし」というか、絶対的な悪役として警察官が出てきたり(デビュー作の「オーデュポンの祈り」)子供が出てきたり(映画化もされた「マリアビートル」)します。一方で泥棒や殺し屋が懲らしめる側だったりします(作品多数!)
クスッと笑えるユーモア随所に
魅力の第4は、クスッと笑えるユーモアが随所に感じられることです(これも作品多数!)
まあ、ほかにも伊坂本の魅力は枚挙にいとまがないのですが、この4点をわざわざ挙げたのは、きょう紹介する「死神の精度」こそ、このような魅力が存分に詰まった連作短編集だと思うからです。

好きなものは音楽、嫌いなものは渋滞。彼が仕事をすると必ず雨が降る――。クールで真面目な死神・千葉は、人間の世界に溶け込み、七日間の調査で対象者の「死」に可否の判断を下す。自分の運命を知らない人々と旅行をしたり、窮地に陥ったり。死神と人の奇妙なかけあいが癖になる傑作短編集。

調査で「可」なら死ぬ
死神の千葉は調査部に属し、情報部のデータをもとに死ぬ予定の人間に接触して7日間の調査を行う。期間中に「可」と報告すれば調査対象は8日目に死ぬ。「見送り」と報告すれば死なないが、よほどのことがない限り「可」と報告する。
死神は安直だ。名前はみな地名からとっているため、彼は千葉。死神なので時に会話が不自然になる。特に比喩を解するのが苦手だ。
「わたし、醜いんです」とぽつりと言った。
「みにくい?」私は本当に、聞き間違えた。目を細め、顔を遠ざけて、「いや、見やすい」と答えた。「見にくくはない」
「俺が、仕事をするといつも降るんだ」私は打ち明ける。
「雨男なんですね」と彼女は微笑んだが、私には何が愉快なのか分からなかった。けれどそこで、長年の疑問が頭に浮かんだ。「雪男というのもそれか」
「え?」
「何かするたびに、天気が雪になる男か?」
彼女はまた噴き出して、「可笑しいですね、それ」と手を叩いた。
不愉快になる。
「俺に会ったのが運の尽きだからよ」と唾を吐いた。雨が跳ねるのに紛れて、彼の唾も水溜まりに落ちた。
「運の尽き?」
「おっさんぐらいの年齢だと、年貢の納め時、とか言うんじゃねえの」
「年貢制度は今もあるのか?」
死神たちは音楽をこよなく愛している。「私たちの仲間は、仕事の合間に時間ができると、CDショップの試聴をしていることが多い。一心不乱にヘッドフォンを耳に当て、ちっとも立ち去ろうとしない客がいたら、おそらく私か、私の同僚だろう」
「死神の精度」には、死神の千葉が死ぬ候補者と接する6つの短編が収められています。
謎解きに驚く「吹雪に死神」
その中から最初に紹介するのは「吹雪に死神」です。
雪山の山荘に閉じ込められた6人の男女。 情報部は「彼らは、招待状で呼ばれて、やってきている。『豪華な洋館での二泊三日の休日はいかがですか』という当選はがきが送られてきて、それで、集まっているようだ」と説明した。千葉が「胡散臭いな」と言うと、情報部の男も「誰かが何かを企んでいるに決まってる」と応じ、「あ、そうそう」と続けた。
「ちなみに、その洋館で、何人か死ぬことになりそうだからな」
私は振り返り、片眉を上げた。「どういうことだ」
「その洋館の宿泊客の何人かに、すでに、『可』の報告が出ているんだよ」
山荘に閉じ込められたひとりが「閉鎖された島とかで、次々に人が殺されるってやつ、ありましたよね」と言う場面が出てきますが、まさにクローズド・サークル系ミステリーの定番「吹雪の山荘もの」です。
でも、そこに死神が絡むとどうなるかーー。
最初の死体は毒を含んで死んだ医師。死体を見た妻が「裏口から消えていく人影」を見かけたと証言する。
「実は、つい最近知り合った方に似ていたんですよ」
「この一週間、うちの医院に毎日のように来ていたんですよ、蒲田さんとおっしゃって」申し訳ないが、と私は半ばいいかけていた。真剣に話し合っているので申し訳なかったが、蒲田という男は犯人ではないと分かったからだ。
その男は、私の同僚に違いない。
2人目の元刑事の男が殺されたところで、山荘に宿泊客のひとりの恋人が現れた。
真由子が、再会を喜ぶかのように、抱きついている。
「遅くなった」と彼は弁解した。「雪が酷くて、どうにもならなかったんだ。今朝になって弱まったが、まだ、交通機関は動かない。仕方がないから、歩いてきた」私はじっと、今やってきたばかりの男を見ていた。ほどなく、男も首を傾けた。私と目が合うと、親しげに眉を上げた。なるほど、と私は思う。
彼も、私の同僚だ。
吹雪の山荘ものをベースにしながら、次々と殺人が起きていきます。誰が犯人なのかーー。ところが、そこにトリックスターのように「千葉」「蒲田」「秋田」(みんな死神)が絡むものだから、何とも滑稽で……。
それでいて複雑なパズルのように見えた展開なのに、最後にすべての謎が解けると「うーん、こんなところに伏線を貼っていたのか!」と驚くような結末です。
弱きを助ける「死神と藤田」
もうひとつ紹介しましょう。「死神と藤田」です。
「藤田」はヤクザでどこかに雲隠れしている。調査のために会うのに藤田の子分に接触する(先に引用した「年貢の納め時」のやりとりの男です)
藤田は対立するヤクザの栗木の居場所を探していて、情報部のデータどおり、千葉が知っているという噂に食いついてきた。
「栗木の居場所を教えろよ」若者は、喧嘩の王様になったかのような態度だった。
「藤田に会わせろ。そうしたら、教えてやる」私はそう答えた。そういう段取りになっていたからだ。
若者に連れられていったマンションの一室に藤田はいた。藤田は栗田を殺すと言った。
「なるほど」
「どうして殺すのか、訊ねなくていいのか?」
「俺には関係ない」私は答えた。
「兄貴を殺されたからだ」
「兄?」情報によれば、藤田に兄弟はいないはずだった。
「俺の兄貴分が、栗木に殺された」
「ああ」そっちの兄貴か。
翌日、部屋に電話があった。藤田の親分格の男からだった。「栗田のところとは、来週、話をつけることになった」「おまえは心配しねえで、休んでろ」と言った。阿久津という名の若者も、親分格に言い含められて藤田につけられた監視役だった。
阿久津は千葉を連れ立って栗田が隠れるマンションに赴いた。車で向かう途中、千葉は阿久津に「藤田はどういう男なんだ?」と訊ねた。
「藤田さんは本当の、任侠の人なんだよ」
「弱きを助け、強気をくじく」
「藤田さんがよく言うんだよ。弱者ってのはたいてい、国とか法律に苛められるんだ。ってことは、そいつを救えるのは、法律を飛び越えた男なんだってな。つまり、無法者ってわけだ。無法者ってのは悪いイメージしかねえけど、それは、弱きを助けるってことなんだよ。それがやくざなんだよ」
千葉と阿久津が栗木を観察していると、阿久津は「栗木の隣に、見たことのねえ男がいた」「誰か雇いやがった」とうなった。
組から藤田の監視役を命じられ、一方で藤田に心酔している阿久津は、板挟みの末、自分が栗木を始末すると言い出した。そして、千葉を連れて栗木の隠れ家に出向き、まんまと捕まる。
人間に捕まって、椅子に縛り付けられるというのは初めての経験だった。広い応接室のような場所で、私は木製の椅子にガムテープでぐるぐる巻きにされていた。隣には、同じ格好で阿久津が座っている。
「おい、藤田を呼び出せって」坊主頭の男が、阿久津の前で杖のようなものを、いじくっていた。先ほどから何度かそれで、阿久津を殴っている。
「そっちの奴は吐かねえのか」と栗木は、右手に持った煙草ごと私を指した。
「おっさん、喋るんじゃねえぞ」阿久津が、精一杯の力を振り絞り、言った。千葉はやくざたちの顔を一人ずつ見ていく。すると、長身で耳の大きな男が立っているのが目に入った。 腕を組んで、こちらをじっと見つめているが、その目には愉快げな色があった。私のことを興味深そうに眺めている。
ほどなく私は、「ああ、そういうことか」と呟いてしまった。
以下、伊坂本の魅力のひとつ、勧善懲悪とはいかなるものなのか是非知って欲しくて、この短編に限ってネタバレします。どうかお許しください。
「ああ、そういうことか」と呟いた千葉は、「藤田の電話番号を教えてやる」と言った。横で「裏切るのかよ」と絶叫する阿久津に向かって、千葉はこう言った。
「藤田は、おまえを助けに来る」私は言う。仁侠の男が、やって来ないわけがない。
「てめえ」阿久津が奥歯を砕くような、顔になった。「それがこいつらの狙いなんだよ。藤田さんを殺してえのか」
私はそこで声を落とし、疑問を口にせざるを得ない。「おい、藤田が負けるのか?」
「え?」と阿久津が目を見開く。
「おまえは、藤田を信じていないのか?」今まで散々そのことを、私に訴えてきたではないか。藤田は死なない。
私はそれを知っていた。なぜなら、藤田が死ぬのは、明日だからだ。死について調査する私が言うのだから、間違いがない。調査期間中に死亡することはないし、その間に死亡が発生することもない。千葉はやくざたちの顔を一人ずつ見ていく。すると、長身で耳の大きな男が立っているのが目に入った。他のやくざたちと異なり、興奮した様子もなく、冷笑すら浮かべて壁に寄りかかっている。感情の見えない瞳は、じっくり観察すると人間離れしていることが分かる。それもそのはずだ。彼は、私の同僚だ。
先日、阿久津が、「栗木が、見たことのない男を連れている。用心棒を雇っている」と言っていたが、あれは私の同僚の、彼のことを指していたのだろう。つまり彼が調査しているのは、栗木だったのだ。
同僚の彼の調査は、私より一日早かったのだから、栗木に死が訪れるのは、今日ということになる。同僚は、死を見届けるために、今ここにいるのだろう。
「栗木が命を落とすのは今日で、藤田は明日だ」
水戸黄門や遠山の金さんのような勧善懲悪ではない、でも伊坂本の魅力は間違いなく勧善懲悪だーーとわたしが言うこと、わかっていただけたでしょうか(ネタバレは謝ります)
「突貫で仕上げた」に驚愕
巻頭に置かれている表題作で、日本推理作家協会短編部門の受賞作となった「死神の精度」の紹介は控えます。
驚くほど伏線の貼り方が上手いので、「吹雪に死神」「死神と藤田」でおもしろそうと思ったら、ぜひ手に取ってみてください。鮮やかな伏線回収に喝采したくなるはずです。
なお、新装版の巻末に伊坂氏のインタビューが載っていて、「死神の精度」についてこう言っています。
これまで四半世紀くらい小説を発表してきた中で、突貫で仕上げたランキング二番目ぐらいの作品なんです。

こんな巧緻な伏線だらけの小説が「突貫で仕上げた」とは!
新装版を機に「死神の精度」を久々に再読して、伊坂本の豊饒な魅力に酔いしれることができました。幸せです。
(しみずのぼる)
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