きょう紹介するのは伴野朗氏の「五十万年の死角」(講談社文庫)です。昭和16年の日米開戦時に行方がわからなくなった北京原人はどこに行ったのか、誰が隠したのかーー。史実を題材にしたミステリー小説です(2025.1.28)
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記者出身の乱歩賞受賞作
伴野朗氏(1936ー2004)は朝日新聞の外報部記者でインドシナ、上海の特派員を務め、同社在籍中の1976年に出版した「五十万年の死角」で江戸川乱歩賞を受賞しました。

太平洋戦争開戦の日、日本軍は、北京の医大研究施設を急襲した。貴重な文化財である、北京原人の化石骨を接収するためだった。ところが、めざすものはすでに、金庫から消えていた。何者が持ち出したのか? 化石骨を追い、日本軍、中国共産党、国民党などの激しい暗闘が始まる。壮大なサスペンス横溢の、第22回江戸川乱歩賞作受賞作品。

北京原人は、中国北京市房山県周口店竜骨山の森林で発見された化石人類で、学名はホモ・エレクトス・ペキネンシス。ホモ・エレクトスは200万年前にアフリカで生まれ、180万年以上前にアフリカを出て世界各地に拡散。北京原人が生息していたのは80万~25万年前と推定されています(篠田謙一監修「図解版 人類の起源」2024年、中央公論新社刊より)
その北京原人の化石骨が、日米戦争さなかに行方がわからなくなったのです。
消えた化石骨は今も不明
2019年に産経新聞が載せた記事(北京原人発見から90年 「消えた頭蓋骨」は今も不明)から引用しましょう。
1941年の暮れ、日中戦争の激化を受けて北京原人の化石を中国から持ち出し、米国内で一時保管することが決まった。米軍軍医の名前を記した2つの大きな箱に化石を詰め、北京から鉄道で河北省秦皇島の港に運び、そこから貨客船プレジデント・ハリソン号で米国へ向かう-という計画が立てられた。
そして41年12月5日早朝、2つの箱は米海兵隊員とともに北京を出発した。8日午前には計画通り秦皇島に到着したが、北京原人の化石を乗せるはずの貨客船が港に来ることはなかった。
おりしも12月7日(日本時間8日)、遠く離れた米ハワイ・オアフ島で真珠湾攻撃が起きたためだ。プレジデント・ハリソン号は上海付近の海域で日本軍が拿捕。化石の護送任務に当たっていた米海兵隊員も日本軍の捕虜になった。そうした混乱の中で、北京原人の頭蓋骨などの化石は行方が分からなくなってしまったのだ。
北京原人発見から90年 「消えた頭蓋骨」は今も不明

「五十万年の死角」は、この歴史的出来事を題材にしたミステリーです。
「跡かたもなく消えていた」
主人公は軍属通訳の戸田駿。東京外国語学校の支那語学科を卒業、ラグビー部で鍛えた身体の持主(伴野氏は東京外国語大中国語学科卒で、大学在籍時にラグビーをしていたそうです)
日本軍が真珠湾を攻撃した昭和16年12月8日、戸田は北支派遣軍司令部に呼び出された。解剖学の権威でもある司令部の中将は、戸田にこう言った。
「私はなんとか北京原人を戦火から救おうと思った」
「だが一足遅かったよ。高松大尉を接収のため、本日午前五時に協和医科大学に派遣した。北京原人は、金庫の中から跡かたもなく消えていたのだ」
戸田は中国語に堪能な点を買われて北京原人の探索を命ぜられた。
手がかりは、協和医科大学の事務総長コーエンと女性秘書ヒルシュブルグが失踪したことと、日本人の骨董屋が射殺遺体が発見され、遺体のそばに頭蓋骨の模型があったこと。
戸田は、協和医科大学周辺の聞き込みから、コーエンが数日前にトラックに大きなトランクを積んで米国海兵隊司令部に向かったことや、日本軍が拘束した海兵隊司令部員の調書から、河北省秦皇島の港からプレジデント・ハリソン号に積んで荷物の運び出しを行う予定だったことを突き止めた。
「藍衣社に注意」のメモ
戸田は列車で秦皇島に向かう途中、流暢に日本語を話す中国人の紳士と相席になった。国志宏と名乗り、北京で古籍を扱っていると話したが、国志宏が途中の駅で降りると、彼の座っていた座席に一枚の紙片が落ちていた。
紙片には、達筆の走り書きが三文字。
「小心藍」と読めた。
ーー藍に注意ーー藍衣社に注意。
藍衣社とは、蒋介石政権の独裁維持を目的に組織された、誘拐や暗殺も厭わない実在の謀略組織のことです。
警告か、忠告か、それとも単なるいたずれか。
ーー俺は、見えない目に見張られている。
戸田は秦皇島の港で、納品の項に「竜骨四十二」と英語で書かれた米国大使館の文化担当官宛ての領収証の写しなどを見つけた。
ところが、その直後に何者かに襲われ、昏倒している間に収穫物をすべて奪われた。倒れているところを救出し、介抱してくれたのは国志宏だった。
「戸田さん、これ以上、北京原人を追うのは危険です。貴方はもう手を引いた方がよい」
「この忠告を聞いて下さらないと、貴方の生命を保障できなくなります」
レプリカが用意されていた
それでも国志宏の忠告を振り切って「竜骨四十二」の領収証に書いてあった北京の石膏細工の店に行くと、その店の店主は姿を消し、店内の書類もすべて消えていた。戸田は店内にいた店主の甥に訊ねた。
「君は劉さんといっしょに、米大使館の依頼で、”竜骨”を作らなかったか。納品の期日は十一月五日になっていたが……」
「作りましたよ。先方の注文書に合わせてね」
「注文書だって」
「そうですよ。猿人の頭蓋骨の模型、大腿骨、歯などです。その一つ一つに仕様書がついていました」
注文をした人物も覚えていた。失踪中の事務総長コーエンだった。コーエンは北京原人のレプリカを用意し、海兵隊経由で米国に運び出そうとしたのはレプリカだった!
では、本物の北京原人はどこに? というふうに、戸田の探索と推理から北京原人の行方に迫っていくのですが、それは同時に、藍衣社や中国共産党、そして日本の特務機関も絡んで命懸けの探索となっていきます。
誰が味方で、誰が敵なのかーー。スパイ小説の趣も加わって、最後まで惹きつけられます。
進化が著しい人類学
本書が出版されたのは1976年。今から半世紀近く前です。加えて、内容も日米開戦直後の昭和16年12月ですから、さらに遡って80年以上前。 北京原人に関する記述も、当時の研究成果の範囲にとどまります。
タイトルに関係する「五十万年」は、
いまからざっと五十万年前、洪積世中期に、地球上に住んでいた人類の祖先だ。幻の人間と呼んでもよかろう。
という記述から来ますし、主人公の戸田が探索を引き受けたのも、
この原人は俺の祖先なのだ。五十万年後のいまも、同じ血が俺の身体に流れている。
という思いからでした。
しかし、人類学は近年驚くべき速度で進化を遂げています。21世紀にヒトゲノムの解読が可能となったことで、古代人のゲノムと突き合わせて解析できるようになったからです。
先に少し触れた国立科学博物館長・篠田謙一氏が監修した「図解版 人類の起源」(2024年、中央公論新社刊)によると、非アフリカ人はゲノム全体の1~4%はネアンデルタール人から受け継いでいるそうです。
ホモ・サピエンスとネアンデルタール人は、40万~10万年前のどこかの段階で最初の交雑を行ったと考えられています。ネアンデルタール人のミトコンドリアDNAとY染色体が、その頃にホモ・サピエンスの祖先のものに置き換わった可能性があるためです。それは、サピエンス種が本格的に世界展開する(約6万年前)前のこと。
そして、その後の世界展開の途中でもホモ・サピエンスは、ネアンデルタール人やデニソワ人と再び交雑することになります。私たちが持つ先行人類のDNAはこのとき受け継がれたものです。

ホモ・エレクトスの系統は…
北京原人も属するホモ・エレクトスに関する同書の系統図をみると、ホモ・サピエンスや交雑があったネアンデルタール人、デニソワ人より離れて系統が書かれ、しかも途中で切れています。
ただ、こんな記述もあります。
200万年前以降にホモ・エレクトスが出アフリカを成し遂げたことで、旧大陸の各地で人類化石が発見されるように。アジアでは10万年前までホモ・エレクトスが生存していたと考えられ、一方、ヨーロッパではホモ・ハイデルベルゲンシスやホモ・アンテセソールがいた。このように100万年前以降は複数のホモ属が同時期に生存していたが、その関係性や進化の道筋はあまりわかっていない。
北京原人の化石骨が戦争のどさくさでなくなることがなければ、ゲノム解析で人類(ホモ・サピエンス)との関係性の有無が明らかになったのでしょうか。
それもまたミステリーです。いつか「北京原人の化石骨が見つかった!」というニュースが届くのを含めて、未来の楽しみにとっておきたいと思います。
(しみずのぼる)
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