きょう紹介するのは岩波少年文庫の一冊「八月の暑さのなかで」です。金原瑞人氏編訳のホラー短編集。中学生向けと書かれていますが、大人も垂涎のホラー短編が収録されています(2025.1.22)
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傑作が多い岩波少年文庫
岩波少年文庫は、本屋さんに行けば児童書コーナーに置かれています。
でも、「モモ」(ミヒャエル・エンデ)や「クローディアの秘密」(E.L.カニグズバーグ)、「トムは真夜中の庭で」(フィリパ・ピアス)などなど、この文庫シリーズでしか読めない傑作小説が多いので、児童向け文庫とは一線を画す存在です。

時間どろぼうと、ぬすまれた時間を人間にとりかえしてくれた女の子モモのふしぎな物語。エンデの名作(「モモ」)
少女クローディアは,弟をさそって家出をします。ゆくさきはニューヨークのメトロポリタン美術館。2人は、ミケランジェロ作とされる天使の像にひきつけられ、その謎を解こうとします(「クローディアの秘密」)
知り合いの家にあずけられて、友だちもなく退屈しきっていたトムは、真夜中に古時計が13も時を打つのをきき、昼間はなかったはずの庭園に誘い出されて、ヴィクトリア時代のふしぎな少女ハティと友だちになります(「トムは真夜中の庭で」)



金原瑞人氏が選んだ13の短編
そんな岩波少年文庫に、ホラー短編集の副題がある一冊があります。それが翻訳家の金原瑞人氏が自ら翻訳・編纂した「八月の暑さのなかで」です。

本書には、18世紀から現代の短編から金原氏が選んだ13の小説が収められています。以下の13作品です。
こまっちゃった……………エドガー・アラン・ポー 原作/金原瑞人 翻案
八月の暑さのなかで……………W.F.ハーヴィー
開け放たれた窓……………サキ
ブライトンへいく途中で……………リチャード・ミドルトン
谷の幽霊……………ロード・ダンセイニ
顔……………レノックス・ロビンスン
もどってきたソフィ・メイソン……………E.M.デラフィールド
後ろから声が……………フレドリック・ブラウン
ポドロ島……………L.P.ハートリー
十三階……………フランク・グルーバー
お願い……………ロアルド・ダール
だれかが呼んだ……………ジェイムズ・レイヴァー
ハリー……………ローズマリー・ティンパリ
このなかで「読んだことある!」という小説、どれだけあるでしょうか。
わたしはサキの「開け放たれた窓」と、L.P.ハートリーの「ポドロ島」、ローズマリー・ティンパリ「ハリー」とリチャード・ミドルトン「ブライトンへいく途中で」でした。
でも、「開け放たれた窓」所収の「サキ短編集」(新潮文庫)は今も入手可能ですが、河出書房新社から出ていた「ポドロ島」と、「ハリー」「ブライトンへいく途中で」を収めた「ロアルド・ダールの幽霊物語」(ハヤカワ・ミステリ文庫)はすでに品切れです。



ということは、ほとんどの作品が、岩波少年文庫の「八月の暑さのなかで」でしか読めない小説だということです。
目立つ「奇妙な味の小説」
ただ、ホラー短編集と銘打っていますが、ホラー小説が溢れかえる昨今、ある意味ホラー慣れしている読者は多いでしょうから、

ん? これがホラーなの???
と思う作品が少なくないかもしれません。
サキ(1870-1916)の名作「開け放たれた窓」(1911年)は幽霊なんて出てきませんし、金原氏も「この短編は怖いというより、最後のオチでにやっとしてしまう、そんな感じの作品」と書いています。
表題作のW.F.ハーヴィー(1885ー1937)「八月の暑さのなかで」(1910年)にしても、金原氏は「読み終わって「?」という気分にひたれる「奇妙な味の小説」」と紹介しています。
総じて「奇妙な味の小説」の比重が大きいように、わたしも思います(この種の小説のアンソロジーでは、以前に紹介した紀田純一郎氏の「謎の物語」(筑摩書房)が思い浮かびます)

「もどってきたソフィ・メイソン」
それでは、「八月の暑さのなかで」から、わたしが特に好きな短編を2つ紹介しましょう。
ひとつめは、E.M.デラフィールド(1890-1943)の「もどってきたソフィ・メイソン」(1930年)です。
語り手は霊的現象の研究に打ち込み、「幽霊は見たことはあるが、怖くない」と答える男で、幽霊を見た経験を促されるまま語り出す形式で物語は始まります。
1880年代、南フランスの田舎町に、子どもの世話や雑用係をしていたソフィ・メイソンという名前の20歳くらいの女性がいた。
そこにアルシド・ラモットという男がやってきた。「わたしが知っているのは、農家の息子で、大柄で、赤毛で、人一倍、所有欲が強く、強引な性格だったということぐらいです」
そのアルシドにソフィは恋をし、捨てられる。ところが、ソフィは妊娠していた。ソフィはアルシドに会うため、ソフィの雇い主が別荘にしていたモワノー荘に出向いた。
きっと、アルシドとの恋に夢中だったのでしょう。ただアルシドにとってソフィは欲望のはけ口であって、もうすでに魅力など消え失せていたのです。
ふたりは会いました。実際に何が起こったのかは推測する以外ありません。
ソフィは体を震わせ、泣きながら訴えたにちがいありません。恐怖と絶望にかられて。
(アルシドは)あらかじめ計画していたのか、思わずかっとなったのかは永遠の謎です。凶器になりそうなものはごつい手しかありません。アルシドはおそらくソフィ・メイソンを絞め殺したのでしょう。
そのまま時が過ぎ、40年後、アルシドは南仏の町にふたたび現れた。アメリカに渡って成功して、アル・モットと名前を変えた実業家として。
語り手の男は、夕食の席でアルシドが自身の成功話を自慢げに語る途中で起きた出来事を次のように語った。
アルシドはしゃべり続けましたが、その途中で、それが起こったのです。
その晩ずっと感じていた不安がいきなり強くなったかと思うとーーふっと消えてなくなりました。まるで、恐ろしいことが起こってみたら、いまかいまかとおびえて待っていたときのほうがずっと恐ろしかったのがわかった、そんな気持ちでした。というのも、現れたのは哀切な悲しみだったからです。
語り手の男は、アルシドの真向いのあたりに、1880年代の服装をした女の子の姿をみた。
かわいそうにおびえた顔をしてすすり泣きながら、両手をもみあわせています。
それがわたしのみた幽霊でした。そう、ソフィ・メイソンがもどってきたのです。
このあと、語り手の男は「あのときほど恐ろしい思いをしたことはほかに一度もありません」と続くくだりとなるのですが、これは本書を手に取ってお確かめください。
この哀切極まりない幽霊譚について、金原氏はあとがきで次のように紹介しています。
E.M.デラフィールドは小説、戯曲、映画の脚本などいろんなジャンルで活躍した女性作家。ただ、いまではもう彼女の作品を読む人は少ない。しかしこの「もどってきたソフィ・メイソン」は有名でいろんな短編集に収録されている。ここには幽霊よりも恐ろしいものが描かれている。
せつないホラー「ハリー」
もうひとつ紹介しましょう。ローズマリー・ティンパリ(1920ー1988)の「ハリー」(1955年)は、こんな書き出しで始まります。
こんな、なんでもないものが恐ろしい。日射し、芝生に落ちたくっきりとした影。白いバラ。赤毛の子ども。それから名前ーーハリー。どこにでもある名前なのに。
主人公は養子縁組で5歳の少女を迎えた女性。3か月後には小学校に入る予定のクリスティンが白いバラの茂みで人影と話しているのを目撃した。
「クリス、何をしているの」
「さあ、なかに入りなさい。そこは暑いから」
するとクリスティンがいった。「いかなくちゃ。さよなら」それからゆっくりうちのほうに歩いてきた。
「クリス、だれとおしゃべりしてたの?」
「ハリー」
「ハリーって、だれ?」
「ハリー」
夫に話すと、夫は「ひとりっ子が想像の友だちを持つってのは、そんなに珍しいことじゃないだろう。人形に話しかける子どもだっているんだし」と取り合ってくれない。
しかし、その日からクリスティンが「ハリー」と話している場面を何度も目撃するようになる。おやつの時間で声をかけると、クリスティンが「ハリーもいっしょでいい?」と訊ねた。
「ねえ、ハリーってだれ?」
「お兄ちゃん」
「でもクリス、あなたにはお兄ちゃんはいないのよ。うちには子どもはひとりなの。女の子がひとり。それがあなたよ。ハリーなんてお兄ちゃんはいないの」
「ハリーはお兄ちゃんよ。だって、そういってたもん」
ハリーのことを話す場面が増えるにつれて、「わたし」は不安に駆られた。
わたしの家にいるわたしの娘が他人になりかけている。
クリスティンを養子にして以来初めて、わたしは真剣に考えた。この子はだれ? どこで生まれたの? 本当の両親はどんな人? もらってきたこの子はだれ? クリスティンはだれ?
「わたし」は小学校の初登校の日、クリスティンを送り届けた足で養子斡旋所を訪ねた。そこで、クリスティンの本当の両親が無理心中をしようとして、兄がクリスティンを抱きながら窓から飛び降り、兄は死亡、クリスティンだけ助かったことを知らされる。その死んだ兄の名前がハロルドだった。
「わたし」はクリスティンを兄の幽霊から守ることができるかーー。せつない結末は明かせませんが、この短編は冒頭引用した書き出しを、そのまま最後の結びの文章にしています。
金原氏はあとがきでこう書いています。
ダールが、自分の大好きな十四のゴーストストーリーを集めた短編集『ロアルド・ダールの幽霊物語』のなかでいちばん怖くて、いちばん切ないのがこの「ハリー」じゃないだろうか。作者はローズマリー・ティンパリ。一生に一度でいいから、こんな短編を書いてみたいものだと思う。
最大級の誉め言葉ですね。
ついつい自分の好みで「せつないホラー」を選んでしまいましたが、ほかにも佳篇が揃っています。ぜひ読んでみてください。
(しみずのぼる)
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