きょう紹介するのは児童向けゴーストストーリー、キャンデス・フレミング「ぼくが死んだ日」(創元推理文庫)です。忘れられた少年少女の幽霊が自分の最期を語る連作短編集です。子どもへの読み聞かせに最適かもしれません(2025.1.8)
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子どもがまだ小学生だった頃、小学校に出向いて読み聞かせを担当したことがあります。
PTAか何かの行事で、当番の日は、ふだんは妻が出向くのですが、妻が仕事でいけない時は代役でわたしが行ったこともあります。
代役で2年生の担当だった時は、家にあった絵本の「ふとんやまトンネル」を持参。小2の子どもたちに大受けしました。
でも、子どもだからと馬鹿にできなくて、4年生の読み聞かせで妻が瀬尾まいこさんのデビュー作「卵の緒」の一部分を読み聞かせたところ、妻はひとりの児童から「続きが読みたいから貸してほしい」と声をかけられたそうです。
ケンちゃんはふとんにもぐるのが大好き。もぐってもぐって、ふとん山トンネルができた。トンネルの入り口から何が見えるかな。ほのぼのとして楽しい絵本(那須正幹「ふとんやまトンネル」童心社刊)
僕は捨て子だ。その証拠に母さんは僕にへその緒を見せてくれない。代わりに卵の殻を見せて、僕を卵で産んだなんて言う。それでも、母さんは誰よりも僕を愛してくれる。「親子」の強く確かな絆を描く表題作(瀬尾まいこ「卵の緒」マガジンハウス刊、のちに新潮文庫)
なんでこんな思い出話から始めるかというと、アメリカの児童文学作家キャンデス・フレミングの「ぼくが死んだ日」(原題:On The Day I Died、創元推理文庫)を読み終えて最初に思ったことが
「この本は読み聞かせにとっても向いているな…」
だったからです。
「ねえ、わたしの話を聞いて……」偶然車に乗せた少女に導かれてマイクが足を踏み入れたのは、十代の子どもばかりが葬られている、忘れ去られた墓地。怯えるマイクの周辺にいつのまにか現れた子どもたちが、次々と語り始めるのは、彼らの最期の物語だった……。廃病院に写真を撮りに行った少年が最後に見たものは。出来のいい姉に悪魔の鏡を覗くように仕向けた妹の運命は。ノスタルジー漂うゴーストストーリーの傑作。
靴を残したずぶ濡れの女の子
16歳の少年マイクは免許の取り立てで、深夜、車を飛ばして家に向かっているところで、ずぶぬれの女の子に遭遇した。「寒い」「うちまで乗せてくれない?」
キャロルアンと名乗る女の子は、座席に新品の黒と白のサドルシューズを並べて、乗っていたカヌーがひっくり返り「長いあいだ水の中にいたの」と続けた。
案内されてキャロルアンの家に着くと、後部座席に女の子の姿はなく、サドルシューズがあるだけ。仕方なくドアのチャイムを鳴らすと、母親が出てきてこう言った。
「あの子の靴を返しにきたんでしょ?」
母親は驚くべき話をした。キャロルアンは56年前に湖で溺れて亡くなったこと。以来、毎年その日になると、誰かの車に現れて溺れる日に履いた新品のサドルシューズを残して消えること……。
「あの子に返したいんでしょう、なら、お墓に持っていって。あの子は、墓地の、若い人たち専用の一角で眠ってるわ。あの子も喜ぶと思ったの、同じ年ごろの子たちといっしょのほうが」
マイクが半信半疑で靴を持って墓地に出向くと、寂れた墓地の一画の墓石にこう書かれていた。
キャロルアン 1941~1956
墓前にはたくさんの靴が置かれていて、女の子の声が聞こえた。「みんなの話を聞いて」。周囲を見ると、いくつもの青白い人影が輪になって浮かんでいて、人影のひとつが近寄ってきた。「あたしが一番よ」
マイクが「やめてくれ!」と悲鳴を上げると、「あたし、そんなに怖い? そんなつもりじゃないのに。ただあんまり長いあいだ、待ちつづけてたから……」
こうして、最初に「わたしが一番よ」と言った少女ーージーナ(1949~1964)が自分の最期を話す章が始まります。
最期を語る9人の少年少女
ひとつの章が文庫本で30ページ前後で、幽霊が話すままの文章ですから、とても平易に書かれています(だから「読み聞かせ」にピッタリと思ったのです)
自身の最期を語る少年少女は全部で9人。いちばん古いのは、父親に疎まれて森小屋に幽閉されたエドガー(1853~1870)。いちばん新しいのは、幽霊が出るスポットとして有名な精神病院で写真を撮ろうと単身乗り込むスコット(1995~2012)。
死に方もさまざまです。悪魔が宿った鏡で命を落とす少女もいれば、嘘つきのレッテルを貼られて本当のことを言っているのに誰にも顧みられないで命を落とす少女も出てきます。
Amazonのレビューをみると「わたしは誰と誰の話が好き」と書いている人もいますし、訳者の三辺律子さんもあとがきで、ふたりの名前を並べて「わたしのお気に入り」と書いています。
悪魔が宿った鏡を見た者は…
わたしがいちばん好きなのは、悪魔が宿った鏡の話です(エヴリン 1877~1893)
エヴリンは両親に連れられ、双子の姉ブランチと一緒にシカゴ万博に出かけます。ブランチは両親が溺愛する才色兼備。エヴリンは姉とつねに比較されて劣等感のかたまりです。
そんなエヴリンの前にひとりの男が現れ、ベルベットのかけ布に覆われて〈コンタリーニの姿見〉と札がかかる鏡の説明を始めた。
奇術師を名乗る男は、その姿見のことを「悪の鏡」と呼び、「見てはなりませぬ!」と警告した。野心家が覗けば、その野心の欲で鏡にのまれて、強欲な姫君が覗けば物欲の激しさで鏡にのまれた…と奇術師が説明し終えたところで、エヴリンを捜しに来たブランチが現れた。
「まったくもう、どうして呼んだときに返事をしなかったの? そこいらじゅう、探したのよ。正直、あなたって本当に、すぐすねる面倒な子よね。いらつくわ」
氷のようにかたくひんやりとした冷気が押しよせてきた。「あのベルベットのかけ布の下にはなにがあるの?」ブランチは、奥の壁を指さした。
胸の奥で、かすかな興奮がうずいた。
「さあ、想像もつかないわ」「こんなふうに覆いがかけられてるんじゃ、たいしたものじゃないわよね」わたしは行った。わたしをバカにできるチャンスを、ブランチが見のがすはずはないと、わかりすぎるほどわかっていたからだ。
「あなたって本当にだめね、エヴリン。なにもわかってないんだから」そう言って、ブランチは大げさにため息をついてみせた。「ふつう、めずらしくて繊細な芸術作品にこそ、覆いをするものなのよ。壊れたりよごれたりしないよう。ちょっと見てみましょ」
「ええ、そうしましょう!」声に笑い声が交じるのをふせぐことはできなかった。
気取ったようすで、ブランチは覆いに手を伸ばした。
引用はここまでにしておきましょう。姉への嫉妬が招く悲劇の結末はだいたい想像がつきますよね?
でも、エヴリンの章は、一抹の救いがあるところがミソです。エヴリンがマイクに語り終えた後、マイクの前にブランチが現れます。
「エヴリンったら、すごく上手だったわ。わたしじゃ、こんなにうまく話せないもの」ブランチは手を伸ばして、エヴリンのきらきら輝いている涙をぬぐい取った。
死後も姉妹が仲たがいでは悲しすぎますものね。エヴリンの涙をぬぐうブランチの姿に、読む者も心が救われる思いがするでしょう。
幽霊たちはなぜマイクを選んだのか
ひとつひとつの章が語り手が異なるという点では連作短編集の趣ですが、全体を通しての〈謎〉ーー幽霊の少年少女が語り終えた時、何が起こるのか。幽霊たちはなぜ、聞き役にマイクを選んだのかーーは最後の最後に明かされます。
「じゃあなまた会おうな、アホやろう」ジョニーが大きな声で言った。
「そんなにすぐじゃないけどね」ジーナがあわてて付け加える。
読後、心の奥がジーンと温かくなります。
原書をみると「5歳から8歳向き」と書いてあります。就学前の児童よりは、小学生に読み聞かせるとよさそう…というのが個人的な意見ですが、まずは大人の方でも手に取ってみてください。
そして、小学生のお子さんをお持ちの方なら、気に入った章をお子さんに読んで聞かせてみてはいかがでしょうか。
(しみずのぼる)
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