Xmasが近づくと読みたくなる…辻村深月「スロウハイツの神様」

Xmasが近づくと読みたくなる…辻村深月「スロウハイツの神様」

クリスマスが近づくと読み直したくなる小説があります。分厚い上下2冊の本なので、年によって漫画版で済ませることもありますが、それでもクリスマスはこの物語世界に浸っていたい…そんな小説の紹介です。辻村深月氏「スロウハイツの神様」です(2024.12.17) 

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辻村本は読む順番がある

辻村深月さんの小説には読む順番があるーーと言われます。わたしもそう思いますし、以前に記事にもしました。 

辻村深月 最初に読むといい「樹氷の街」
きょうは辻村深月さんの短編「樹氷の街」を紹介します。辻村さんの小説を読んでみたい!と思った方は、「辻村本は読む順番がある」と聞いたことがありませんか? そう、確…
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なぜ「読む順番がある」と言われるかと言えば、それは登場人物が別作品にかなり頻繁に顔を出すからです。  

上述の記事で触れた講談社文庫の帯で”推奨”する順番は、 

  1. 凍りのくじら  
  2. スロウハイツの神様(スピンオフで「V.T.R.」)  
  3. 冷たい校舎の時は止まる  
  4. 子どもたちは夜と遊ぶ  
  5. ぼくのメジャースプーン  
  6. 名前探しの放課後  
  7. ロードムービー  
  8. 光待つ場所へ  
  9. ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ  

というものでした。上述の記事で、わたしはこう書きました。 

「凍りのくじら」でつまづくとかわいそうだから、「スロウハイツの神様」から入ったら?という意見もあるでしょう。  

「スロウハイツの神様」は、伏線の貼り方があまりに優れているので、終盤は滂沱の涙が流れること必定で、わたしもいちばん最初に読むといい辻村作品だという意見に賛成です。  

ということで、辻村さんの小説で、わたしがいちばん最初に読むべき小説と思っているのが「スロウハイツの神様」(上下巻、講談社文庫)です。 

小説のせいで人が死んだ

1ページ目はかなり衝撃的な出だしです。 

「チヨダ・コーキの小説のせいで人が死んだ」 

中高生に絶大な人気を誇るチヨダ・コーキの小説に触発され、ひとりの大学生が廃墟に自殺志願者を集めて殺し合いのゲームを実行した。大学生自身は自殺したが、殺戮場面を収めたビデオと遺書が残されていた。遺書には「ゲーム画像は、全部、コウちゃんに」とあった。チヨダ・コーキのもとにマスコミが殺到し、マイクを向けた。「チヨダさん、責任を感じますか」 

この衝撃的な場面から、ページをめくると穏やかなアパート暮らしの日々が始まります。チヨダ・コーキの小説に触発された殺し合いの事件から、10年の歳月が立っています。 

舞台となるアパート「スロウハイツ」の主要な住人は、以下の6人です。 

  • 赤羽環(301号室) 人気急上昇中の脚本家。「スロウハイツ」のオーナー 
  • 千代田公輝(202号室) 中高生に絶大な人気を誇る小説家 
  • 狩野壮太(101号室) 投稿を繰り返す、漫画家の卵 
  • 長野正義(102号室) 映像製作会社で働く、監督の卵 
  • 森永すみれ(103号室) 画家の卵。正義の彼女 
  • 黒木智志(203号室) チヨダ・コーキを売り出した敏腕編集者 

登場人物たちは、まるで「トキワ荘」みたい……と口にします。 

手塚治虫、藤子不二雄、石ノ森章太郎、赤塚不二夫ら著名な漫画家が居住していたことで知られる「トキワ荘」ーー。オーナーの赤羽環が友人のクリエイターばかり住まわせ、このような顔ぶれとなったのですが、環の本当の目的は、自身が熱烈な愛読者であるチヨダ・コーキを思ってのことです。10年前の事件で親にも勘当されたチヨダ・コーキのために「家族」を作ってあげたかったから……。 

そんな登場人物たちのさまざまな思いが、ストーリーの随所にはさまれていきます。 

彼の本は面白いんだよ、母さん

例えば、事件が起きた時に高校二年生だった狩野の回想シーン。 

「なんかすごい事件が起きたらしいよ。福島県の山の中でさ、殺し合いだって」
「荘太。あんた、『チヨダ・コーキ』って小説知ってるかい」
「殺し合いの犯人の男の子はね、その小説を真似して事件を起こしちゃったんだって」
「この人、いくつ? そんな風に人殺しの話ばっかり書いているの? お前も読んだことあるの?」

狩野は廃墟となった病院での殺し合いと聞いて、すぐに一本の小説に思い当たった。「『透明なほのお』 近未来の架空都市を舞台にしたチヨダブランドの初期作品だ」 

叫びたかった。俺、この人の本を読んでる。二階に行けば本棚に並んでいるし、週一回、火曜六時からのアニメだって観てる。
問題集を十ページ進めたら、チヨダブランドの短編を何か一本だけ読んでいい。そんな風に決まりを作って、好きな音楽をヘッドフォンで聴きながら、それを読むのが好きなんだ。
チヨダというのは、コウちゃんっていうのは、そういう作家なんだ。彼の本は面白いんだよ、母さん。
けれど、それを口にして理解してもらえるとは思わなかった。

「私は生きています

あるいは、殺し合いの事件が起きてマスコミや世間からチヨダ・コーキが非難された時、新聞に掲載された匿名少女の手紙。タイトルは「私は生きています」 

私は、作家のチヨダ・コーキさんのファンです。手に入る本は、全て読んでいます。(略)だけど、生きています。事件を起こそうとも、人を殺そうとも考えませんでした 

私は自殺を考えたことがあります。それも何回もです。私は全部を投げ出したくなりました。死んでも、惜しいことは何もないって考えた後で、だけど、来月チヨダ先生の新しい本が読めるかもしれないんだなぁと思うと、簡単に自殺の決心が壊れました。 

その時に、死ななくてよかった。チヨダ先生の本を読んで、生きててよかった。 

派手な事件を起こして、死んでしまわなければ、声を届けてはもらえませんか。生きているだけでは、ニュースになりませんか。 

ストーリーはというと、チヨダ・コーキの作風を真似た覆面作家の小説が評判になる中、空いていた201号室にひとりの女性が入居してきます。チヨダ・コーキへの恋愛感情をあらわにし、10年前に「私は生きています」と書いた匿名少女を装ったりもして、環をはじめ住人たちにさざ波が拡がっていく……というものです。 

読んで泣きそうになった

でも「神々は細部に宿る」と言いますが、本筋とは関係ないところに、わたしはとても惹かれるのです。 

例えば、狩野が正義と深夜の居酒屋で親しくなる場面。 

歌うように、正義が言った。
「『この町が死ぬ時』」
狩野と同じ年だった正義も、高校一年の時にあの作品を読んだのだろうか。それはチヨダ・コーキの何作目かのヒット作の名前だった。自分が飲んでいたグラスの側面をじっと見つめる、正義の嘘臭いまでにきれいな横顔がやや俯いていた。
「俺、何もないような田舎の高校に通っててさ。タイトルに引かれて手に取って、中味読んで、あまりにその時の自分の気もちとマッチしてるから泣きそうになった。具体的にどこに出てくるわけじゃないんだけど、読んでると声が聞こえるんだよな。遠くへ行きたい、遠くへ行きたい」
(略)
チヨダブランドの話を、帰る道すがらもずっとしていた。
あの小説のあの場面がいい、密林のシーンで、それでも相手を殺さなかった主人公に痺れた、とか、死んだと思っていたあのキャラがピンチに助けに現れた時、あんなのベタだけど、ちくしょうって思いながら泣いてしまった、とか、チヨダ・コーキは、最先端だけどベタを守るところが偉い、とか。

翌朝起きるとチヨダ・コーキを無性に読みたくなって、狩野が本屋に駆け込むと、そこに正義がいた……。 

自分が好きな小説や漫画で盛り上がれる仲間と出会うこと、その時の「やっと出会えた」という、せつないまでの歓喜の気もち……。小説や漫画だけでなく、音楽でも、映画でも、きっと青春時代に似たような経験をお持ちの人は多いはずです。 

青春小説…ミステリー…恋愛小説

こうやって書けば「スロウハイツの神様」は間違いなく青春小説です。 

覆面作家は誰なのか。新しい入居者の目的は何か。10年前の事件で激しい非難が吹き荒れる中、チヨダ・コーキを擁護した本物の匿名少女は誰なのか。そして、あの10年前の事件から、どうやってチヨダ・コーキは復活を遂げたのか……という本筋部分をピックアップすれば、ミステリー小説でもあります。 

そして何よりも、チヨダ・コーキと赤羽環の、とてつもない純愛を描いた恋愛小説でもあります。

でも、無理にジャンル分けする必要はないのでしょう。ただひたすら辻村さんの紡ぐ物語世界に浸ればよいーー。そんな気がします。 

『ハイツ・オブ・オズ』のケーキ

あれ、クリスマスの話は……? 

そんな声が聞こえてきそうですね。これはとても大事な伏線部分なので、最小限の引用にとどめましょう。まだ高校生だった環が、妹の桃花と一緒にクリスマスイヴを過ごす場面です。 

「お姉ちゃん、お姉ちゃん」
「桃花、どうーー」
どうしたの。
そう言いかけた環の喉の途中で、声が止まった。彼女が両手にしっかりと、何かの箱を抱えている。それが見えたからだった。
『heights of OZ』
紫色の地に、エメラルド色の文字。『ハイツ・オブ・オズ』。目を見開く環のところまで、桃花は両腕を伸ばし、箱を前に突き出して走ってくる。一生懸命に、急いで。

『ハイツ・オブ・オズ』のチョコレートケーキは、チヨダ・コーキが小説の中で何度も言及している高級ケーキだった。桃花はコンビニの前でサンタ姿の店員からもらったという。 

夢中で、ケーキを食べた。
本当においしいクリームというのは、どれだけ食べても厭きないのかもしれないと思った。しっかりとしたスポンジ生地は、環がそれまで食べてきたどのお菓子のものとも違っていて、柔らかくて、まるでまるきり違う食べ物のようだった。ただただ、びっくりしてしまう。このケーキが大好物だという、チヨダブランドのあのキャラクター。そして作者のチヨダ・コーキ。
(略)
おいしいね、と呟き、変に思われても構わないからと、二人して一心不乱にフォークでそれを口に運んでいく。甘ったるいクリームを飲み込みながら、ふいに決定的な瞬間がやってきた。ぼろぼろと涙をこぼし、環は泣き出した。

ここで引用はとめましょう。「ハイツ・オブ・オズ」のチョコレートケーキは上巻から何度か出てきますが、終盤に回収されるとても大事な伏線です。これ以上の紹介は辻村ファンから絶対に怒られます。 

クリスマスは苺のショートケーキが定番でしょうけど、「スロウハイツの神様」を読んだ後は、無性にチョコレートケーキが食べたくなります。 

桂明日香のコミカライズ版

「スロウハイツの神様」は漫画化されています。作画を担当したのは桂明日香さんで、とても丁寧に「スロウハイツーー」の物語世界を再現しています。 

1巻の表紙はチヨダ・コーキと赤羽環で、コーキが手にしているのが「ハイツ・オブ・オズ」のチョコレートケーキです。3巻の表紙は高校生の環と妹の桃花がチョコレートケーキを食べている場面です。 

漫画版「スロウハイツの神様」1巻
漫画版「スロウハイツの神様」3巻

コミックは全4巻。最初に読むのは絶対に原作の小説をお勧めしますが、クリスマスのたびに上下二冊の小説を再読するのは大変ですから、そんな時は漫画版を手に取ってもよいでしょう。 

あ~、チョコレートケーキが食べたくなってきた!

(しみずのぼる) 

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