きょう紹介するのは岩井俊二氏の「Love Letter」です。岩井氏が監督を務め、先日亡くなられた中山美穂さんが一人二役を演じた映画は、韓国はじめ各国でも熱い支持を集め、中山さんの訃報とともに「Love Letter」に再び注目が集まっています(2024.12.13)
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1995年公開の映画と小説
わたしも岩井監督の映画では「Love Letter」がいちばん好きです。何度観ても泣かされます。
日本版DVDのライナーノーツからあらすじを紹介します。
神戸に住む渡辺博子(中山美穂)が、山の遭難事故でフィアンセの藤井樹(いつき)を無くしてから2年が経った。三回忌の帰り道、樹の家を訪れた博子は、樹の中学時代の卒業アルバムから彼がかつて住んでいた小樽の住所を見つけ出した。
博子は忘れられない彼への思いをいやすために、彼が昔住んでいた小樽=天国へ一通の手紙を出した…。
ところが、あろうはずのない返事が返ってきた。やがて、博子はフィアンセと同姓同名で中学時代の同級生、ただし女性の藤井樹が、小樽にいることを知る。
博子の恋、樹の恋、一通のラヴレターが埋もれていた二つの恋を浮き彫りにしていく。
このあらすじで内容は十分伝わると思いますが、「Love Letter」は1995年3月の初上映に合わせて小説版ーー「ラヴレター」(角川文庫)ーーが出版されています。
この世にいない彼に宛てた手紙
ひょんなことから始まった博子と樹の文通を中心に、小説版から紹介しましょう。
雪山で遭難死した藤井樹の三回忌の後、フィアンセだった渡辺博子は、樹の母とともに樹の部屋に入った。
「ねえ、これこれ!」
安代が書棚から見つけた一冊を博子に手渡した。
「あ、卒業アルバム」
それは樹の中学時代の卒業アルバムだった。
……小樽市立色内中学校。
「小樽だったんですか?」
ふたりでアルバムを見ていると、樹の母が「初恋の相手なんかいたりして」と冷やかした。
「あら、この子、博子さんに似てない?」
「え?」
「ひょっとして初恋の相手?」
「この子ですか?」
「初恋の人の面影を追いかけるっていうでしょ? 男の人って」
「そうなんですか?」
「そうよ」
博子はアルバムの住所録をみて、すでに国道が通ってなくなってしまった小樽の藤井樹の家に宛てて手紙を出そうと思い立った。
もし安代の言うとおり国道の下敷きになっているのだとしたら決して届かないはずである。何処にも届くはずのない手紙。何処にも届かないから意味があった。この世にはいない彼に宛てた手紙なのだから。
拝啓、藤井樹様。
お元気ですか? 私は元気です。
渡辺博子手紙の文面はこれだけだった。さんざん考えて何枚も便箋をまるめた末に手紙がこれだけというのは我ながらおかしかった。その短さが潔くて博子は気に入った。
(きっと彼も気に入ってくれるだろう)
届くはずのない手紙に返事
その届くはずのない手紙が届いた。アルバムから書き写した藤井樹の住所は、同姓同名の女子の藤井樹の住所だった。女子の樹は市立図書館に勤める大人の女性になっていた。
「……なんだこりゃ?」
それは意味不明を通り越してもうほとんど無意味という領域に達しているかと思われた。(略)
「渡辺博子、渡辺博子、渡辺渡辺博子渡辺渡辺博子渡辺渡辺博子渡辺渡辺……」
呪文のようにその名前を何度も何度も反芻してみたが、脳裡に蘇る味も匂いも記憶も何もなかった。
風邪で38度台の熱を出していた樹は、ほんの悪戯のつもりで返信を書いた。
拝啓、渡辺博子様。
私も元気です。
でもちょっと風邪気味です。
藤井 樹
博子は驚いた。届くはずのない手紙なのに、返信が来たからだ。
誰かの悪戯にせよ、これがあの手紙の返事であることには違いがなかった。そのこと自体が博子には奇蹟のように思えた。どういう偶然かはわからないが、そんな偶然にも博子は彼の息吹を感じた。
(やっぱりこれは彼の手紙なんだ)
博子が風邪薬を同封して「風邪の具合はどうですか? 無理しないで早く治してください」と返事を書くと、またも返事が届いた。
拝啓、渡辺博子様。
風邪薬ありがとう。
ところで大変失礼ですが、あなたはどちらの渡辺さんですか?
いくら考えても憶えがないんです。
どうか教えてください。
藤井 樹
博子はここでようやく(どうやら小樽に実際に藤井樹という名前の人物がいるらしい)と気づき、亡くなったフィアンセの親友で現在は博子の恋人である秋葉とともに小樽に出向き、文通の相手である藤井樹が自分にそっくりな女性であることを知ります。
表情だけで演じる中山美穂
博子が樹を見かける場面は、博子と樹の一人二役ーー中山美穂さんが表情だけで演じる有名なシーンです。小説版から引用します。
ふと交差点の角のポストが目に入った。この数週間の文通の影響でそんなものに目が留まったのかもしれない。通勤途中の女の子が自転車を止めて手紙をポストに投函していた。
ひょっとしたら同姓同名の藤井樹もあそこのポストにああやって手紙を入れたのかな、そんなことを思いながら何気なく女の子の顔を見た博子は、息を飲んだ。
似ているという言葉では済まされない。その子はまるで博子そのものと言っていいぐらいよく似ていた。
博子は思わず「藤井さん」と声をかけた。
その子は反応して自転車を停めた。そしてあたりをきょろきょろ見回した。もう間違いなかった。博子は彼女が藤井樹であることを確信した。
中学生にやきもち焼いてるの?
博子は神戸に戻ってすぐ、亡きフィアンセの家を訪ね、卒業アルバムを見直した。博子は女子の藤井樹の写真を探し当て、フィアンセの母の安代に訊ねた。
「似てますか? この写真」
「え?」
「あたしに」
「博子さんに?」
(略)
「そう言ってましたよ、こないだ」
「そう?」
「……初恋の人だって」
「この子を?」
「かも知れないって」
安代は博子に訊ねた。「似てると、どうなるの?」
「似てたら……許せないですよ」
博子は涙を懸命に飲み込んだ。
「それがあたしを選んだ理由だったりしたら、お義母さん、あたしどうしましょう」「あたしにひと目惚れだったんですよ、あの人」
「そうね。そう言ってたわね」
「でもひと目惚れにはひと目惚れで、ちゃんとわけがあるんですね」
「……………」
「騙されました。あたし」
「博子ちゃん」
「はい」
「中学生の子にやきもち焼いてるの?」
「……そうですよ。へんですか?」
「へんよ」
「へんですね」「でもあの子も幸せだわ。博子さんにやきもちまで焼かれて」
「そんなことを言うとまた泣いちゃいますよ」
ふたりの会話は映画版とそっくりセリフが一緒です。安代役の加賀まりこさんと中山美穂さんの名シーンです。
「好き」を使わず初恋を描く
ものがたりはここまでが前半です。博子の勘違いから始まった文通は、大人の樹が中学時代の同姓同名の同級生との思い出を、博子にせがまれて手紙に書いて送る形となり、中学時代のふたりの藤井樹の日々が描かれるのが後半です。
同級生たちに「藤井樹♡藤井樹」とからかわれ、ふたりそろって図書委員にされたこと。英語の答案用紙が間違って返却され、自転車置き場で放課後遅くまで男子の藤井樹が現れるまで待ちぼうけをくらったこと。男子の樹は図書委員の仕事をさぼって、誰も読まないような本の貸し出しカードの最初の欄に「藤井樹」と書くことをせっせと繰り返していたこと……。
そんな中学時代のふたりの樹を、柏原崇さんと酒井美紀さんが見事に演じています。
「好き」という言葉は、ただの一言も出てきません。でも、不器用で無口な男子の樹が女子の樹に寄せるひそかな想いはとてもよく伝わってきます。
そして、大人の樹もまた、博子にせがまれて書く手紙を通じて、記憶の奥にしまわれていた初恋の記憶を思い起こしていくのです。
「好き」という言葉を使わずに、ここまで見事に初恋を描いた作品はないのではないでしょうか。
図書カードに秘めた想い
博子が樹に送った最後の手紙は、次のような文面です(映画版から引用=小説版は文面が違います)
拝啓、藤井樹様。
この手紙に書かれた思い出はあなたのものです。だからあなたが持っているべきです。
今まで本当にどうもありがとう。本当に感謝しています。追伸、
あの図書カードの名前、本当に彼の名前なのでしょうか。
彼が書いていたのが、あなたの名前のような気がして仕方がないのです。
映画「Love Letter」は、中山美穂さんがフィアンセの眠る雪山に向かって「お元気ですか? 私は元気です」と何度も叫ぶシーンがいちばん有名でしょう。
でも、こうやって博子と樹の往復書簡を読み直すと、「あのシーンもよかったなあ」「あのシーンも泣けたなあ」と思い浮かぶ場面がいくつもあります。
間違いなく名作です。
突然過ぎる中山美穂さんの訃報
「Love Letter」で博子と樹の一人二役を演じた中山美穂さんの訃報が飛び込んできたのは、12月6日のことでした。
浴槽内の不慮の事故。享年54。突然の訃報を伝えるテレビニュースでは、アイドル歌手だった時の映像も繰り返し流れましたが、「Love Letter」に触れるニュースも目立ちました。
「Love Letter」の名演とともに、中山美穂さんはわたしたちの記憶に永遠に刻まれることでしょう。 合掌。
(しみずのぼる)
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