きょう紹介するのは谷津矢車氏の新刊「憧れ写楽」(文芸春秋)です。突然現れ、わずか10か月で姿を消した謎の浮世絵師、東洲斎写楽は何者かーー。当時の版元が関係者を訪ねて様々な事実を拾い集めるストーリーで、伏線が史実という極上のミステリー小説です(2024.11.28)
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蔦屋重三郎と東洲斎写楽
谷津矢車氏の著書は、来年のNHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」の主人公ーー江戸中期に活躍した版元・蔦屋重三郎と彼を取り巻く文化人を取り上げた「蔦屋」(文春文庫)を読んだばかりで、記事にもしました。
蔦屋重三郎 江戸時代の版元(出版人)。朋誠堂喜三二、山東京伝らの洒落本、恋川春町らの黄表紙、喜多川歌麿や東洲斎写楽の浮世絵などの出版で知られる(ウィキペディアより)
その後、同じ蔦重つながりで矢野隆氏の「とんちき 蔦重青春譜」(新潮文庫)を読み、こちらは蔦重が発掘した写楽を中心に記事にしました。
東洲斎写楽 江戸時代後期の浮世絵師。約10か月の短い期間に役者絵その他の作品を版行したのち、忽然と姿を消した謎の絵師として知られる。その出自や経歴については様々な研究がなされ、阿波徳島藩主蜂須賀家お抱えの能役者斎藤十郎兵衛とする説が有力(ウィキペディアより)
「とんちき」は「写楽=斎藤十郎兵衛」説に依拠して書かれていますが、「とんちき」読後、約40年ぶりに再読した高橋克彦氏の「写楽殺人事件」(講談社文庫)は「写楽別人」説の立場でストーリーが展開します。
どれだけの数の別人説があるか、主人公がリストを作って説明するくだりがあります。リストは以下のとおりです。
- 円山応挙
- 葛飾北斎
- 谷文晃
- 飯塚桃葉社中
- 鳥居清政
- 歌川豊国
- 写楽工房説
- 酒井抱一
- 栄松斎長喜
- 蔦屋重三郎
- 根岸優婆塞
- 谷素外
- 山東京伝
こんなにもたくさんの別人説があるのか…と思いますよね。
それだけ謎に満ちた絵師であり、だからこそ、「写楽は誰か」というテーマは、ミステリーの題材になり得るのでしょう(ちなみに「写楽殺人事件」は上記リスト以外の別人説に依拠してストーリーが展開します)
写楽はふたりいたーー
では、谷津矢車氏の「憧れ写楽」はどうか。
「憧れ写楽」は、大半は斎藤十郎兵衛が描いたものの、写楽の最高傑作として伝わる「三代目大谷鬼次の奴江戸兵衛」はじめとする6枚の絵は、別人が描いたものーー というストーリーなのです。
多くの傑作を残し、約10ヵ月で姿を消した「東洲斎写楽」。
この謎多き絵師にふたたび筆をとらせたい老舗版元の主・鶴屋喜右衛門は、「写楽の正体」だと噂される猿楽師、斎藤十郎兵衛のもとを訪れる。
だが、斎藤の口から語られたのは、「東洲斎写楽の名で出た絵のうち、幾枚かは某の絵ではない」「(自分は)本物の写楽には及ばない」という驚愕の事実。さらに斎藤が「描いていない」絵のなかには、写楽の代表作とされる「三代目大谷鬼次の江戸兵衛」も含まれていた。
写楽はふたりいた――。そう知った喜右衛門は、喜多川歌麿とともにもう一人の写楽探しに乗り出す。しかし、写楽を売り出した張本人である蔦屋重三郎が妨害しはじめ……。果たして、本物の写楽の正体とは。そして、蔦屋重三郎と写楽との関係とは。
写楽の謎解きに挑む主人公、老舗版元「仙鶴堂」の鶴屋喜右衛門は実在の人物です。
喜右衛門は御三卿田安家の家臣で狂歌師としても知られる唐衣橘洲から「三代目大谷鬼次の奴江戸兵衛」の肉筆画を欲しいと依頼され、写楽として知られる斎藤十郎兵衛に肉筆画の作成を依頼した。しかし、いっこうに完成せず、十郎兵衛はついに「某(それがし)には描けぬ」と言い出した。
「謝らねばならぬことがある。蔦屋に口止めされていたのだがーー『三代目大谷鬼次の江戸兵衛』は某の描いたものではない」
「またまたご冗談を」
「冗談ではない。嘘でもない。東洲斎写楽の名で出た絵のうち、幾枚かは、某の絵ではない。そもそも、東洲斎写楽の名も、用意されたものなのだ」
「そんな馬鹿なことが」
「本当なのだ。これまで幾度となく『江戸兵衛』を写した。だが、描けなかった」
喜右衛門は十郎兵衛から聞いた話を喜多川歌麿にしたところ、歌麿は「本物の写楽探し、俺も付き合うぜ」と言い出し、最初のとっかかりとして戯作師・大田南畝のところへ二人で出向いた(大田南畝は谷津矢車氏の「蔦屋」にも登場します)
大田南畝 天明期を代表する文人・狂歌師であり、御家人。特に狂歌で知られ、唐衣橘洲・朱楽菅江と共に狂歌三大家と言われる(ウィキペディアより)
南畝は喜右衛門から事情を聞くと身を乗り出した。
「本物の写楽か。めっぽう面白い話だねえ。こういうのを待ってたんだよ。こういうのを」
「んじゃ、まず聞くぜ。斎藤十郎兵衛が、てめえで描いていないって言った絵はどれだ」
「こういうときには、分かっていることと分かっていねえことを切り分けるといいぜ。頭の中でごちゃごちゃにしていても獏とするばかりだ。紙に書き出せ」
南畝は、十郎兵衛が自分で描いた絵ではないと打ち明けた6枚の絵が、すべて寛政六年五月興行のもので、しかも河原崎座で催された『恋女房染分手綱』の絵であることをつきとめた。
芝居『恋女房染分手綱』は御家騒動ものの演目である。
伊達与作は丹羽領主、由留木家の御物頭の重責にあった。しかし、ある日、藩命を受けて運んでいた用金三百両を何者かに強奪されてしまう。さらに同時期、由留木家の腰元、重の井と密通していた事実が発覚、立場を失った与作は用金強奪の責任を取る形で藩を去ることになる。その後与作は馬子となり、重の井との間に生まれた実子、与之助(のち三吉)と共に雌伏の時を過ごす。しかし、用金強奪が鷲塚官太夫、八平次兄弟の仕業と判明し、二人を討ち取って面目を施し帰参、重の井と再会を果たす。
6枚の絵に描かれた役者
次に喜右衛門と歌麿が南畝の紹介状を手に向かったのは市川鰕蔵宅。「歌舞伎の大名跡にして総本家、市川團十郎の五代目を長らく務めた、歌舞伎界の最長老の一人」であり、十郎兵衛が自分が描いたものではないと打ち明けた6枚のひとつが『市川鰕蔵の竹村定之進』だった。
「残念だけど、何も知らないね」
「逢っていないんですか」
「ああ。一度も顔を合わせてないんだよ」
喜右衛門と歌麿が次に会ったのは、二代目中村仲蔵。名前を改める前は三代目大谷鬼次だった。『三代目大谷鬼次の江戸兵衛』も6枚のひとつだ。
「大したことじゃねえんだが、推挙される前、座元に蔦屋を紹介されたときのことだ。蔦屋、変なことを言ってたっけ。俺の顔を見て、江戸兵衛に近い顔立ちだ、ってよ」
「江戸兵衛にぴったりだ、なら分かるんだよ。役に合う顔立ちってのはあるからよぉ。だが、江戸兵衛に近い、ってのはどういうこったろうな」
こうして、喜右衛門と歌麿は6枚の絵の役者たちと会っていきます。
『市川男女蔵の奴一平』ーー市川男女蔵「本番では鬼次さん演じる江戸兵衛が上手に、あたし演じる一平が下手に立って演じたんですよ。でも、この絵ではあべこべです」
『二代目市川門之助の伊達与作』ーー二代目市川門之助は、市川男女蔵の亡き父だった。
「この絵について、お父様に似ていますでしょうか」
「似ていますよ。でも」
「でも、なんでしょう」
「親父にしては……若すぎる気がするんですよ」
『谷村虎蔵の鷲塚八平次』ーー谷村虎蔵「まず気になるんは、裃(かみしも)やな。ほら、この絵、裃の左肩が取れてはるやろ」「左肩を脱ぐいうんは弓を射るんでもない限りあんまりしない所作やし、そもそもわて、板の上で肩脱ぎしておらんで」
『四代目岩井半四郎の重の井』ーー岩井半四郎「そうさなあ。あたしはいいと思うよ。概ねそのまんまに描いてくれたよ」
写楽探しを妨害する蔦屋重三郎
役者らの証言を集めて喜右衛門が「本物の写楽」に迫るにつれて、それを妨害する者が現れる。蔦屋重三郎だった。
「本物の写楽は絶対に見つかりません。手の届かないものを探して、波風を起こさないでいただきたいのです。事と次第によっては、あなたにも火の粉がふりかかりますよ」
「深くこの件に分け入ると藪蛇になりかねません。ーー御公儀が動く虞(おそれ)があります」「今だったら引き返せますが、ある一線を越えたら、戻るに戻れなくなります」
そしてついに喜右衛門の店に犬の首が投げ込まれる事件が起きたーー。
喜右衛門、歌麿、十郎兵衛の屈託
「憧れ写楽」は、たんなる「本物の写楽」の謎解きではありません。同時に、写楽を通じて喜右衛門や喜多川歌麿、斎藤十郎兵衛それぞれの屈託がタペストリーのように織り込まれています。
版元として好きな地本を出すことがかなわない喜右衛門の屈託ーー。
「あの乱痴気な時代を目の当たりにしながら、あたしは版元として関われなかった。あの時代の再来を夢見るのは、そんなに悪いことですか」
歌麿は、蔦屋重三郎が松平定信の奢侈倹約令への反発から出版した戯作がきっかけで自死した恋川春町の弟弟子だった。この事件がきっかけで距離ができた蔦屋重三郎への屈託ーー。
「俺が写楽に拘るのは、重三郎が写楽を潰したいきさつを知りたくなったからだよ。また、兄弟子と同じことをやってるのかって思ってよ」
恋川春町 江戸時代中期の戯作者、浮世絵師である。安永4年『金々先生栄花夢』で黄表紙といわれるジャンルを開拓し、黄表紙の祖と評される(ウィキペディアより)
蔦屋重三郎から『三代目大谷鬼次の江戸兵衛』を見せられ、同じような絵を描いてくれないかと頼まれた斎藤十郎兵衛の屈託ーー。
「あの頃の某は、本物の写楽に憧れて、一心不乱に筆を走らせた」
「だが、いつの間にか、思うような絵にならなくなったのだ。いくら描いても筆が歪む。どれだけ描いても線が滲む。何百枚も描いても、役者の表情が死ぬ。そうして、いつの間にか元々描いていたはずの絵すら描けなくなった」
「憧れ写楽」のタイトルにある「憧(あくが)れ」は、文中で戯作者の山東京伝が西行法師の短歌を詠んで2つの意味があることを明かしています。
古語の”憧(あくが)る”には、”心惹かれる”と”ふらふら彷徨(さまよ)う”意がある
山東京伝 江戸時代後期の浮世絵師、戯作者。作画期は安永7年ころから文化12年前後(1778年-1815年)であった。寛政の改革における出版統制により手鎖の処罰を受けた(ウィキペディアより)
登場人物たちがそれぞれの屈託を抱えて写楽に心惹かれ彷徨うものがたりをぜひ堪能してください。
史実で伏線を張る難しさ
本物の写楽は何者なのか。なぜ、蔦屋重三郎は写楽の真相が明るみに出ることを阻もうとするのかーー。
この究極の謎の種明かしは、「憧れ写楽」を読んで確かめていただくしかないのですが、本書がすごいのは史実を踏まえたミステリーであることです。
どんなミステリー小説でも、例えば殺人事件なら犯人像や動機、犯行の手口に関係するヒントが途中途中でちりばめられ、最後にすべての伏線が回収されます。その伏線の回収の手際のよさが際立つほど、「これはすごい!」「いいミステリーに出逢えた!」と読者は満足するものです。
でも、「憧れ写楽」が扱うのは歴史的事実であり、実在の人物ばかりです。伏線そのものが史実を踏まえたものなのですから、想像を膨らませてミステリーを仕立て上げるのとはわけが違います。
これはとてつもないミステリーだな……と思いますが、そのような技巧の巧拙より何よりも、すべての真相が明らかになった時の感動といったらもうーー。わたしは、不覚にも落涙してしまいました。
なぜ落涙…答えは「蔦屋」に
これまでにもいろいろな小説の紹介をしてきましたが、これはぜひ手に取って読んでほしい……。心から極上のミステリー小説に出逢えたと思っています。
ただし、谷津矢車氏「蔦屋」を読んだうえで読まれることをお勧めします。
当時の時代背景や人間関係について事前に必要な情報を押さえてから読まれれば、わたしがなぜ極上のミステリーと言い、なぜ落涙したのか、わかっていただけると思います。
6枚の絵を見ながら読む
最後に、蛇足も蛇足ですが、本書の”肝”となるのは写楽の6枚の絵です(著者が周到に張り巡らした伏線でもあります)
わたしは「憧れ写楽」をスマホ(kindle)で読み、同時に写楽の画集ーー東洲斎写楽: 役者絵85図+プチ解説 (日本の名画シリーズ)ーーから6枚の絵をタブレットで写しながら読みました。
蔦屋重三郎と喜多川歌麿は(老境になってからの肖像画は残っているものの)壮年期の顔は想像するしかありませんし、主人公の鶴屋喜右衛門や斎藤十郎兵衛に至っては肖像画もありません。
そう思うと、写楽の絵で当時の歌舞伎役者の顔がわかるーーというのは、とてもとてもすごいことだと思います。
本の読み方としては小説に没頭するのが正道でしょうが、本書に限っては、わたしのように写楽の6枚の絵を参照しつつ読まれると、より豊饒な気持ちになれると思います。
(しみずのぼる)
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