きょう紹介するのは、よしながふみさんの漫画「大奥」です。そんな有名な漫画をなぜ今さら…と言われるでしょうが、来年のNHK大河ドラマ「べらぼう~~蔦重栄華乃夢噺~」の主人公・蔦屋重三郎の関連本を読み、そこに田沼意次の名前が出てきたため、我慢できなくなって「大奥」全19巻を再読してしまいました(2023.11.25)
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元の濁りの田沼恋しき
最初に、江戸時代中期に活躍した蔦屋重三郎らが登場する谷津矢車氏「蔦屋」(文春文庫)の記事から、 時の老中が田沼意次から松平定信に代わって、定信が打ち出す奢侈禁止令に蔦屋重三郎らが反骨精神で対抗する場面を再掲しましょう。
いつもの吉原の小部屋に招かれたのは、山東京伝、朋誠堂喜三二、酒上不埒の3人。重三郎が3人の前に取り出した半紙には、ひとつの狂歌が書かれていた。
「白河の 清きに魚も すみかねて 元の濁りの 田沼恋しき」
「沼に住む泥鰌や鯰を詠った歌のように見せかけて、今の世相を揶揄した内容なわけか」
白河が松平定信の領地であると踏まえれば、田沼意次の放漫な政治に慣らされた江戸の人々が定信公の仕法に苦しめられている、そんな皮肉になる。(略)
来年のNHK大河ドラマ「べらぼう」が楽しみ…谷津矢車「蔦屋」「そこで、思いっきり定信公の政を馬鹿にしてやればいいんじゃないかと思ったんです」
「そんなこと、正面切ってやれば大変なことになるぞ」
「真っ向からやらなければいいんです。それがための草双紙です。定信公の政を真っ正直にあげつらえばお上からのお叱りは必定です。が、草双紙はあくまで物語ですから、躱す方法はいくらでもあります。たとえば時代を過去に移すんです。そうすれば、定信公のことを書いたわけじゃないと言い訳ができる。もし文句を言ってきたら『図星でもおありですか』と皮肉で返せます」
教科書の浅薄な知識が一変
江戸中期、中でも田沼時代は、自分が高校生で日本史の授業を受けていた頃は、賄賂が横行したとか、民衆の不満から一揆・打ち壊しが激化したと教わりました(当時はまだマルクス主義歴史学が全盛でした)
そんな江戸時代に対する浅薄な知識が大きく揺さぶられたのが、よしながふみさんの「大奥」(全19巻、白泉社刊)を読んでからでした。
男子のみを襲う謎の疫病が国中に流行り、男子の数が激減。男女の立場が逆転した世界に生まれた貧乏旗本の水野は、大奥へ奉公することを決意する。女性の将軍に仕える美男三千人が集められた女人禁制の場所・大奥で巻き起こる事件とは…!?
男子のみを襲う疫病ーー赤面疱瘡(あかづらほうそう)の大流行によって3代将軍・家光が亡くなり、このままでは太平の時代が終焉するという春日局の危機感のもと、将軍が女性となり、女性で構成された大奥は逆に男性が集められる…という「これはコメディか?!」と錯覚するような設定ですが、そんなことはまったくなく、描かれているのは史実を丁寧に踏まえた人間ドラマです。
「大奥」ですっかり田沼ファンに
その「大奥」を読み直したいーーと思ったのは、3代将軍・家光から最後の15代将軍・慶喜まで全19巻にもなる「大奥」の中でも、ひときわ魂を揺さぶられるのが第8巻から第10巻で描かれる田沼時代だからです。
えええ、賄賂政治の人でしょ?!
と思う人も(「大奥」未読なら)少なくないでしょうが、谷津矢車氏の「蔦屋」を読んで、松平定信の奢侈倹約令から凄烈な言論弾圧に至る過程を知ると、「大奥」ですっかり田沼意次ファンとなったわたしとしては「大奥」再読は必然だった…というわけです。
重商政策への転換を推進
田沼意次(♀)が仕えるのは9代将軍・家重(♀)と10代将軍・家治(♀)です。
病気がちで言語不明瞭だった家重の母で徳川時代の中興の祖、8代将軍・吉宗(♀)から、家重の側用人だった田沼意次が百姓一揆や打ち壊しの対策について「そなたが将軍であったならいかがいたす」と聞かれる場面が出てきます。
恐れながら私なら百姓から年貢を取り立てる前に商人達から租税を取り立てまする
この世で一番豊かな暮らしをしているのは大名でも将軍でもなく商人らでございます
商人らはその莫大な富をもって吉原を借り切り気に入った役者や浮世絵師の後盾になり酒や美食を愉しみ…この世の粋を極めている通人は専ら商人らでござります
そして大名ですら金を借りている商人達に頭が上がらぬ始末…大御所様 この世は決して侍がお上から頂く米俵で廻っておりませぬ
この世は全て金で廻っているのでござりまする
その日の食べる物にも困っている百姓からこれ以上年貢を取り立ててもたかが知れておりましょう
それなら商人らから金をごっそり取り立ててお上の金蔵に直接銭を放り込む方が得策かと思いまする
田沼意次が推進した重商政策について、「別冊歴史人 完全保存版徳川15代将軍最強ランキング」(KKベストセラーズ、2017年10月刊)は次のように書いています。
江戸時代といえば、それまでは米を中心とする農本主義的な政策がとられてきたが、困窮した農民たちの一揆が頻発し、その始末に手を焼いていた。意次はそうした幕府財政を異なった手法で建て直そうと、重商主義的政策への転換を進めたのである。結果、貨幣経済や商品経済が発展し、多くの商人が潤った。
将軍が女で仕える大奥が男だからコメディ…というわけではまったくないことが、田沼意次の吉宗への言葉からもわかっていただけるでしょう。
わたしの個人的な高校生へのアドバイスですが、受験勉強で味気ない日本史の参考書を最初に読むよりも、「大奥」を読んでから参考書を読み直したほうが、人名や歴史的事実の説明がすっと頭に入ってくるように思います。
蘭学や庶民文化が隆盛
「別冊歴史人」から続けます。
また、思想・学問の勃興も田沼時代の特徴である。平賀源内ら開明派が台頭し、蘭学を手厚く保護した。江戸では大槻玄沢の蘭学塾が開かれ、杉田玄白らはオランダ語医学書を翻訳し、『解体新書』を刊行するなど、市井では学問や思想が勃興し、庶民文化が隆盛した。
平賀源内 江戸時代中頃の人物。本草学者、地質学者、蘭学者、医者、殖産事業家、戯作者、浄瑠璃作者、俳人、蘭画家、発明家(ウィキペディアより)
「大奥」で平賀源内(♀)が登場するのは第8巻です。
吉宗から赤面疱瘡への対策を「今生で最後の頼み」と託された田沼意次は、平賀源内を通じて長崎・出島で蘭学と医学に精通する人物を大奥に招聘する。
青沼や源内らのワクチン開発
源内が出島で見いだしたのが、オランダ人が遊女に産ませた吾作(♂)ーー青い目をした大男のオランダ通詞(通訳)だった。
俺達オランダ通詞はさ!吉宗公が禁ば解くまで辞書も無か
オランダ人が話す言葉を書き留むる事も許されん中で
文字通り命ば縮めながら己の耳だけば頼りんして
オランダ語ば話し医学を学んどっとると!!
そんな憤懣を源内にぶつける吾作は、江戸に出て田沼意次の屋敷に通された。
のう吾作 通詞達は皆存じておりましょうが
赤面疱瘡という業病ゆえに極端に男が少ないのはおそらくこの世で我が国だけです
赤面疱瘡が我が国だけの風土病という事なのか
それとも他の国々には赤面疱瘡に対する治療法が既に確立されているという事なのか…
それがどちらかなのかすら我が国では分かっておらぬ有様なのです吾作 どうかそなたに江戸城大奥の中で優秀な男達を選りすぐり
その者達と共に赤面疱瘡の流行を少しでも抑える術を研究してほしいのです
こうして「青沼」と名付けられた吾作は、大奥内で町医者の息子・黒木(♂)や伊兵衛(♂)、僖助(♂)らの理解と協力を得て、そして大奥の外で行動する平賀源内とも連携しながら、赤面疱瘡に対するワクチンの開発に取り組む話が第9巻と第10巻となります。
権力闘争の末に田沼失脚
青沼や源内が様々な困難を乗り越えてワクチン開発に取り組む場面は、「大奥」全19巻の中でもひときわ心躍るところですが、第9巻と第10巻は同時に、暗躍する権力争いの果てに田沼時代が終焉に向かっていく過程が描かれる巻でもあります。
特に権力争いの中心となるのは一橋治済(はるさだ)(♀)ーー吉宗の孫で11代将軍・家斉(♂)の母ーーで、毒薬を駆使した暗躍ぶりといったらもう……。
ここは江戸文化歴史検定1級の資格を持つタレント堀口茉純さんの「TOKUGAWA15 徳川将軍15人の歴史がDEEPにわかる本」(草思社)から11代将軍・家斉のくだりを紹介しましょう。
御三卿・一橋家2代目当主治済の嫡男として生まれた豊千代。父・治済はあらゆる人脈を駆使し、豊千代を将軍世子につけるべく暗躍した。まず取りかかったのがライバルとなる田安家の追い落としである。
(略)
11代将軍第1候補は、現将軍・家治の嫡男家基である。しかし、家基が突然死したときなど不慮の事故を考えて、第2候補を選出する必要があった。このとき名前が挙がったのが田安定信。家督を継いでいた兄・治察は病弱で子がなかったため、健康で聡明な弟の定信がいずれは田安家を相続することがほぼ確実であり、第2候補としては申し分がなかった。年齢的にも16歳の定信が2歳の豊千代より断然優位だったのである。ところが……、ある日突然、定信は将軍・家治の命で白川藩松平家の養子に出されてしまうのである。父・治済が暗躍し、田沼意次や大奥の人脈を駆使して家治を動かしたのであった。田安家としては、後継者を奪われる形となり、絶縁は免れたものの、治察の病死後は明屋形(当主不在。女ばかりの事実上の空屋敷)となってしまった。
繰り上がって豊千代が第2候補になると、あら不思議。タイミングよく家基が突然死する。ここにも父・治済の暗躍の気配。こうしてあれよあれよという間に豊千代が将軍世子の座に座らされたのであった。治済恐るべし。
堀口さんの本には「家基の怪死も、田沼の失脚も、背後にはつねに治済の暗躍があった」と出てきますが、権力闘争の激化とともに、青沼や源内のワクチン開発は危機に瀕し、田沼意次の失脚とともに灰燼に帰します。
黒木の雨の慟哭シーン
おそらく「大奥」ファンの多くが名場面として挙げるのが、青沼を助けてワクチン開発にあたった黒木の雨の慟哭シーンでしょう。
「大奥」をドラマ化したNHKの「大奥」シーズン2医療篇について書いた記事でも、黒木を演じた玉置玲央さんの熱演が大きな話題になりました。そんな記事のひとつから引用します。
赤面疱瘡撲滅のため、懸命に取り組んできた者たちが悲惨な末路をたどったことに対し、彼らを側で見ていた黒木(玉置玲央)は、大雨に打たれながら「あまりにも理不尽ではないか……!」と叫ぶ。しかし、その声は雨にかき消され、誰にも届くことはない……。
黒木の悲痛な慟哭は、原作の中でも名シーンとして人気が高く、そのシーンが原作のイメージ通りに再現されていたことについて、SNS上では「このシーンのセリフ、長いのに一言一句変わらずこのまんまやった……」「このシーンを血肉通った生きた人間の声で、叫びで聞けるなんて……」と反響があった。
特に「どこからどう見てもよしながふみ作画過ぎる玉置玲央さんの黒木のフォルム……」「世紀の名演技、名演出でした」「黒木は原作そのものだった」と玉置演じる黒木が黒木のイメージ通りだったという声が多く寄せられた。
「大奥」名シーンが原作まま!黒木が黒木すぎる
黒木のせりふを「大奥」第10巻からそのまま引用します。
…女達よ
江戸城にいる女達よ
政権の座についてそれで満足か!?
そんなに己の地位が 権力が 大切か!?貴様らは母になった事はないのか!?
母ならば男子を産んだ事はないのか!?
産んだならばその子を赤面疱瘡で亡くした事はないのか!?そういう悲しい母と子を一人でも減らしたくて
懸命に努力してきた者達にこの仕打ちか!?あまりに理不尽ではないか!!
「大奥」第10巻の表紙は(左から)田沼意次、伊兵衛、青沼、黒木、平賀源内、僖助がみな笑っています。無惨な結末と黒木の慟哭に号泣して、読み終えて表紙を見直して改めて嗚咽する……。そんなせつない巻となっています。
「大奥」はドラマとアニメも
「大奥」は、フジテレビとNHKがドラマ化し、Netflixがアニメ化しています(フジテレビ版以外はユーチューブに予告編があります)
ドラマやアニメは、わたしはほぼ未見(観たのはNHKの「大奥」シーズン1のみ)なので論評する資格はありませんが、ドラマやアニメから「大奥」ファンになった人にも、よしながふみさんの原作全19巻はぜひとも読んでほしい作品です。
(しみずのぼる)
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