ホラー漫画家の伊藤潤二氏の魅力を知るうえでおすすめの短編集はーー。前回記事に続いて、もう1作だけ紹介させてください。2018年に出版された「伊藤潤二自選傑作集 歪(いびつ)」です(2024.9.19)
〈PR〉


「うずまき」「ミミの怪談」
伊藤潤二氏は多作のため、「いちばんのおすすめは?」と聞かれると、はなはだ困る漫画家です。
小説家なら筒井康隆氏にもあてはまります。個人的なイチオシは七瀬シリーズ(「家族八景」「七瀬ふたたび」「エディプスの恋人」)が筆頭にあがるものの「残像に口紅を」や「驚愕の曠野」も捨てがたく、「じゃあ、短編なら?」と聞かれたら、もう収拾がつきません……。
伊藤ホラーも、連作集ならビッグコミックスピリッツの連載を毎号楽しみに読んだ「うずまき」(雑誌連載は1998~99年、単行本は全3巻、小学館刊)か、2003年に出版されて長らく品切れだった「ミミの怪談」(当時はメディアファクトリー刊、2022年出版の完全版は朝日新聞出版刊)が個人的には一馬身リードという気がしますが、短編となると(筒井作品同様に)とてもひとつに絞れません。


そんなヘタレなので、前回記事で紹介した「伊藤潤二自選傑作集」(2015年、朝日新聞出版刊)に続いて、もう1冊だけ紹介させてください。
自選傑作集第2弾「歪」
個人的におすすめしたいもう1作は「伊藤潤二自選傑作集 歪(いびつ)」(2018年、朝日新聞出版刊)です。伊藤氏はあとがきにこう書いています。
2015年に刊行された『伊藤潤二自選傑作集』は、私にとってもお気に入りの1冊になりました。選りすぐった短編集だっただけに、自選集はこの1冊で終わるだろうと思っていたのですが、最近短編がアニメ化された関連で、過去作を調べていた担当の原真紀子さんが「いい作品まだまだあるので自選集の刊行、行ける!」と判断、新たな自選傑作集の出版となりました。
以上のような経緯から出版された「歪」ですが、二番煎じとなっていないのが伊藤氏の凄いところです。1作目に勝るとも劣らぬ傑作揃いの短編集なのです。収められている短編は以下のとおりです。
- 首幻想
- いじめっ娘
- 墓標の町
- うめく排水管
- 耳擦りする女
- なめくじ少女
- 肉色の怪
- 噂
- 緩やかな別れ
- 魅入られた双一
最後の「魅入られた双一」のみ書き下ろしで、ほかは既刊の短編集からピックアップされたものですが、「耳擦りする女」と「緩やかな別れ」は比較的新しい作品で、1作目の自選傑作集よりもバラエティ豊かになっているのが特徴です。
「墓標の町」
「歪」から紹介する1作目は「墓標の町」です。短編集「墓標の町」(2013年、朝日新聞出版刊)に入っています。

兄の剛と妹のかおるは、転校していった親友・泉の転居先の町に遊びに行くことに。しかしその道中、車で少女をはねて死なせてしまう。死体をトランクに隠しやりすごそうとする剛だったが、泉が“不思議な町”と呼ぶその町には、至る所に墓標が立っていて―――。


「歪」の自作解説で、伊藤氏は次のように書いています。
お墓は墓地や山中などにあるのが普通だが、もしそれがそうでない場所に唐突に立っていたら? という発想。元を辿れば、人が木になって路傍に立っているという、筒井康隆さんのシュールな傑作「佇むひと」の影響だと思う。筒井先生からは多大な影響を受けた。
筒井康隆氏の「佇むひと」は、せつなさ溢れる初期短編の傑作。「墓標の町」のラストも「佇むひと」に通じる哀切を感じさせます。
なお「墓標の町」は、前回記事で紹介した「案山子」同様、鶴田法男監督が2001年に製作したホラー映画「案山子 KAKASHI」の関連作品のひとつで(登場人物の名前をみても)「案山子 KAKASHI」のベースとなっている作品です。

行方不明となった兄・剛のアパートを調べていた吉川かおるは、高校時代の同級生・宮守泉が兄に出したラブレターを見つける。かおるは泉の実家がある山間の村に向かうが、泉の両親は泉は入院中だと言って会わせてくれない。その日、かおるは宮守家に泊めてもらうことになるが……。
「いじめっ娘」
「歪」から紹介する2作目は「いじめっ娘」です。

裕太郎と遊びたい栗子は、自分になついていた直哉が次第にうとましくなり、意地悪をしはじめる。しかし泣きながらも離れようとしない直哉の様子を見ているうちに、栗子の中には邪悪な悦びが芽生えていき……。悲劇の果てに待ち受ける哀しみと狂気、それが最終ページで圧倒的な恐怖へと変化するサイコスリラーの傑作。
まさにこのとおりで、霊や怪物のたぐいはまったく登場しないのに、最後の1ページによってもたらされる恐怖はただならぬものがあります。
「いじめっ娘」は短編集「脱走兵のいる家」(2011年、朝日新聞出版刊)に収められています。伊藤氏の初期作品を収めた同短編集で個人的に好きなのは「サイレンの村」です。

数か月ぶりに山奥の寒村に帰ってきた京一。しかし村の様子は一変しており、父母や幼なじみ・サユリも様子がおかしい。そして夕暮れ時に徘徊するサユリを呼び止めると、どうやら耳が聞こえないようで、「サイレンが鳴る」とパニックになって立ち去ってしまう。異変はますます濃くなっていき、空には巨大な影が現れる。それは蝙蝠というよりまるで悪魔のようで……。ホラーゲーム『SIREN』にも多大な影響を与えたといわれる初期の傑作。



「緩やかな別れ」
「歪」から紹介する3作目は「緩やかな別れ」です。

由緒ある戸倉家には死んだ人間を一族の念で残像として蘇らせるという秘密があった。20年あまりで消えてしまうその残像は、死者と家族との緩やかな別れの期間として一族にある種の充実を与えていた。そんな戸倉家に嫁いだ璃子は、その儀式や現象に最初は驚いたものの、次第にその特異な家族の形に慣れていくのだが……?
「緩やかな別れ」は、8年ぶりの短編集出版となった「魔の断片(かけら)」(2014年、朝日新聞出版刊)に収められています。
もし、伊藤ホラーでもっともせつない作品は?と聞かれたら、わたしは間違いなく「緩やかな別れ」を挙げます。
「鉄道員(ぽっぽや)」で直木賞を受賞した浅田次郎氏の小説はよく「優霊物語」(ジェントル・ゴースト・ストーリー)と称せられますが、伊藤氏の「緩やかな別れ」はまさに「優霊物語」です。


あげだしたら切りがない伊藤ホラーの傑作群ですが、この程度にしておきましょう。最後に、ここで紹介した「墓標の町」「いじめっ娘」のNetflix「マニアック」ダイジェスト動画をつけておきます。
原作を堪能したら、ぜひアニメにも手を伸ばしてみてはいかがでしょうか。
(しみずのぼる)
