恋に悩み傷つくエスパー青年…ジュブナイルSFの佳作「ジャンパー」 

恋に悩み傷つくエスパー青年…ジュブナイルSFの佳作「ジャンパー」 

きょう紹介するのはイギリスのSF作家スティーヴン・グールドの「ジャンパー ー跳ぶ少年ー」(原題:Jumper)です。テレポテーション(瞬間移動)の能力に目覚めた17歳の青年が主人公。謳い文句は「痛快無比な冒険SF」ですが、”ボーイ・ミーツ・ガール”ものとして大好きな小説です(2024.9.2) 

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テレポテーション能力を持つ少年

最初に文庫の背表紙から、あらすじを紹介します。 

デイヴィーはガールフレンドもいない、読書好きのごく平凡な高校生。でも、彼にはひとに真似のできない能力がそなわっていた。それは、ジャンプできることだったーー何百万マイルも離れた場所へと一瞬のうちに移動できるテレポーテイションの能力である。ふとしたことから、自分のテレポーテイション能力に気がついたデイヴィーは、乱暴者の父の財布から金を盗みだし、ニューヨークへと向かったが……痛快無比な冒険SF(上巻、ハヤカワ文庫SF) 

「ジャンパー」(上下巻、ハヤカワ文庫SF、1997年刊)

「ジャンパー」(上下巻、ハヤカワ文庫SF)はスティーヴン・グールドが1992年に発表した彼のデビュー作で、第2作の「ワイルドサイド」(原題:Wilfside)は以前紹介したことがあります。その記事でグールドの得意とするのはジュブナイルSFだと書いて、こう紹介しました。 

「ジュブナイル」という言葉は、

ティーンエイジャー(少年・少女、青少年)を対象とする修飾詞。日本では1970年代頃に使われはじめた(角川文庫SFジュブナイルの登場が1976年)が、英米ではやや堅苦しい表現のため、改まった場面で使用されることが多く、口語表現ではヤングアダルト作品 (Young-adult fiction) やjuvenile novelあるいはjuvenile fictionに置き換わる(ウィキペディア)

日本国内でジュブナイルSFの代表格と言えば、筒井康隆氏の「時をかける少女」、眉村卓氏の「なぞの転校生」「狙われた学園」あたりでしょう。

翻訳家の小川隆氏は本書の解説で次のように書いています。

SFがもっとも得意とするのは、SFの本質的なテーマである〈変化〉を、主人公の内面的な変化に重ね合わせて描く手法で、それをもっとも容易にできるのが、この成長小説という様式です。グールドが好んでこの手法を用いるのは、個人的な悩みをかかえていた十四歳のとき、ハインラインのジュヴナイルSFに救われたからだと語っています。

「ワイルドサイド」は、ジャンル分けすればパラレル・ワールドものということになってしまいますが、そうではなく、悩めるティーンエイジャーが波乱の冒険を経て成長していくストーリーとなっているのが最大の魅力なのです。

人跡未踏の世界はぼくらが守る :「ワイルドサイド」 
きょう紹介するのはスティーヴン・グールドのSF小説「ワイルドサイド ーぼくらの新世界ー」(原題:Wildside)です。〈高校を卒業したばかりの5人の少年少女の…
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「ジャンパー」も、まさに「SFの本質的なテーマである〈変化〉を、主人公の内面的な変化に重ね合わせて描」いた小説です。 

ですから、下巻に入ってから、NSA(国家安全保障局)に追われたり、イスラム過激派のテロリストを追跡したり……といった「痛快無比な冒険SF」の展開となるのですが、底流につねに流れているのは、ティーンエイジャーの抱える悩みであり、心の痛みなのです。 

父の暴力、母の出奔

例えば、デイヴィーがジャンプの能力を最初に発現させたのは、アル中の父親からの暴力が引き金でした。 

「黙れ」
と父はいって、ぼくを壁のほうへ押しやった。鼻からさきに漆喰の壁に顔をぶちあてられる寸前で、ぼくは両手をあげて、もちこたえた。すると、父はつかう手を入れかえて、ベルトを右手に持ちかえ、左手でぼくを壁に押しつけた。
鼻を壁にぐりぐりやられないよう、わずかに首をひねると、父が重い銀のバックルが先端にくるようにベルトを持ちなおしているのがみえた。
ぼくはわめいた。
「バックルはだめだよ、とうさん! 約束したじゃないか!」
父はさらに強く、ぼくの顔を壁に押しやった。
「黙ってろ! このまえのぶったたきかたは、手ぬるいもいいところだったんだぞ」

父がふりあげたベルトが空気を切り裂いたとき、「ぼくがいたのはスタンヴィル公立図書館の小説セクション」だった。 

母親はデイヴィーが11歳の時、父親の暴力に耐えかね、デイヴィーを残して出奔。ディヴィーはジャンプの能力で母方の祖父の家を訪ね、弁護士を通じて母親と連絡を取れるようになります。

しかし、ディヴィーは別れた母に会うべきかどうか迷う。 

そんなデイヴィーの背中を押したのは、ブロードウェイでミュージカルを観ているときに知り合った3歳年上の女性だった。オクラホマ州立大に通うミリィで、ジャンプの能力を使ってオクラホマまで通いながら親しくなっていく。 

母親に手紙を書くかどうかで迷うデイヴィーに対し、ミリィは言う。 

「こういうことかしら、デイヴィー? 想像上の拒絶より、現実の拒絶のほうがひどいから? 手紙を書かずにいるかぎり、おかあさんはあなたからの便りがあれば会いたがってくれるんだと心をいつわっていられるから? そういうこと?」 

くそ、そんな! ぼくはぎゅっと目をとじた。涙がこぼれおちてくる。なにもいえなかった。 

いかがですか? テレポテーション能力があるエスパーとはとても思えない、どこにでもいる気弱い青年でしょう? 

「きみに愛してほしかったからさ!」

でも、こうやって徐々に愛を育むふたりなのに、突然、別れの場面が訪れるのです。

きっかけは、ニューヨークのアパートメントで階下に住む男でした。その男は妻への暴力を重ね、それを止めに入って妻を助けたのですが、なんと男はニューヨーク市警の刑事だったのです。 

デイヴィーは怪しいと踏んだ刑事に付きまとわれ、デイヴィーが留守の時にミリィの電話を刑事が取ってしまう。 

「デイヴィー、ここへなにしに来たの?」
ぼくは肩をすくめた。
「話があるんだ。なかには入れてもらえないようだから、ちょっと散歩に出られないかな」
彼女は息を飲んだ。
「あなたと散歩に出ていいものかどうか」
「そんなのって!」彼女が身を縮めたので、ぼくは声を落として、ことばをつづけた。「ウォッシュバーン部長刑事は、ぼくは暴力的だとはいってなかっただろ? ぼくに殺人だかなんだかの嫌疑がかかってるのなら、彼はそういったはずだ」

デイヴィーを疑いながらミリィーは外に出るが、すぐにこう切り出した。「真実について話しましょ」 

「きみにうそをついたことは一度もない。これまできみに話したことは、なにもかもほんとうだよ」
彼女は信じなかった。
「うそ、うそ、うそばっかり。省略によるうそがあるってことは知ってる? ほのめかしによるうそがあることは知ってる? 警察があなたの身柄を求めるのはなぜ? なにをやったの? なぜわたしに隠してたの?」
「きみに愛してほしかったからさ!」

それでも、ミリィはデイヴィーを許さなかった。 

「あなたはわたしにうそをついた。わたしをあざむいてた。どういう意味かは、もういったでしょ」
ぼくは信じられない気分で、首をふった。
「きみは、もしぼくがうそをついたことがわかったら、ぼくたちの仲は終わりだといってたよね。きみはそうしたいのか? ぼくはさっさと消えてなくなって、二度ときみをわずらわせないようにするのがいいのかい?」

うーん、誰にも一度は経験があるような場面ですが、このあとの場面がせつないのです。わたしがいちばん好きな場面です。 

彼女は目を細め、口もとを決然と一文字にして、こちらをみた。
「イエス」
彼女の軽蔑が、怒りが、憎しみがみてとれ、ぼくはもう耐えきれなくなった。
「だったら、さよなら」
そういったあと、ぼくは腹立ちまぎれに、彼女のみているまえで、考えもなく、あてもなくジャンプして、逃げ去った。そして、スタンヴィル公立図書館の床の上にボールのように身を丸め、泣いて泣いて泣きまくった。

テレポテーション能力を持つエスパーもの…ではまったくないですよね。 

NSAをからかう茶目っ気

ミリィとの関係も気になるでしょうが、デイヴィーのテレポテーション能力はとうとうNSA(国家安全保障局)にまで知られてしまいます。待ち伏せされ、そこから逃亡するシーンも紹介しておきましょう(狭い部屋で5人のエージェントに囲まれた場面です) 

目撃者は五人。うまくやってのけなくては。ふと笑みが浮かんだ。
「そういうことなら、ひとつ、いっておかなくてはならないことがある。そして、きみたちがそれを上司の諸君に報告することを期待しよう。このような存在が多数いるにちがいないと」
コックスの目がすがめられた。
「うん?」
「われわれはきみたちの惑星に害をなすつもりはない」ぼくはいった。
そして、ジャンプした。

NSAのエージェントたちをからかう茶目っ気ぶりも、ふつうのエスパーものではないですよね。 

映画はSFアクションもの

ちなみに、「ジャンパー」は2008年に映画化されていますが、こちらはバリバリのSFアクション映画です。 

2008年製作の映画「ジャンパー」

ミシガン州に住むデビッドは同級生のミリーに想いを寄せるごく普通の高校生。しかし、川でおぼれそうになった時、彼は自分に備わった途方もない“才能”に気付くことになる。冷たい川底から一瞬にして図書館へと“ジャンプ”していたのだ! 母が家を出て以来、人が変わってしまった父との生活にうんざりしていたデビッドは、1人ニューヨークへと向かう。15歳の彼が生きていくため次に瞬間移動したのは、銀行の金庫室だった。まんまと大金をせしめたデビッドだが、その存在に気付いた男がいた。“ジャンパー”を悪とみなし、彼らの抹殺を使命とする組織“パラディン”のローランドである。 
10年後、デビッドはニューヨークからロンドンへ、オーストラリアの海へ、東京の繁華街へ、エジプトのスフィンクスへと飛び回り、“ジャンパー”の特権を謳歌していた。しかし、その秘密を守るため、常に孤独を強いられる生活。そんな時、ミリーと再会を果たしローマでのデートに誘うデビッド。楽しいひと時を過ごした二人の前に、突如現れた謎の青年グリフィン。そしてデビッドは“ジャンパー”の宿命、さらに母が秘めていた重大な秘密を知る……。 

「ジャンパー」は、映画が公開された2008年に新装版がハヤカワ文庫SFから出版されましたが、いまは品切れのようです。気になった方は古本屋か図書館で探してください。 

(しみずのぼる) 

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