きょう紹介するのはイギリスの伝説的ロック・バンド「オアシス」のドキュメンタリー映画「オアシス:スーパーソニック」。不可能と思われた再結成の噂が流れているので、伝説のバンドのおさらいをするならコレ!と思いますし、日本人にも縁の深い映画です。アラフィフ世代の青春を再確認できる貴重な映像は必見です(2024.8.27)
【追記】噂は本当でした。「25年夏にリユニオン・ツアーを行う」と公式に発表されましたので追記します(204.8.27 16:50)
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「ビートルズ後」最も成功したバンド
オアシスは1994年にデビュー。ファースト・アルバム「ディフィニトリー・メイビー」は、当時ビートルズが持っていた英国のアルバム売上記録を更新。翌95年発売のセカンド・アルバム「モーニング・グローリー」とともに世界的な人気となり、ビートルズ以後もっとも成功したロック・バンドのひとつです。しかし、バンドを牽引するリアム&ノエル・ギャラガー兄弟が絶縁状態となって2009年に解散して今に至っています。


映画「オアシス:スーパーソニック」は、2016年に製作されたもので、監督を務めたマイク・ホワイトクロスがリアム、ノエル両兄弟はじめ関係者に取材、当時の映像も集めてオアシスがバンドを結成した1991年から96年の英ネブワースでの伝説のライブーー2日間で25万人を集めたーーまでの軌跡をドキュメンタリー映画にしたものです(下記から予告編をごらんください)
彼らの名曲の数々のデモ映像もあればライブ映像も満載で、オアシス・ファンは、わたしが言うまでもなくお皿で持っていると思いますし、にわかファン(彼らが大人気だった頃はジャズ一辺倒でした)の私があれこれ語るのはおこがましい限りです。
でも、8月27日午前8時(日本時間だと午後4時)になんらかの告知を行うとリアム、ノエルそれぞれが自身のSNSで明らかにしたことで、オアシスが再結成されるのではないか…との噂が一気に盛り上がり、それならと「スーパーソニック」やネブワースのライブ映像を楽しんでいるうちに、特に前者には日本絡みの部分が多いため、その部分に限って紹介するのはアリかな…と思って記事にした次第です。
1994年9月の初来日映像
「スーパーソニック」は、1991年から96年まで編年体型式でオアシスの人気が拡大するプロセスを描いています。イギリスでは人気でも、アメリカではまださっぱり…という時期に、彼らは初の海外ツアーの先に日本を選んだのです。そのため、1994年9月の初来日の映像が非常にふんだんに出てきます。
ファースト・アルバムが発売直後と言っても、まだ人気が世界に広がる前なのに、メンバーたちが驚くほどのファンに出迎えられます。
ノエルがこう言います。
空港では1000人もの女の子が待つんだ
皆が俺たちの名前を叫んでた
”日本なのになんで俺の名前知ってんだ?”
でも知ってた
なんていい国なんだ
何から何まで最高だった彼女らはどこへでもついてきた
ホテルの玄関の外 ロビーの中
部屋の外 部屋の中 どこでもだ
何かで読んだ”追っかけ”ってやつだ俺の人生でも
あんなに驚いたのは初めてかも
なぜこんなに?
なぜ英語も話さない人たちが
ライブの前からとりこに?
リアムも言います。
初めて日本に来た
初めてジャンボ機に乗ったよ
狂ってるね
どういう意味かわかるだろう?
ただただすごいよ日本は最高だった
ムチャクチャな騒ぎで
ギグジー(ベース)は鈍くて
”何 騒いでるんだろうな”
俺は言った ”俺だよ バカ 俺に騒いでんだ”
アラフィフ世代の青春の一コマ
映画では、リアムやノエルが大勢の日本人の若い女子たちに囲まれている写真も使われていますし、次の公演先に向かう駅のホームで見送る大勢の女子たちの姿もカメラに写っています。
リアムやノエルを囲む若い女子たちが当時20歳と仮定しても、今は立派な50歳代。アラフィフ世代の青春の一コマを切り取ったような映像です。
初来日前のアムステルダム公演では、フェリーで暴れて強制送還。初来日直後のアメリカ公演では、靴を投げ込まれたり、薬でメロメロで曲を途中でやり直したり、リアムがタンバリンをノエルに投げつけ、怒ったノエルが翌日から失踪したり……。
のちのバンド解散に至る史上最悪の兄弟喧嘩の萌芽がすでに随所に出ているだけに、メンバーがいたく感激し、ファンも大いに喜んでいる初来日の映像は観ていて微笑ましくなります。
初来日の音源も入手可能
もちろん初来日のライブシーンも流れますが、初来日は「クラブクアトロ」という収容能力800人という狭いライブハウス会場でした。
当時の演奏は、公式盤にはなっていませんが、ブートレグ(海賊版)では入手可能です。ご関心がある方はネットで探してみてください。

デビューきっかけの貴重映像
「スーパーソニック」に戻りましょう。日本人が関係している部分がもうひとつあるのです。
それは、オアシスのデビューに直接関わる、彼ら自身が「運命を感じた」と振り返る1993年5月31日のグラスゴー「キング・タッツ・ワー・ワー・クラブ」での演奏です。
地元マンチャスターで演奏しても話題にもならない。記事にも一行も載らない……。そういう時期に、当時リハ室を共用していたガールズ・バンドのメンバーがグラスゴーで演奏すると聞き、「なんで俺たちは出られない?」「一緒に来て出ちゃえば?」という会話からグラスゴーに行くことに。
しかし、出演者リストに載っていないので主催者からノーと言われてしまう。その時、そのガールズ・バンドが「出してあげて。私たちの出番を短くしていいから」と口添えしてくれたおかげで、そのクラブでオアシスが4曲演奏できるようになった……。
偶然はもうひとつ重なります。
ガールズ・バンドのメンバーが、英国内で有名なクリエイション・レコーズの創業者アラン・マッギーの元カノで、アラン・マッギーは「彼女をイラつかせてやろう」と思って妹を誘って会場に来ていて、オアシスの演奏を偶然聞くことに……。
この偶然に偶然が重なったグラスゴーでのライブ出演がきっかけで、オアシスはクリエイション・レコーズと契約、デビューすることになったのです。
ということで、オアシスの歴史を語るうえで非常に重要なグラスゴーでの演奏なのですが、その演奏シーン(曲は「ブリング・イット・オン・ダウン」)を撮影したのが日本人なのです!
映画公開に合わせたトークショーで、監督のマイク・ホワイトクロスが明かしています。
ライブに来てた日本人の学生が提供してくれたんだ
別のバンド目当てでライブを撮ってた
プロデューサーがSNSで見つけ出した
アランも撮ってたけど
テープをなくしてたんだ
ネットのおかげさ
トークショーに同席したリアムが「日本人の子に感謝だ!」と声をかぶせてます。
もし彼らがほんとに再結成したら、1994年の初来日以来すっかり親日になった彼らですから、きっと日本公演も組まれることでしょう。
ドント・ルック・バック・イン・アンガー
最後に、彼らの名曲の数々の中で、わたしが一番好きな曲は何かと言えば「ドント・ルック・バック・イン・アンガー」で決まりです(次に好きなのは「ワンダーウォール」。こんな歴史に残る名曲を「同じ週」(in the same week)に書き上げたなんて、ノエルは天才です)
以前の記事で紹介したビートルズの遺伝子「パワー・トゥ・ザ・ポップ」にも「ドント・ルック・バック・イン・アンガー」は入っているので、その紹介文を引用します。
本曲は、オアシスでソングライティングを担当するノエル・ギャラガーが初めてヴォーカルを取った楽曲だが、制作時にはこの曲を歌いたいというリード・シンガーである弟リアムと揉めたと言われている。結果的にグループでもっとも愛される一曲となったこの曲を自身で歌ったノエルはその時点で名曲となる自信があったのだろう。世界的な成功を手に入れたオアシス(ノエル)は、96年、”俺たちはザ・ビートルズよりもビッグだ”という発言をして物議を醸した。この曲は彼らの出身地マンチェスター市民にとってのアンセムとなり、2017年、アリアナ・グランデの公演で起こった爆弾テロ事件では、タイトル”(それを)怒りに変えてはいけない”から、犠牲者を追悼する楽曲として自然発生的にその慈善公演で歌われた。
デビュー直後から、彼らの素行の悪さや物議を醸す発言からマスコミに批判的に取り上げられることも多かったオアシス。その模様も「スーパーソニック」に出てきますが、ノエルはこう言っています。
俺たちの音楽は、時を超えて残っていく
マスコミは関係ない
”すぐ解散”とか”すぐ忘れられる”とか
レコードは永遠に残っていく
衝撃的なデビューから30年。「音楽は時を超えて残っていく」という言葉どおりだと思います。
オアシスに関心を抱いたら、ブルーレイなら「スーパーソニック」、伝説のネブワース公演をCDとDVDで記録した「Knebworth 1996 (2CD+DVD)」がおすすめです(もちろん「ディフィニトリー・メイビー」と「モーニング・グローリー」も)

最後に、わたしが一番好きな「ドント・ルック・バック・イン・アンガー」のオフィシャル・ビデオと、ノエルが2015年に演奏したバラード風のバージョンの映像を貼っておきます。興味があれば観てみてください。
(しみずのぼる)
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