僕と同じように気に入る人がいますように…打海文三「ぼくが愛したゴウスト」

僕と同じように気に入る人がいますように…打海文三「ぼくが愛したゴウスト」

きょう紹介するのは打海文三氏の小説「ぼくが愛したゴウスト」です。11歳の少年が紛れ込んだ世界は、大好きな母も父も姉もいるのに違和感が……。「残酷で理不尽な世界に立ち向かう少年の、愛と恐怖の旅立ちの物語」(文庫背表紙より)です(2024.8.19) 

伊坂幸太郎の推薦文

打海文三氏の小説をはじめて読んだのは「僕が愛したゴウスト」(中公文庫)でした。 

何の予備知識もない作家であり小説でしたので、何に惹かれて手に取ったかと言えば、文庫の帯にある、伊坂幸太郎氏の推薦文だったのだろうと思います。 

「この本を、僕と同じように
気に入る人がいますように」

帯には伊坂幸太郎氏の推薦文

どんな内容の小説か、文庫解説を書かれた伊坂氏の文章で紹介しましょう。 

あらすじを説明すれば、以下のような感じになる。 

十一歳の夏休み、田之上翔太はロックバンド、〈ヴィヴィアン・ガールズ〉のコンサートを観に行き、その帰り、中野駅で人身事故に遭遇する。彼は〈臆病者のくせに〉〈本物の惨たらしい死体を、この眼で見たい〉と思い、線路に近づこうとした。すると、ダークスーツの若い男が寄ってきて、こう言った。「ぼうず、見るな」 

その時を境にして、田之上翔太の周辺が奇妙なことになる。 

「へんなにおいがしない?」

人身事故で家に真っ直ぐ帰れなくなった翔太は、母に電話で事情を話して、別の線に乗り換えて家路に着いた。駅に着いて迎えを頼むためふたたび電話をすると、母から遅いことを叱られ、電話したと言っても「聞いてない」と言われた。 

母の迎えの車で、ふたたび電話のことが話題になった。 

「ねえ、ほんとに中野で電話した?」母が訊いた。
「したよ」
「どうしちゃったんだろ」母が自分を疑う口ぶりで言った。
(略)
ぼくは鼻をくんくん鳴らした。
「お母さん、この車、へんなにおいがしない?」

最初の違和感は匂いだった。イオウのような匂い。その匂いが母や姉の体臭であると気づくと、翔太は自分の鼻がばかになっていると受け止めた。「大好きな母と尊敬している姉、その二人が腐ったにおいがするなどということを、ぼくは到底うけいれることはできないからだ」 

朝食のときに人身事故のことが話題になった。 

「ねえ翔太」姉が新聞に視線を落としたまま言った。「中野で人身事故があったってほんと?」
「ほんとさ」ぼくは言った。
「新聞に載ってないよ。中央線が遅れたっていうニュースもない」
「でも事故はあったんだ」
「なん時ごろ」
「夜の九時二十分ごろ」
「事故があったとき、翔太はホームにいたの?」
「いた」
(略)
「話がへんね」姉が言った。
「人身事故だって、誰かがおっきな声でさわいでた」ぼくは言った。

それなら新聞に載るはずだと言う姉。ふたりの会話を聞いていた母が「あるのよ、そういうこと」と会話に混ざった。 

「昨日もあったじゃない。翔太は中野から電話してお母さんと話したって言うけど、お母さんにはぜんぜん記憶がない」
「ぼくは勘ちがいなんかしてない」ぼくは抗議する声で言った。

こんなふうに違和感がちらほらと出てきます。しかし、翔太が中野駅に電話で問い合わせると、事故などなかったという回答ーー。 

俺たちは迷い込んだらしい

自分の頭が変になったのかと悩むうちに、翔太は街中で男に声を掛けられた。中野駅で「ぼうず、見るな」と声をかけた男だった。その男、山門健ーー通称ヤマ健が翔太に渡した名刺には、走り書きでこう書いてあった。 

家族が心配する。なにも話すな。
俺たちは迷い込んだらしい。

数日後、翔太は家族に内緒で外出してヤマ健と連絡を取った。ヤマ健は車で自身のアパートまで翔太を連れて行き、恋人のユキと引き合わせた。 

「ユキ、見せてやれよ」
ユキさんが唇の端を曲げて沈黙した。
「見せた方が話が早い」ヤマ健さんが厳しい声でうながした。

ユキはバスルームに行き、腰にバスタオルを巻いた姿で翔太の前に立った。 

ターンして背中を向けた。ぼくはなにかを予感して唾を飲み込んだ。バスタオルがさっとはずされた。後ろ向きのユキさんの下半身は裸だった。白いお尻の中心から、うっすらと産毛の生えた淡いピンク色の鞭のようなものが垂れ下がっていた。 

ユキの尻にあったのは尻尾だった。 

「ユキが言うには、おれにも尻尾があったらしい」ヤマ健さんが言った。
「うそ」ぼくはおどろいた。
「ヤマ健とつき合って四年になるけど」ユキさんはぼくに話しかけた。「先週の水曜日まで、ヤマ健には尻尾があったの。ぜったいまちがいない」

中野の人身事故を目撃した時を境にして、いままでとは異なる世界ーー体臭がイオウの匂いがしてお尻に尻尾があるのが正常な世界ーーに迷い込んだのだ……。ヤマ健はこう説明して、元の世界に戻れる方法を探そうと翔太に持ち掛けた。 

家族に打ち明ける翔太

でも、翔太はまだ11歳の少年です。一緒に暮らす家族は、匂いが異なる以外は何も変わりません。大切にされ、愛されていることを微塵も疑うことができません。

ひとり秘密を抱えたまま家族と接することに耐えられなくなった翔太は、ある夜、母の入浴姿をみた。母にも尻尾があった。 

ぼくは家族にすべてを打ち明ける決意を固めていた。このままでは辛くて生きていけない。 

その夜、翔太はリビングに父と母と姉を集め、「お父さん、尻尾ある?」と切り出した。 

「あるさ」
「お姉ちゃんは?」
「どうしてそんなこと訊くの?」姉がパソコンのまえで言った。
「いいからこたえて」
「あるよ」
「お母さんの尻尾は、さっきお風呂に入ってるときに見た」
「何を言ってるのかぜんぜんわからない」眉をひそめた。
ぼくは唾を飲み込んだ。短い沈黙をおいて口をひらいた。罪の許しを請うような声になった。
「ぼくには尻尾がないんだ」

翔太は中野の人身事故からの違和感や家族と異なること、同じ境遇のヤマ健と話して異世界に迷い込んだと思っていることを語った。 

ヤマ健の仮説を一笑に付した家族だったが、翔太が尻尾のないお尻を見せると家族は押し黙った。 

「翔太、さわっていい?」姉がふるえる声で言った。
「いいよ」
指が左右からのびてぼくの尾骶骨をまさぐった。父のごつい指の感触もあった。
「いつからこうなった?」父が訊いた。
ぼくはふいに感情が高ぶって叫んだ。
「生まれたときからだよ!」
「おかしい」姉が言った。
「おかしくない!」ぼくは強く言い返した。
「お母さんがまちがってた」母がぼくに詫びる口調で言った。「まだ小学生なんだからコンサートにいかせるんじゃなかった」
(略)
ぼくは母の胸に抱かれた。母は強く匂った。だがぼくにはぜんぜん気にならなかった。何一つ解決したわけでもないのに、母の抱擁がぼくの自己防衛の固い鎧を脱がした。緊張の糸がぷつんと切れた。ぼくは母の胸に顔を埋め、声をあげて泣き出した。

伊坂氏は解説で「物語の核となる部分は、田之上翔太と家族との関係、愛情の問題といえるかもしれない」と書いています。わたしもそう思います。 

不思議で、素晴らしい終わり方

もちろん、物語はそう単純ではないので、このあと翔太とヤマ健は警察や自衛隊から追われる身となります。 

でも、元の世界に戻れるか!? というようなストーリーではまったくありません。 

物語の最終盤で「ぼくが愛したゴウスト」というタイトルの意味がわかって胸が苦しくなりますし、最後の一文を読んで「ああ、そういうことだったのか…」と思い、さらにせつなくなります。何とも不思議な読後感に陥る小説です。 

伊坂氏はこう書いています。 

田之上翔太の物語が最終的にどうなるのか。もちろんここではそれを書かない。ただ、最後の場面は、まるで予想していなかったものだったから、とても感動した。誤解を招くかもしれないから先に言っておくけれど、「予想していなかった」とはいえ、どんでん返しや驚天動地の着地があるわけではない。はっきりとした決着がつき爽快感に襲われる、ということでもない。ただ、「もとの世界に戻る/もとの世界に戻れない」「幸せになる/悲劇」そういったものには分類できない、不思議で、素晴らしい終わり方だなと僕は感じた。ぼうっとしながら、最後のページをめくった。そして、書棚の一番いい場所に置きたいな、と思った。 

伊坂幸太郎氏にここまで書かせる小説です。ぜひ手に取って読んでみてください。 

(しみずのぼる) 

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