きょうも直木賞受賞作家、一穂ミチさんの短編を紹介します。「スモールワールズ」所収の「愛を適量」。生きる目的を失い、妻子とも別れた50代の高校教師のもとへ、15年も遠ざかっていた娘が男の姿で訪ねて来た…というお話です。ひとつひとつのセリフが心に刺さります(2024.7.24)
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ままならない、けれど愛おしい
先日紹介したのは、直木賞受賞作「ツミデミック」(光文社)所収の「特別縁故者」。読後に心温まる気持ちになる短編です。
「スモールワールズ」(講談社文庫)にも心温まる作品はありますが(「魔王の帰還」)、きょう紹介する「愛を適量」は、似た者同士の父と娘(息子?)の織りなす涙腺を刺激される一篇です。

2022年本屋大賞第3位
第43回吉川英治文学新人賞受賞!
共感と絶賛の声をあつめた宝物のような1冊。
夫婦、親子、姉弟、先輩と後輩、知り合うはずのなかった他人ーー書下ろし掌編を加えた、七つの「小さな世界」。生きてゆくなかで抱える小さな喜び、もどかしさ、苛立ち、諦めや希望を丹念に掬い集めて紡がれた物語が、読む者の心の揺らぎにも静かに寄り添ってゆく。吉川英治文学新人賞受賞、珠玉の短編集。
ままならない、けれど愛おしい
「小さな世界」たち。
「佳澄だよ。ひさしぶり」
主人公の須崎慎悟は、高校で古典を教える50代の教師。同僚とも最小限の言葉しか交わさず、生徒へも無関心を決め込み、部屋に戻ればコンビニ弁当と大量のビールで万年床に倒れ込む毎日を送っていた。そこへひとりの「男」が現れた。
そいつは明らかに慎悟の部屋の真ん前で待機している。(略)男は慎悟を見て「おかえり」と言った。
「あの、どちらさまでしょうか」
男は呆れた声で返した。
「あのさー、いくら長いこと会ってないからって、娘の顔忘れんなよ」
「……は?」
「佳澄(かすみ)だよ。久しぶり」
佳澄は、自身を「トランスジェンダーのFtM」と説明した。 両胸は「目に入るとバグる」「極力ないことにしたいし、本当になくしたい」と言い、タイに渡って「乳腺取って子宮卵巣取って膣閉鎖して陰茎形成」の手術をするという。 その費用がかさむため、一時的に同居させてくれ、という話だった。
佳澄は慎悟のことを「先生」と呼んだ。「だってセンセイだろ。今さら父さんとか呼びづらいわ」
こうして佳澄との奇妙な同居生活が始まった。
愛情の空回りの情けなさ
慎悟が無気力になったのは、以前、部活の顧問で力を入れすぎ、部員たちが内心では「押しつけがましい」と快く思っていなかったことを知らされたことだった。慎悟に自制を繰り返し求めてきた妻にも、離婚届を突き付けられた。
愛情のつもりで注いでいた過剰な思い入れは、誰の得にもならなかった。受け取る側のキャパを見越して適量を与えられないのなら、何もしないほうがましだ。
男の姿で現れた佳澄にも「クリスマスとか誕生日に、三つも四つもプレゼントくれたよね」と言われた。
「あげすぎだって母さんが怒ってもお構いなしで、そんで俺は、ぬいぐるみもままごとセットも興味なかったから、子ども心に困った」
(略)
「迷惑だったって言うのか。こっちは中身が男だなんて知らなかったから……」
「ガワも男だったら変身セットとかプラモ買ってきた? それも興味ないな。そういう問題じゃなくて、個人の好みや性別で決めつけようとすんなよ。母さんが何度も『この子はピンクが好きじゃない』『空や雲の写真集を欲しがってる』って言ってたの覚えてない?」
(略)
ひとりで舞い上がり、空回っていただけだと痛感させられた時の情けなさ、恥ずかしさが生々しくよみがえり、頭のてっぺんが白く冷えるのに顔はかっかと熱い。佳澄の淡々とした口ぶりが憎らしかった。いっそ感情的に罵ってほしいと思った。
他人に紐づけると不自由になる
顔の手入れをおろそかにしていることも佳澄にとがめられた。眉毛をそろえてやると言われて、眉毛をカットされながら、佳澄が「ふしぎなんだけどさ」と言った。
「他人にあれこれしてやりたい気持ちで、まずは自分に手かけたら? 自分相手ならやりすぎも行き違いもなくて楽しいじゃん」
「そんなの、本当にただの自己満足じゃないか」
「それの何が問題?」
翌朝の校門当番で、女子生徒の話し声が聞こえた。
ーーえ、何か色気づいてね?
ーーキモ……。
帰宅して佳澄に苦情を言うと、「イメチェンに気づいてもらえてよかったじゃん」と笑われた。
「冗談じゃない、あんな恥かかされて、もういやだからな」
「それで元に戻したら戻したで言われんじゃね」
「ならどうしろって言うんだ!」
「それは先生が決めんだよ」
佳澄は噛んで含めるように言った。
「時間かけんのだるいって思ったらやめればいいし、今の自分を続けたいんならやればいい。ただ、生徒に笑われたからっていうのはNGだな。あいつらが言ったせいだってなっちゃうだろ。理由とか原因を他人に紐づけてると人生がどんどん不自由になる」
慎悟が「お前は、何だか悟りを開いたみたいな性格だな」と言うと、佳澄は「だったらどんなにいいか」と返した。
「そういうふうに思わないとやってられないことがたくさん重なって、そういうふうに思うのに慣れただけだよ」
少し長く引用しましたが、この短編の魅力に気づいていただけたでしょうか。佳澄が慎悟に発した言葉(ゴシック部分)は、読者であるわたしたちにも、とても響く言葉です。
伏線の「とりかへばや物語」
もちろん、一穂ミチさんの小説ですから、このあとに続く物語はホームドラマ的な展開ではありません。
佳澄が慎悟のもとへ身を寄せた本当の狙いがわかり、佳澄が「子どもの頃、最後に会った日に話したこと覚えてる?」という謎の言葉を残して行方をくらましてから急展開するのですが、そこは明かさないでおきましょう。
「愛を適量」で重要な伏線となるのが「とりかへばや物語」です。
「何教えてんの? 『枕草子』? 『源氏物語』?」
「『とりかへばや物語』」
「何それ知らない」
慎悟はかいつまんで説明してやった。平安後期に成立した物語で作者は不詳。腹違いのそっくりな兄妹が主人公で、兄はおしとやかで慎ましく姫のよう、妹は対照的に快活で若者のようだったため、互いに入れ替わり、それぞれが女装、男装のまま宮中で立ち回っていく。
(略)
「『とりかへばや』って『取り替えたら』って意味?」
「違う」
ちょっとためらったが、正直に話した。
「兄妹の父親が、男らしくない息子と女らしくない妹の将来を憂えて『互いの中身を取り替えたい』と嘆いた台詞だ」
涙腺はちゃんと生きている
佳澄が姿を消した後、慎悟は学校の図書館で借りた「とりかへばや物語」を読み直します(本文では原文が引用されます)
だんだんと他人の暮らしぶりを見聞きして知るようになると、自分がおかしいのだと恥ずかしく思うようになった。だからといって今さら考えをどうしようもなく、「どうしてわたしはこんなに変で人と違ってしまったんだろう」と嘆いた。
ページをめくる手が止まった。仰向けに寝そべって安静にしているはずなのに、ざわざわと胸が騒ぎ、呼吸が浅くなってくる。
ーー何でだろう、わたしだけ変なのかな。
ーー怖いよ。
(略)
何百年も昔に描かれた姫の苦しみ、今生きている佳澄の苦しみが二重に響き、にじんだ涙が借り物の本を少し濡らした。こんな干からびた男でも涙腺はちゃんと生きている。身体はちゃんと、泣いてくれる。
15年前の出来事を思い出した慎悟が、行方をくらました佳澄に電話をかけ、それまで「先生」と呼んでいた佳澄がはじめて「父さん」と呼ぶ場面は、読者も涙腺を刺激されます。
「手術して本当に佳澄(よしずみ)になっても、佳澄(かすみ)だと思っててもいいか。お前が生まれた日、晴れた朝で空がきれいだった。だから佳澄ってつけた。名前を呼ぶ機会がもう二度とないとしても、佳澄だって思いたい。そのバグだけは俺に残しておいてくれないか」
ハッピーエンドではないかもしれませんが、生きる目的を失った男の再生の物語です。
ラストはこんな文章で結ばれています。
カーテンの隙間から真っ白い朝の断片が訪れてくる。夜明けだ。佳澄はここにいないけれど、もう会うこともないかもしれないけれど、南国の太陽の下で象に乗って笑う息子を想像すると、寂しくても生きていける気がした。この電話を切ったら顔を洗い、鏡に向かうのだ。
(しみずのぼる)
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