前回の記事でビル・ウィザーズとジョー・コッカーを紹介したら、無性にフージョンの名曲群が聴きたくなりました。70年代後半から80年代前半に青春時代だった方々には、とにかく懐かしいメロディばかりです(2023.12.21)
目次
80年代前半が全盛期
そもそも「融合」を意味するフュージョンという表現が、Z世代からしたら???かもしれません。
もともとジャズから派生して、ロックやラテンなどの要素を取り入れながら進化発展した音楽です。
そのため、時代によってジャズ・ロックと言われたり、クロスオーバーと言われたりして、70年代後半からはこの表現に落ち着き、80年代前半がフュージョンの全盛期だったように思います。そのころに高校生から大学生だった私にとっては、とにかく懐かしい音楽です。
基本的にインスゥルメンタルの曲が多いことから、テレビ番組でバックに流れていたり、ラジオ番組のイントロなどに使われたりしていたため、フージョンを知らない人でも「あれ? 聞いたことのあるメロディだな」と思う人が少なくないはずです。
でも、世評はすこし厳しく、熊谷美弘氏監修の「フュージョン」(2000年、シンコー・ミュージック刊)にこんなくだりがあります。
”フュージョンはダサイ”という人は今でも多いようです。曰く”テクニック至上主義””爽やかなだけで刺激のないサウンド””音楽に精神性が感じられない””耳あたりがいいだけのイージー・リスニング”……ま、言いたい人は言ってなさい。そんなフュージョンを、心から愛している人もいるんだから。

確かに、曲によって”耳あたりがいいだけのイージー・リスニング”のように聞こえたりしますが、それでも、わたしも「心から愛している」ひとりです。
きょうは個人的に思い出のあるフージョンの名曲を選んでみました(アルバムの説明は熊谷氏の「フュージョン」からの引用です)
Kari
1曲目は、ボブ・ジェイムズ&アール・クルー「One on One」(1979年)の1曲目を飾る「Kari」です。
他人のいきいきとした表情を引き出すことにかけては右に出るもののいないB・ジェイムズ。そのコラボレーション・シリーズの出発点になったのが、朝日のように爽やかなアコースティック・ギターの音色で人気を博していたE・クルーとのこのデュオ作。
クルーのナイロン弦ギターから紡ぎ出される温か味のある柔らかいサウンドとジェイムズのロマンチックなフェンダー・ローズの組み合わせは絶妙で、その出会いから生じるミュージック・マジックが楽しくてたまらないとでも言うように会話が弾む。
この曲は、わたしが大学生の頃、歳の離れた従妹の家に遊びに行った時に聴いたのが最初です。
オーディオ・マニアの従妹はボーナスをつぎ込んで高価なオーディオ一式を揃えて、その自慢のオーディオでかけてくれたレコードが「One on One」でした。
オーディオが素晴らしかったのか、選曲がよかったのか、もう忘れてしまいましたが、とにかく心を鷲づかみにされてしまい、すぐにレコード屋さんに駆け込んで買い求め、何度も何度も聴いたアルバムです。
My Sweetness
2曲目は、スタッフのデビューアルバム「Stuff」(1976年)から「My Sweetness」。NHK-FMの音楽番組にイントロ部分が使われ、ある年代の人にとってはとても懐かしい一曲です。
リチャード・ティー、スティーヴ・ガッド、エリック・ゲイル…NYを代表するセッションマン6人が集まったスーパーグループがこのスタッフだ。
そのサウンドはあくまでも、ヒューマンな色を失わない、”人情的R&Bジャズ”。難解な路線に走るのではなく、どちらかというとクラブ・ジャムの延長。プレイしている本人達がとにかくハッピーでいられるインストの対話、それが根底にある。
Voices in The Rain
3曲目は、ジョー・サンプルの「Voices in The Rain」(1980年)から表題曲。ジョー・サンプルは前回の記事で触れたジョー・コッカーの再生復活に一役買った人物です。
ジョー・サンプルのソロアルバムで選ぶなら「虹の楽園」(Rainbow Seeker)が正しいのでしょうが、個人的な思い出からソロ3作目の「Voices in The Rain」にしました。

個人的な思い出というのは、大学生だったわたしは渋谷のジーンズ・ショップでアルバイトしていて、その店の店長がこの曲を店内のBGMにしてしょっちゅう流していたのです。

「なんだこれ、イージー・リスニングじゃないか」
最初はそう思ったのですが、だんだんとメロディが耳から離れなくなり、とうとう店長に曲名を聞いて、渋谷のタワーレコードに買い求めに走った…という曲です。
熊谷氏の「フュージョン」の選から漏れたアルバムですが、ジョー・サンプルの魅力をとてもよく表している「虹の楽園」の紹介文を引用します。
一時代を築いたクルセイダーズの中核メンバーでキーボーディストの実質的ソロ・デビュー作。グループの人気絶頂期に、二足の草鞋で始めたソロ活動が、この作品で「本業」以上に脚光を浴び、圧倒的なセールスを記録。クルセイダーズでは、力強いテキサス・ファンクをベースにしたアーシーでソウルフルなジャズを展開していたが、ここでは屈指のメロディー・メーカーとしての才能を一気に開花させ、メロディアスでリリカルな作風で勝負に出た。
ストリングスをフィーチャーしたクラシカルなサウンドスケープをバックに奏でられる、切なくも美しいメロディーラインが世界中の人々のハートを鷲づかみにした。心にそっと寄り添うような美しい旋律と透明感のあるサウンドはヒーリング効果絶大。思わず涙するうちにいつのまにか癒されている自分を発見。
Mountain Dance
4曲目は、デイヴ・グルーシンの「マウンテン・ダンス」(1979年)から表題曲「Mountain Dance」です。
この人がいなければフュージョンの景観もだいぶ違うものになっていただろう。渡辺貞夫やT・ブラウンをスターに押し上げた名アレンジャーとして活躍する一方、コンテンポラリー・ジャズの普及に多大な貢献を果たしたGRPレコードを設立。ビジネスマンとしてもアーティストとしても最も波に乗っていた時期にリリースされたグルーシンの代表的作品。
生まれ故郷のコロラドの山々と雄大な自然を思わせる、スケールの大きな清涼感溢れるサウンドと力強いピアノの調べとまろやかなエレピの音色に彩られたこの作品は、幅広い層のリスナーの心を捉えた。
「Mountain Dance」はロバーロ・デニーロとメリル・ストリープが主演を務めた1984年公開の映画「恋に落ちて」(原題:Falling in Love)でも使われていて、封切当時に映画館で観た身としては、メロディが流れるだけでデニーロとストリープの既婚者同士の純愛を思い出し、気持ちが熱くなる、そんな一曲です。


名優ロバート・デ・ニーロとメリル・ストリープが『ディア・ハンター』に続いて共演を果たした大人のラブストーリー。舞台はマンハッタン、建築技師のフランク(ロバート・デ・ニーロ)とグラフィック・デザイナーのモリー(メリル・ストリープ)は、クリスマスの書店でそれぞれの家族のプレゼントの本を間違えて持ち帰り、それを機に次第に意識しはじめるようになる。
Make Me A Memory (Sad Samba)
5曲目は、グローヴァー・ワシントン・ジュニアの「ワインライト」(1981年年)から「Make Me A Memory (Sad Samba)」です。
「ワインライト」所収でビル・ウィザーズが歌う「Just The Two of Us」について前回書いた際、ほかもいい曲揃いと記したとおりです。
後者(=Just The Two of Usのこと)はビル・ウィザーズのヴォーカルをフィーチャーし、シングルでも全米2位まで上昇。グラミー賞の最優秀R&Bソングにも輝いた。アルバム自体も素晴らしいの一言で、とにかくゴージャスな”質感”を届けてくれる。ガッド=マーカスのリズム隊もパーフェクトなコンビネーションを見せ、まさにマンハッタンの夜景の目の前に大人の時間が流れていく。そんな名作だ。
My Dear Life
最後は、渡辺貞夫の「マイ・ディア・ライフ」(1977年)の表題作「My Dear Life」です。ラジオ番組もこのタイトルでしたから、一時期、このメロディが繰り返しラジオから流れていました。

メロディアスでヴァイタルな音楽を何よりも愛する渡辺貞夫にとって、フュージョン・ミュージックは理想的な音楽形態だったのだろう。グルーシンやリトナーやレイニーやメイソンといった「フージョンの創始者たち」にとっても、サダオの音楽との出会いは幸福な邂逅だったはず。アルバム全体にみなぎるわくわくするようなハッピーな感覚、シンプルなサウンドの中に漂うみずみずしさ。「サダオ・ミーツ・フージョン」の輝かしい記録だ。
70年代後半から80年代初めに流れたフュージョンの名曲たち。夜長の友にいかがでしょうか。
(しみずのぼる)



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