小野不由美氏の壮大なファンタジー「十二国記」シリーズ。最初に読むならエピソード0の「魔性の子」、あるいはエピソード1、陽子の物語の「月の影 影の海」でしょう。でも、もしあなたが「あんなにたくさん読めない。1冊だけ読んで判断したい」と言われたら? そんな設定で、わたしが選んだ1冊ーーそれは「東の海神 西の滄海」です(2023.11.14)
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目次
ファンタジーへの偏見
ずいぶんと無茶ぶりな設定と思うかもしれませんが、「ファンタジー小説はどうも苦手」という人の中に結構いるのが、冊数の多さで及び腰になってしまうケースではないでしょうか。
上橋菜穂子氏の〈守り人〉シリーズは、短編集や外伝を除いても10冊。荻原規子氏の〈勾玉〉シリーズは文庫の冊数で5冊。阿部智里氏の〈八咫烏〉シリーズも(短編集を除いても) すでに9冊。そして小野不由美氏の「十二国記」は14冊にのぼります。
どれも1作目から(八咫烏シリーズは例外的に2作目から?)読むのが常道ですが、エベレストの登山を強いられている気がして食指が動かないーー。そんな人も一定数いるように思うのです。
また、「ファンタジーへの偏見」というのもありそうです。
今では「十二国記」の魅力を熱く語る書評家の北上次郎氏が、「十二国記」で最初に読んだのはエピソード6「図南の翼」からと打ち明け、こんな釈明をしています。
「それは当初、年少読者向けの叢書として刊行されたからである。すなわち、ジュニア小説、あるいはライトノベルという体裁だったということだ。(略)もう一つ、ファンタジーでしょ、という偏見もあったかもしれない。実は私がそうであった」(「月の影 影の海」下=新潮文庫=の解説より)
そういう人に対して「とにかく絶対におもしろいから、まず1冊だけでも読んでみたら?」と勧めるとしたら、「十二国記」シリーズなら何だろう?と考えたのです。
北上氏推奨「図南の翼」
北上氏が熱く推す「図南の翼」は、もちろん最有力候補です。

この国の王になるのは、あたし! 恭国(きょうこく)は先王が斃(たお)れて27年、王不在のまま治安は乱れ、妖魔までも徘徊(はいかい)していた。首都連檣(れんしょう)に住む少女珠晶(しゅしょう)は豪商の父のもと、なに不自由ない暮らしと教育を与えられ、闊達な娘に育つ。だが、混迷深まる国を憂えた珠晶はついに決断する。「大人が行かないのなら、あたしが蓬山(ほうざん)を目指す」と──12歳の少女は、神獣麒麟(きりん)によって、王として選ばれるのか。

「図南の翼」はわたしも大好きです。でも、わたしが選んだのはエピソード3「東の海神 西の滄海」です。
延王と六太は頻繁に登場

国が欲しいか。ならば一国をやる。延王(えんおう)尚隆(しょうりゅう)と延麒(えんき)六太(ろくた)が誓約を交わし、雁国に新王が即位して二十年。先王の圧政で荒廃した国は平穏を取り戻しつつある。そんな折、尚隆の政策に異を唱える者が、六太を拉致し謀反を起こす。望みは国家の平和か玉座の簒奪(さんだつ)か──二人の男の理想は、はたしてどちらが民を安寧(やすらぎ)に導くのか。そして、血の穢(けが)れを忌み嫌う麒麟を巻き込んだ争乱の行方は。

第1の理由は、「東の海神 西の滄海」の主人公ーー延王と六太は、十二国記シリーズの中核を成す2つの物語ーー陽子の物語と泰麒の物語ーーのいずれにも頻繁に登場すること。これを読んで面白いと思って「魔性の子」もしくは「月の影 影の海」を手にとれば、「延王が出てきた!」とうれしくなり、読書が進むだろうと思います。
第2の理由は、「東の海神 西の滄海」で重要な役どころの人物が「図南の翼」で再登場するからです。ここは順番をたがえず「東の海神 西の滄海」から読んだほうが、「あ!〇〇だ!!」と喜ぶことができます。
できれば「魔性の子」から読んで
なお、この文章は「十二国記シリーズはまだ読んだことがない」という人に向けて書いています。ですから既知の方には無用な情報ですが、十二国は異世界ゆえ、さまざまな”ことわり”があります。
十二の国の王を選ぶのは麒麟であり、麒麟が死ねば王も死ぬーーなどが代表例ですが、これは陽子の物語と泰麒の物語のユーチューブ動画をアップしておきますので、こちらを最初に観ておくと理解が進みます。
でも、ほんとうはエピソード0の「魔性の子」から素直に読むのがベストです。「魔性の子」の記事は以前に書いているので、こちらを読んで「おもしろそう」と思ったら、ユーチューブ動画は観ず、その先のページも読まずに、本屋さんで「魔性の子」をお買い求めください。
2人の捨て子の不幸な邂逅
「東の海神 西の滄海」は、荒廃した国土にあって捨て子となった2人ーー六太と更夜が不幸な形で邂逅することで物語が進行します。
雁国の麒麟六太が尚隆を王に選び、先代の王の暴政と王不在による荒廃でどん底にあった雁国が、新王の即位から2年ほど立った頃、六太は妖魔に乗る子供をみかける。
「お前、名前は?」
「知らない」
かつてはあったかもしれないが、覚えていないと子供は言う。
「それで流れ着いたのが、妖魔の巣穴だったのだな」
子供が「大きいの」と呼ぶ妖魔は、人を襲い、人を喰う。
「……お前も、喰うのか?」
子供はしゅんと項垂れた。
「食べない。人も獣も。……大きいのにもそう言うんだけど、聞いてもらえない」
だってね、と子供はどこか縋るような眼で六太を見た。
「人や獣を襲ったら、人がみんな怖がるもの。だから大きいのはいつも人から追いかけられるの。みんな追いかけて酷いことをする。そうでなければ逃げていくの」
(略)
「お前、街で暮らしたくないか?」
子供は振り返った。
「……大きいのも一緒に?」
「うーん、大きいのは駄目だなぁ……」
「じゃあ、いい……」
妖魔に育てられた子供に、六太は名前をつけた。夜更けの意味で「更夜」(こうや)と。
六太は立ち去る更夜に声をかけた。
「困ったことがあったら関弓へ来い。おれは玄英宮で働いてる。六太って言えば分かるからから」
元州に謀反の動き
それから十八年後。延王の治世になってようやく山野に緑が回復し、人々の暮らしも落ち着きつつある中、元州がひそかに武器を集めているとの情報が入った。元州は州侯の息子の斡由(あつゆ)が事実上のトップで、民から慕われ、善政を敷いていると評判だった。
延王たちが元州の動向を警戒しようと話しているちょうどその時、六太を訪ねる者があった。更夜だった。
更夜に誘われて宮の外に出ると妖魔がいた。護衛の者が緊張すると、六太は「確かに妖魔なんだけど。あいつは穏和しいんだ。更夜の言うこと、ちゃんと聞くし」とかばった。
しかし、更夜は部下がどこからか攫ってきた赤子を妖魔のくちばしに近づけ、六太に要求した。
「子供の命が惜しかったら、穏和しく一緒に来て。惜しいよね? 麒麟は慈悲の生き物だもの。血の臭いに耐えられず病んでしまうくらい」
こうして六太は、更夜の主君ーー元州の斡由のもとへ連れられ、囚われの身となった。
六太を人質に上帝位を要求
ほどなくして斡由の使者が延王のもとへやってきた。
「台輔延麒は元州に御滞在でございます」
諸官が息を呑んだ。
「ーーそれで」
「王の上に上帝位を設け、これに我らが主君、元伯をお就けいただきたい」
(略)
「なるほど、斡由の望みは王位ではなく上帝位か。ーー考えたな」
「元伯はおさおさ王を蔑ろにするものではございません。王位の威信はそのまま、ただその実権を元伯にお譲りいただきたいだけ」
延王は即座に返答した。
「延麒を返せ。ならば温情を下して自刎(じさつ)させてやると斡由に伝えよ。あくまでも延麒を盾に事を構えるというのならば、必ず捕らえて天下の逆賊として馘首(しょけい)する」
復興の兆しがようやく見え始めていた雁国は、こうして再び戦乱にのまれることになった。
大量の民を集めよ
延王の命で動くのは直属の王師のみ。首都・関弓を空ければ、元州とひそかに通じる他州の軍に攻め込まれる恐れがあった。「関弓を空けるわけにはゆかぬ。王師を悉く出せば、必ず足許を掬いにかかる者が出る」
延王は臣下に「剣も槍も使えなくていい。とにかく大量の民を集めて関弓に置く」と命じた。
市中は延麒誘拐ー元州謀反の報に動揺し、騒然となった。
戦火の荒廃の記憶が生々しい市民たちは「本当に戦いになるのか」「戦わずに済む方策はないのか」と役所に殺到した。役人たちは思った。あえて兵卒を志願する市民などいるのかーー。
戦わずにどうするの
ここから、わたしがとても好きな場面です。何度読んでも涙します。すこし長く引用しますがお許しください。
一人進み出る女があった。
「王師は勝てるの」
彼女は胸に乳飲み子を抱いたまま、温恵を真っ向から見る。
「勝てるよう、努力する」
「けれど元州は台輔を攫っていったのでしょう。もしも元州が台輔を殺せば、王も斃れるということではないの」
「そういうことになる」
「だったら努力する、なんて、そんなことでいいの? 一刻も早く元州へ軍を差し向けて逆賊を倒し、台輔を宮城に連れて帰らねばならないのではないの?」
ひとりの老爺が声を張り上げた。「そもそも戦うべきではない!」「戦えばさらに荒廃があるだけだ」
「戦わずにどうするの? 王にこのまま斃れろと言うの。王がいなければ国土は荒廃する。その荒廃を誰もがみてきたはずじゃないの」
そう言い返した女は口元を歪め、老爺ら周囲の人間を冷ややかに見渡した。「あたしは知っているわよ」「この中の何人か、ーーいいえ、この街の何人かが、かつて王のいないこの国で子供を殺したのよ」
そこをどいてあたしを通して
「夜中に大人がやって来て、あたしの隣で寝ている妹を攫っていった。そうして井戸に投げ捨てた。それをやった大人が、いまものうのうと暮らしているのをあたしは知ってる。あれは全部、国が荒れていたせいだって、口を拭って何喰わぬ顔で暮らしているのをね」
(略)
一同を見渡して、女は温恵を昂然と見る。
「そこをどいてあたしを通して。あたしはこの連中みたいに、くだらない弱音であんたたちを悩ませるために来たんじゃない」
温恵は狼狽して女を見返した。それに女は笑ってみせる。
「あたしは戦うために来た。あたしたちに富を恵んでくださる王を守る。あたしはこの子を死なせたくない。殺すことは仕方ないと言って諦めてしまうような、そんな世に二度と来てほしくないの。そのためには玉座に天命ある王がいなきゃならない。王が将来、この子を豊かに暮らせるようにしてくれるなら、いまあたしが王のために死んであげてもいい」
「しかし」
「兵が男でなければならない、という法などない。一人も多くの兵が必要なのじゃないの? ーーあたし頑朴へ行く。そのために来たの」
お前たちのためだからな
この場のやりとりを聞いていた女のひとりが家に帰り、指し物に鉋(かんな)をかけている夫に声をかけた。「信じられない。あれほど戦乱で苦しい思いをしたのに、また戦おうだなんて」
黙々と鉋をかけながら女の話を聞いていた夫がふらりと立ち上がった。
「どうしたの、急に」
女は問うたが、答えを期待したわけではない。寡黙な夫だ。ほとんど最低限、必要で仕方のないときにしか喋らない。だが、この日は珍しいことに答えがあった。
(略)
「頑朴へ行く」
あんた、と女は眼を見開いた。
「冗談じゃない。頑朴って、そんな」
夫はほとんど初めて、彼女に慈愛の籠った目線を向けた。
「おれの両親も兄弟も飢えて死んだ。ーーおれはお前や子供たちに、そんなふうになってほしくない」
「あんたーー」
「王を失えば同じことが起こる。ほかの誰のためでも行かんよ、おれは。だが、お前たちのためだからな」
紹介はここまでです。
用意周到に練られた斡由の謀反に対し、民の期待を集めた延王はどう立ち向かうのか。虜囚となった六太は、斡由に従う更夜はーー。あとは本書を手にとってお確かめください。
最後にーー。「十二国記」シリーズは必ず最後のページに、その国の正史に顛末がどう記されたかを文語調で簡潔に表す文章が載っています。 「東の海神 西の滄海」の最後のページーー「雁史邦書」で、わたしは落涙しました。
(しみずのぼる)


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