小説版『エクソシスト』考察:半世紀を経ても色褪せないホラーの傑作

小説版『エクソシスト』考察:半世紀を経ても色褪せないホラーの傑作

1970年代に世界中を恐怖に陥れ、モダンホラーの金字塔となったウィリアム・ピーター・ブラッティの小説『エクソシスト』。映画版の鮮烈なビジュアルが有名ですが、原作には緻密な心理描写と徹底したリアリズムが息づいています。本記事では、少女リーガンの異変を科学と信仰の両面から追うプロットを紐解き、ドキュメンタリーのような抑制された筆致がなぜ半世紀たっても恐怖を倍加させ続けるのか、その魅力と傑作たる理由を考察します。(2023.10.9)

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モダンホラーの原点との出会いと衝撃

ホラー映画の中でも一時代を画した『エクソシスト』が、公開からちょうど50年ということで、この12月に『エクソシスト 信じる者』が封切上映されるそうです。「そうかあ、あれからもう半世紀もたつのか」と感慨に浸る人も多いでしょう。そのぐらい話題になった映画でした。『エクソシスト』については、わたしにも忘れ得ぬ思い出があります。

わたしは当時、中学生でした。そのころは映画を中学生がひとりで映画館に観に出かけるというのは考えられず、かといって親が一緒に行ってくれそうな映画ではありません。ですから、1974年に日本でウィリアム・フリードキン監督の『エクソシスト』が上映された当時、わたしは観ていません。何年もたってからテレビで観たのが最初でした。 

じゃあ、当時の思い出は何?と思われるでしょう。 

わたしは、映画を観に行けないものですから、小説を買って読んだのです。1973年4月に出版されたウィリアム・ピーター・ブラッティ『エクソシスト(新潮社)です。 

中学生ですから文庫本はよく買って読むようになっていましたが、単行本で話題の書を買うのは結構勇気がいりました。放課後、自転車で隣町の書店まで出かけて、平積みされていた無気味な表紙の本を手にするのも逡巡して、それでも買うために自転車を飛ばしてきたのだから…と踏ん切りをつけてレジに向かったことを思い出します。 

しかも、読み始めると本当に怖いのです。ポーの『アシャー館の崩壊』といった古典を除けば、わたしが最初に読んだホラー小説は『エクソシスト』です。すごく怖いのにやめられず、深夜までかかって読み通しました。 

というように、自分にとって思い出深い本でしたが、今回、それこそ半世紀ぶりに再読してみて、さらに映画『エクソシスト』のディレクターズカット版(2000年製作)を観て、「こんなにも原作に忠実な映画だったのか」とはじめて知りました。 

「ページを止められない」:米タイム誌が激賞

あらすじと出版当時の様子がうかがえる、新潮社版の背表紙に書いてある文章をそっくり引用しましょう。 

これは怪奇と衝撃の書である。アメリカの出版界で圧倒的なベスト・セラーになった小説で、題名の「エクソシスト」とは悪魔祓い師を意味する。聖書には悪魔に憑かれた人間の話が繰り返しあらわれるが、時は現代、舞台はアメリカ合衆国の首都ワシントン、映画界のスター女優の一人娘である十二歳の少女に悪霊が取憑き、少女を救うために、カトリック教団の神父二人が死闘を続ける物語である。 

悪魔に犯された少女の精神と肉体の痛ましい荒廃、礼拝堂での神を冒涜する糞尿と汚辱にまみれた黒ミサの儀式、さらに大の男が首の骨をねじ切られて殺される事件へと進展し、ワシントン警察も介入してくる……。 

恐怖と残虐性、波乱と意外性に溢れたストーリーの魅力と、混沌とした社会状況下にあって、心の拠り所を信仰のうちに見出すべきか、科学と論理に頼るべきかと迷い悩む現代人の要望に応える主題とによって、本書は絶大な反響をまきおこした。 

タイム誌の書評家はこの作品を絶賛して、読者は恐怖にショックを受け、猥雑さに辟易して、もうたくさんだ、やめれくれと叫ぶが、そのくせ最後の一頁に到達するまで、本を閉じることができないと評している。 

最後の段落のタイム誌評は大げさではなく、「本当に怖いのにとめられない」と中学生当時の自分も経験したことでした。 

科学と医学のアプローチで描かれる異変

映画もそうだったので驚きましたが、高齢のメリン神父と若いカラス神父による悪魔祓いのシーンは本書の最終盤だけで、それまでは少女リーガンの奇行に対して医者の診察と診断が続きます。 

たとえば、医師が母親のクリスと会話するシーン。

医師は慎重にうなずいて、「なるほど。それで判ります。ほかに似たような現象は? 彼女、何かを見るとか、臭いを嗅ぐとか?」 
「臭いですか」そう言われて、クリスは思いだした。「このところ、寝室にいやな臭いがすると、しきりに訴えます」 
「物の焦げるような臭い?」 
「そうですわ! そのとおりですわ!」クリスは叫んだ。「どうしてお判りになりまして?」 
「脳髄の化学電気作用に障害が生じたときの典型的な症状です。お嬢さんの場合は、側頭葉にそれが生じたものと思われます」

リーガンに憑依した悪霊の不気味なセリフ

しかし、訳知り顔の医師たちも、リーガンの奇行をついに目にする。

二名の医師が近よって、それぞれベッドの左右に立った。少女はいぜんとして、頭をのけぞらせ、激しく波打つ胸をさらけ出していたが、やがて、奇妙に喉にひびく声で、わけの判らぬ言葉を呟きだした。 
「……のうぉんまい……のうぉんまい……」

医師はさじを投げ、次に登場する精神科医は催眠療法を試みる。 

「この子の体内にひそんでいるかぎり、この子といっしょに催眠術にかかっている」と、同じ文句を繰り返して、「さぁ、出てきて、わたしの質問に答えよ。そこに、いるのか?」 
 沈黙。が、やがて、奇怪な現象が生じた。リーガンの息が急に臭くなってきた。濃密な臭気。精神科医は二フィート離れた場所でそれを嗅いで、懐中電灯の光をリーガンの顔にあてた。 
(略) 
「誰なんだ?」 
「のうぉんまい」少女が喉音で答えた。 
「それがおまえの名か?」 
少女はうなずいた。 
「おまえは男か?」 
少女は「せい」と、いった。 
「それが返事か?」 
「せい」 
「イエスという意味なら、うなずいてみせろ」 
少女はうなずいた。 
「外国語しかしゃべれんのか?」 
「せい」 
「どこからきた?」 
「どっぐ」 
「犬からきたというのか?」
「どっぐもーふもしおん」リーガンが答えた。 

精神科医でもあるカラス神父がリーガンの症状を診るようになってからも、リーガンの奇行に対する分析場面が続きます。 

逆再生テープが証明する悪魔憑きのリアリティ

カラス神父は、複数の声色で意味不明な言葉を繰り返すリーガンの様子を録音し、言語学研究所に分析を依頼した。 

 「しかし、あの録音テープには、君の手が加わっておるとみた。なぜかというにーー」 
「フランク所長、あれは言葉ですか、言葉ではないのですか?」 
「言語であるのはまちがいない」 
カラスは緊張して、「ご冗談ではありますまいね?」 
「いうまでもない。大まじめだ」 
「では、どこの国の言葉です?」信じきれぬように、カラスが訊いた。 
「英語さ」

所長はテープを逆回転して聞くように伝えた。 

リーガンのーーいや、リーガンに憑いている何者かの声ーー英語だった! 

マリン・マリン・カラス、おれたちはおれたちの…… 

英語だ。無意味の言葉の連続だが、英語であることはまちがいない! しかし、あの娘に、どうしてこんなことができたのか? 

ドキュメンタリー的な抑制の筆致が生む恐怖

ホラーと言えば、悪魔が出てきたり、霊的なものが出てきたり…というものを想像しがちですが、『エクソシスト』はそうではなく、現象と分析が淡々と続くだけです。それでも、この抑制した筆致が、怖さを倍加させるのでしょう。 

原作は1999年に創元推理文庫から再刊されましたが、単行本(新潮社版)同様、古本で探すしかありません。でも、文章で淡々と描かれた方が『エクソシスト』は怖いです。 

名曲が象徴する作品の冷徹な空気感と魅力

『エクソシスト』については、もうひとつ思い出があります。イントロ部分が映画で使われて有名になったマイク・オールドフィールドの『チューブラー・ベルズ』(1973年)です。 

中学生の時にこれをLPレコードで買い、何度も何度も聴いたものです。たったひとりで多重録音で作った曲で、発売当初、たいへん話題になりました。 

母親の苦悩から描かれるもう一つのドラマ

12月封切上映の『エクソシスト 信じる者』は、リーガンの母クリスが登場するそうです。予告編を見る限り、なかなか面白そうです。 

YouTubeユニバーサルピクチャーズ公式 映画『エクソシスト 信じる者』本予告<12月1日(金)全国公開>

半世紀前に一大ブームを巻き起こした『エクソシスト』。これを機に長らく品切れ状態になっている小説にも光があたってくれたらと思います。 

(しみずのぼる)

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