きょうは辻村深月さんの短編「樹氷の街」を紹介します。辻村さんの小説を読んでみたい!と思った方は、「辻村本は読む順番がある」と聞いたことがありませんか? そう、確かに順番はあります。でも「これが正しい」と言われて、逡巡してしまう人もいるのでは? なんと言っても分厚いですし、何冊もあるし……。「樹氷の街」はそんな方におすすめの、最初に気軽に読めて同時に辻村ワールドに必ず誘ってくれる短編小説です(2024.9.28)
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目次
講談社文庫の”帯すごろく”
でも、「樹氷の街」の紹介に入る前に、なぜ「辻村本は読む順番がある」と言われるかについて書きます。
いま書店の講談社文庫コーナーにいけば、辻村さんの本の帯に

この順番で読めば、辻村ワールドがより楽しめる!
と書いてあり、10冊の講談社文庫の表題がすごろくみたいに列挙されています。その順番は次の通りです。
- 凍りのくじら
- スロウハイツの神様(スピンオフで「V.T.R.」)
- 冷たい校舎の時は止まる
- 子どもたちは夜と遊ぶ
- ぼくのメジャースプーン
- 名前探しの放課後
- ロードムービー
- 光待つ場所へ
- ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ
この順番をみて、辻村作品を読み込んでいる人なら(「かがみの孤城」などが入っていないのは出版社の事情と考えれば)「おおむねそうだね」と首肯されるでしょう。
あるいは、「凍りのくじら」でつまづくとかわいそうだから、「スロウハイツの神様」から入ったら?という意見もあるでしょう。
「スロウハイツの神様」は、伏線の貼り方があまりに優れているので、終盤は滂沱の涙が流れること必定で、わたしもいちばん最初に読むといい辻村作品だという意見に賛成です。
なぜ「読む順番」と言われるかと言えば、それは登場人物が別作品にかなり頻繁に顔を出すからです。
登場人物が大人になってから登場する場合もあれば、逆に幼少期の場合もありますが、元となっている小説を読んでいないと、せっかくの歓びが減殺してしまう……と思ってしまうのです。
なんか窮屈という人も
つまり、ある意味、親切心から「この順番で読むと楽しめるよ!」と言っているわけですが、まだ辻村作品を手にしていない人にとっては「これが正しいとか言われると、なんか窮屈」という人もゼロではないように思います。
特に、万人があの本の分厚さに慣れているわけではありません。「登山初心者なんですけど、最初からあんな高い山を登るなんてムリ!」という気分で、結局、違う作家のもっと薄い文庫をレジに持っていく……という人だって少なくないように思うのです。
そう思うと、「正しい順番」が辻村作品への参入障壁になっているようで、なんとも歯がゆい気分になります。山の頂上への登り方は、決して一本道ではなく、いろいろな道があるはずです。
10代向け 何を選ぶ?
もしあなたが出版社の編集者で、10代に読んでほしい人気作家アンソロジーを編纂できるとします。

そうだな、宮部みゆきなら「サボテンの花」だなあ、恩田陸なら「大きな引き出し」がいいな。辻村深月なら……
この時、「正しい読み方」にこだわって「凍りのくじら」や「スロウハイツの神様」では、アンソロジーが編纂できません。
そんなふうに考えて、

わたしならこの短編を10代向けアンソロジーに選ぼう。
この短編から入れば辻村ワールドにすんなりと没入できるはず。
と思い、自分なりのおすすめの順番を考えてみました。
合唱曲「樹氷の街」
さて、前置きが長くなってしまいました。辻村ワールド初心者に向けて(特に多感な10代の読者に向けて)最初に読んでみたら?とおすすめしたい辻村さんの短編小説、それが「樹氷の街」です。
この短編小説は「光待つ場所へ」に収められています。講談社文庫の”帯すごろく”だと8番目に位置します。

「えっ、8番目から先に読んで大丈夫なの?」と思うかもしれません。
大丈夫です。ほかの収録作を含めて、独立した作品としてきちんと読めますし、大本の作品のネタバレみたいなことになっていません。安心して書店でお買い求めください。
「樹氷の街」の内容を紹介します。
ご自身が中学生ぐらいのとき、合唱で唄った方もおられるのではないでしょうか。「樹氷の街 」は竹岡範男作詞・矢田部宏作曲の合唱曲です。
雪が白く振りしきる
道という道を 白く埋め
家家の屋根を 白く包む
雪は協会の十字架を
あとかたもなく 白く消しつくす
孤独と恐怖の 暗い壁を崩し
道をひらき
黒い鉄路を白く繋ぐ
新しい光のなかで
私はさわやかな
青い空をみた
新しい光のなかで
私はあたたかい
人の声をきいた
この短編は、「樹氷の街」の歌詞を引用したあと、こんな書き出しで始まります。
「樹氷の街」の伴奏用楽譜をゴミ箱から拾い上げたのは、楽譜の持ち主である倉田梢だった。
中学の合唱コンクールで、3年生の課題曲は「大地讃頌」(大木惇夫作詞・佐藤眞作曲)で、自由曲が「樹氷の街」だった。ピアノ伴奏を担当する倉田は、課題曲はまだしも、自由曲の伴奏に手間取っていた。
されど学校行事…
たかが学校行事の一つに過ぎないことはわかっていても、やるからには楽しみたい、勝ちたいという気持ちは、誰にだってある。
指揮を担当する天木は、いっこうに伴奏が上達しない倉田と、それに不満を抱く他の女生徒たちとの板挟みにあっていた。
練習はすさむ一方だった。伴奏がつまづいて耐えられなくなった倉田が席を立ってしまった。うんざりした表情の女生徒たち。「我慢の限界だ」。天木は小学校時代からの親友で同じクラスの秀人(しゅうと)に声をかけた。
「悪いけど、隣のクラスの椿(つばき)を呼んできてくれ」
「この一週間、伴奏ありで練習できたことが一度もないのはまずい」
椿は秀人の彼女で、天木とも小学校時代からの知り合いだ。しかし、別のクラスの伴奏者に毎回頼るわけにいかない。天木、秀人、椿は善後策を考えていたとき、秀人がやはり小学校時代の同級生、松永郁也(いくや)の名前を出した。
ピアノうまいのか
「あいつ、ピアノ、弾けるのか」
「知らないの!? 天木。同じ小学校だったじゃん」
今度は椿が素っ頓狂な声を上げた。信じられない、と。
「私、松永くんは特別だから、あえて伴奏頼んでないのかと思ってた。初めから知らなかったの? 嘘でしょ」
「本当に知らない。うまいのか?」
「うまいっていうか、神童だよ」
松永は小学校の時に通っていたピアノ教室の教師が「自分よりうまい子にはもう何も教えることがない」と音を上げたほど。高校からフランスに留学する話も出ているほどの腕前だ。
天木は「松永に頼もう」と即断即決して、「秀人と椿も付き合え」と言うと、椿は天木に提案した。
「……松永くんに頼むの、手伝ってもいいけど」
椿が肩ごと大きく息を吸い込み、もったいつけるように吐き出す。
「頼むのは、自由曲だけにしようよ。課題曲はこれまで通り倉田さんにがんばってもらう。それなら、松永くんのとこに一緒にいく」
私たちとやらない?
倉田をケアしたのも椿だった。
「課題曲の練習、私たちとやらない? 放課後残るのが面倒なら休み時間だけでいいから」
倉田が何か答えかける。それより先に、椿が言った。
「『樹氷の街』の楽譜、運指も和音も、すごく丁寧に書き込んであるの見て思ったの。自分に弾きやすいように、楽譜を一生懸命、何度もなぞって弾いて、練習したんだなって」
倉田が黙る。掲げていたゴミ袋を持つ指がかじかんだように曲げられていた。
「天木が言ってたよ。倉田さんはきっとやり遂げるって」
こうして天木、秀人、椿、松永、そして倉田の練習がはじまった。
音楽を通じて心通わせる少年少女たちに、ぜひ心ときめかせてください。
「石のスープ」の物語
さて、このような共同作業は「石のスープ」と言うのだそうです。ポルトガルの民話で、
飢えた旅人が、食べ物を求めて民家の戸を叩くが、与える物はないと断られる。一計を案じ、路傍のただの石を「煮るとスープのできる不思議な石だ」と掛け合う。鍋と水を借り、石が古いから濃い味にならないと言って塩を持ってこさせ、次に小麦粉を、次に野菜を、肉を持ってこさせる。
出来上がったスープは、見事な味に仕上がり、何も知らない家人は感激してしまったという話。
また、このことから、協力者を呼び集めるための呼び水の比喩として使われる。
「樹氷の街」は、天木が秀人と椿を呼び、椿が松永を呼び、協力者を呼び集めて見事な合唱曲を仕上げるという「石のスープ」の物語です。
「名前探しの放課後」へ
先に掲げた「石のスープ」の引用は、「名前探しの放課後」に出てきます。

依田いつかが最初に感じた違和感は撤去されたはずの看板だった。「俺、もしかして過去に戻された?」動揺する中で浮かぶ1つの記憶。いつかは高校のクラスメートの坂崎あすなに相談を持ちかける。「今から俺たちの同級生が自殺する。でもそれが誰なのか思い出せないんだ」2人はその「誰か」を探し始める(「名前探しの放課後」講談社文庫・上巻の背表紙より)
いつかがあすなと相前後して助けを求めたのはクラスメートの秀人。秀人が助っ人に頼んだのが天木と椿。終盤には松永にも助けを求めます。
そうなのです。「名前探しの放課後」は、「樹氷の街」で中学3年生だった彼らが、高校1年になってふたたび「石のスープ」となり、同級生の自殺を阻止する物語なのです。
もしあなたが「樹氷の街」が気に入ってくれたら、きっと天木や椿たちとふたたび会えるのはうれしくないですか?
ですから、「光待つ場所へ」の次にわたしがおすすめしたいのが「名前探しの放課後」です。
講談社文庫の”帯すごろく”では6番目の小説ですが、大丈夫です。ほかの小説のネタバレになんかなっていません。
「凍りのくじら」へ
そしてもしあなたが「樹氷の街」に導かれて「名前探しの放課後」を読めば、その次に手を出したらよいと思うのは「凍りのくじら」です。

藤子・F・不二雄をこよなく愛する、有名カメラマンの父・芦沢光が失踪してから五年。残された病気の母と二人、毀れそうな家族をたったひとりで支えてきた高校生・理帆子の前に、思い掛けず現れた一人の青年・別所あきら。彼の優しさが孤独だった理帆子の心を少しずつ癒していくが、昔の恋人の存在によって事態は思わぬ方向へ進んでしまう…。家族と大切な人との繋がりを鋭い感性で描く“少し不思議”な物語(「凍りのくじら」講談社文庫の背表紙より)
そう、ここで「樹氷の街」や「名前探しの放課後」に出てくる理帆子が出てくるのです。
もちろん松永郁也も出てきます。講談社文庫の”帯すごろく”の1番目の作品です。安心して理帆子や郁也の物語にいざなわれてください。
次回は「光待つ場所へ」所収で「樹氷の街」以外の短編について書きます。
(しみずのぼる)
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