きょう紹介するのは浅田次郎氏の短編「昔の男」です。看護師は、人の生き死ににかかわる大役にもかかわらず、人手不足で大変な仕事と聞きます。女性の場合は婚期を逃してしまうケースも……。そんな看護師3人の前に姿をあらわす「昔の男」の話です。女性の看護師さんにはぜひ一読を勧めたい小説です(2023.9.2)
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「きょうね、昔の男と会うの」
夜勤明けのくすんだ肌にファンデーションを塗りたくりながら、逸見さんは訊きもせぬことをいきなり言った。
「昔の男」は、こんな書き出しで始まります。
主人公の浜中さんは看護師、27歳。付き合って2年になる彼氏(製薬会社の営業マン)はいるものの、夜勤と準夜勤の連続という毎日にデートもままならない。
「昔の男」に会いに行くと言った逸見婦長は、おそらく五十歳前後。男のうわさなどまったく聞かない。さらに上の総婦長は、3代前の院長時代から看護師一筋の人生で、独身のまま、末期がんで入院中。総婦長や逸見婦長の姿は、自分の未来にも重なってみえる。
逸見婦長が「昔の男」に会いに出かけたその日は、浜中さんにとっても彼氏とのデートの日だった。
プロポーズされるも逡巡
彼氏から「正月に親と会ってくれないか」と婉曲に結婚を切り出されるが、いまの職場はやめて欲しいと思っていることが言葉のはしばしに感じられる。
もうギリギリだ。私たちは恋の絶壁を登りつめて、さあ頂上をめざすか、さもなくば撤退かという選択を迫られていた。しかもこの足場は二人が立つには脆すぎて、一刻もとどまっていることができない。
そんなふうに思っているとき、逸見さんと「昔の男」を見かけた。相手の男性はまるでハンフリー・ボガードのような紳士だった。
その夜、病院から電話があった。急患の発生だ。泊っている彼氏が不機嫌になり、プロポーズにも煮え切らない態度をとったことも相まって口げんかになる。そのぶんの時間、病院にかけつけるのが遅れた。
「あなたが泣くことはないわ」
病院にはすでに逸見婦長の姿が。さらに入院中の総婦長。そして驚くことに「昔の男」までいた。
自らの不始末に落ち込む浜中さんに、逸見婦長が「悩むほどのことじゃないわよ」となぐさめ、総婦長も「あなたが泣くことはないわ」と言葉を重ねた。が、「昔の男」は違った。
「どのようなごたごたかは知らんがね、まさか人の命にかかわることではあるまい。いいかね、生き死ににまさるごたごたなど、この世にあってはならぬのだよ。つまり君は看護婦という聖なる職にありながら、人の命を軽んじている。恥を知りたまえ」
総婦長がかばった。
「まあまあ、そうまでおっしゃらなくたって。この子はね、これでもたいそう見どころがあるんですよ。今どきの若い人には珍しいくらい」
「それはまあ、わからんでもないが。こんな時代遅れの病院に長いこと勤めておるというだけで、感心といえば感心だ。ほう、こうして見るとなかなかの別嬪さんじゃないか」
総婦長と親しげに言葉をかわす「昔の男」は、「ぼちぼち行こうか。彼女も紹介していただいたことだし、人目についても何だ」と言って、総婦長と連れ立って帰っていった。
部屋に待ち構えていたのは…
ところが、急患対応を終えて部屋に帰ってみると、そこに待ち構えていたのは、さきほど帰っていったはずの「昔の男」だった……。
ここから「昔の男」が何を語り出すか。その種明かしはしてはならないでしょう。
あないさましや文明の
母という名を負い持ちて
いとねんごろに看護する
こころの色は赤十字
総婦長が声をかぎりに唄った場面に泣き、すべてを知った浜中さんの決意に快哉しました。
「時代がどう変わったかなんて、昔の男にわかるもんですか」
心やさしい気持ちになれる短編です。ぜひ本を手に取って読んでみてください。
「あなかなし」の短編揃い
「昔の男」は、浅田次郎氏の短編集「あやし うらめし あな かなし」(集英社文庫)に入っています。
浅田氏には「神座(いま)す山の物語」(双葉文庫)という別の短編集があり、
奥多摩の御嶽山にある神官屋敷で物語られる、怪談めいた夜語り。著者が少年の頃、伯母から聞かされたのは、怖いけれど惹きこまれる話ばかりだった。切なさにほろりと涙が出る浅田版遠野物語ともいうべき御嶽山物語。
という内容の短編集です。
「あやし うらめし…」にも、御嶽山を舞台にした2短編が収められていますが、それ以外の短編も5作品あり、「昔の男」はその1篇です。
どの短編も非常に味わい深く、まさに「あなかなし」の気持ちにさせられるものが少なくありません。「神座す山の物語」ともども、おすすめです。
(しみずのぼる)
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